文明の創造

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未定稿論文
基督(キリスト)教と善悪

天国の福音書
    救世(メシヤ)教とは何ぞや

文明の創造

天国篇(栄光137号 昭和27年1月1日)*再掲『文明の創造』

左記の論文は『文明の創造』中から、新春に相応ふさわしいものとして載せたのである。 私は科学篇、宗教篇を次々かいて来たが、之から最後の天国篇をかくのである。併しこの所論は真の意味に於ける前人未説のものであって、文明世界設計の根幹ともなるもので...
会話集

未定稿論文 「基督(キリスト)教と善悪」

最後の審判はそのクライスト教と眷属(けんぞく)を抹殺して悪魔の奴隷になっている大部分の人類を開放させるのでなくてはならないのは当然であろう。その為の福音(ふくいん)書拝読で、その為の浄霊で、その為の幽玄力で、その為に私が生まれてメシヤ教を創立したのである。何故なら皆は霊と心を浄め、正守護人の霊力を強くして、邪神の頭目と闘って勝たねば天国人になるのは出来ないからである。
文明の創造

『文明の創造』天国篇 「ミロクの世の実相」昭和27年

之を先ず国際上から説明してみるが、世界各国の国境は、現在のままではあるが、実質的には撤廃されたと同様になるのである。つまり隣国に対する権力は平等となる以上、侵略などは絶対なくなるというよりも、侵略の必要がなくなるのである。
文明の創造

『文明の創造』天国篇  昭和27年

言わば世界は百八十度の転換であって、実に空前の一大異変である。従って現在の文化形体も一変するのは勿論、其大綱としては、前述の如き大自然の形となる以上、一切の機構も三段階になり、分れて六となり、又分れて九となる、つまり三六九で、之を縮めればミロクとなる。地上天国一名ミロクの世とは此事である
大経綸

『文明の創造』宗教篇 「経と緯」 昭和27年

観音力の働きもそれであって、即ち経にも非ず、緯にも非ず、といって経でもあり、緯でもあリ、何れにも偏らない応変自在であるから、千変万化、自由無碍(むげ)というのも此意味である。此理によって人間の心のあり方もそうなくてはならない。即ち心は常に原則として経緯結びの中心に置くべきで、之を一言に言えば常識である。
大経綸

『文明の創造』宗教篇 「善悪発生とキリスト教」昭和27年

文化の進むに従って、必要であったものも不必要となり自然淘汰されるとしたら、最後に至って人間と雖(いえど)も自然の法則から免れる事は出来ないのは勿論である。としたら人間に対するそれは何かというと、勿論人間に内在する悪である。曩(さき)に述べた如く今後の時代は、悪は有害無益の存在となる以上、悪人は淘汰されて了うのは当然な帰結である
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『文明の創造」宗教篇 「キリスト教」昭和27年

神は何千年に渉って、天国的文化を形成する目的の下に経(たて)と緯(よこ)の経綸をされて来たのであるが、其経の経綸の代表的宗教としては仏教であり、緯の代表的宗教としてはキリスト教であった。
仏教

『文明の創造』宗教篇 「仏教に於ける大乗小乗」昭和27年 

元来仏教は、小乗が本来である事は、以前私はかいた事があるが、小乗である仏教の中にも、大乗と小乗のある事を知っておかねばならないのである。之を判り易く言えば、小乗は自力本位であり、大乗は他力本位であると思えばいい。そうして仏教中禅宗と日蓮宗は小乗であって、其他は悉(ことごと)く大乗である
仏教

彌勒三会『文明の創造』宗教篇 昭和27年

抑々彌勒三会とは、読んで字の如く三身の彌勒が、一度に会われる意味であって、三身の彌勒とは言う迄もなく釈迦、阿彌陀、観音である。そうして釈迦は報身の彌勒であり、阿彌陀は法身の彌勒であり、観音は応身の彌勒となっている。又釈迦は地の彌勒であり、阿彌陀は月の彌勒であり、観音は日の彌勒である。
仏教

『文明の創造』宗教篇「仏滅と五六七の世」 (昭和二十七年)

一切の欲望は結局一時的煩悩にしか過ぎないのだから、諦める事だ。諦め切って了えば、真の安心立命を得られるのだと説かれたのであって、之が仏教の真髄であるとしたら全く夜の世界の姿をよく物語っている。此意味に於て万事は昼の世界迄の運命でしかない事を、遣憾なく示されている。
大経綸

『文明の創造』宗教篇「霊界に於ける昼夜の転換」  (昭和二十七年)

誰しも夜と昼は一日の中にあるではないかというであろう。成程それには違いないが、私のいうのは大宇宙のそれであって、此事を知るとしたら、人智では到底想像もつかない程の大神秘を会得する事が出来、それによって今後の世界の動向も分り、未来の見当も略(ほ)ぼつくのである。
文明の創造

『文明の創造』宗教篇 「唯物医学と宗教医学」昭和27年

医学本来の目的は、人間の病気を完全に治し、真の健康体を作るにあるとしたら、それが現実に現われなくてはならない事である。今更言う迄もないが、真の健康体とは、一生涯病気の心配から解放される事であって、そういう人間が増えるとしたら、茲に人類の理想である病無き世界が実現するのである。
文明の創造

『文明の創造』宗教篇 霊的病気「精神病と癲癇」昭和27年 

霊的病気の内最も王座を占めているものとしては、精神病と癲癇であろう。先ず精神病からかいてみるが、之こそ全然霊的病気であって肉体に関係のない事は、健康者であっても、此病気に罹るにみて明かである
文明の創造

『文明の創造』宗教篇 霊的病気 「結核と憑霊」昭和27年

孤独で非常に寂しい為、相手が欲しくなる結果どうしても兄弟の誰かを、自分の傍へ引寄せようとする。そこで憑依すれば、自分と同様結核となって死ぬのは分っているから、そうするのである。何と恐るべきではなかろうか。又其他にも斯ういうのがある。それは祀り方が悪いとか何か死後要求がある場合、それを頼むべく知らせようとして之はと思う人に憑依する。憑依された者は。勿論結核と同様になる
文明の創造

『文明の創造』宗教篇 霊的病気 「癌病」昭和27年

癌の病として、最も多く而も難症であるのは、何と言っても胃癌であろう。曩には薬毒による擬似胃癌を詳説したから、之から真症胃癌の原因である憑霊の事をかくのであるが、此霊は殆んど蛇の霊である
大経綸

『文明の創造』宗教篇「最後の審判」 (昭和二十七年)

飽く迄論理的、実證的であって、寧ろ科学的、哲学的といってもいい程のものであるから、現代人と雖も之を精読すれば、理解し共鳴しない訳はあるまい。換言すれば今日迄何人も説き得なかった処の、高遠にして人間が触るる事を恐れていた、深い微妙なる謎の本体とも云うべきものであって、之を徹底的に開明するのである
文明の創造

『文明の創造』科学篇「種痘」 未発表昭和27年執筆

天然痘に罹るも短期間に必ず治り痘痕など些(いささ)かも残らないとしたら、理想的であって之で解消して了うのである。然し其ような結構な方法がありやと言うに、本教浄霊によれば絶対可能である事を言明するのである
文明の創造

擬健康と真健康『文明の創造』科学篇(昭和二十七年) 

病気は浄化作用であり、医学は浄化作用停止を、治る方法と錯覚して来た意味は判ったであろう。之に就て今一層徹底的にかいてみるが、世間一般の人が健康そうにみえて、兎も角働いている人の其殆どは毒素を保有していながら、強く固結している為、浄化作用が起らない迄である。
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『文明の創造』科学篇「人形医学」(昭和二十七年) 

病なるものは表面に表われた症状であって、其因が意外な処にあるものである。それを知らない医学は、症状さえ治せば病気は治るものと解釈しているので、真の医術ではないのである。それは全く人間は綜合体であるという事の認識がないからである

『文明の創造』科学篇「薬毒の種々相」(昭和二十七年) 

如何なる病気と雖も、其原因は一つであって、其現われ方の局部によって、種々なる病名が付くのであるから、本当から言えば、効く薬なら唯った一つでいい訳である。処が右の如く多数あるという事は、全く真に効く薬がないからである。
文明の創造

 『文明の創造』科学篇「手術」(昭和二十七年)

近来、医学は大いに進歩したといい、取り分け手術の進歩を誇称しているが、私から見れば之程の間違いはあるまい。考える迄もなく、手術が進歩したという事は、実は医学が進歩しないという事になる。というと不思議に思うであろうが、手術とは言う迄もなく、病に冒された機能を除去する手段であって、病其ものを除去する手段ではない。
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『文明の創造』科学篇「総論」(昭和二十七年)

まだ知らなければならない点が種々あるから、之から凡ゆる角度から医学の実体を検討し、解剖してみようと思うのである。
文明の創造

『文明の創造』科学篇「小児病」(昭和二十七年)  

単に小児病といっても、其種類の多い事はよく知られているが、小児病は突如として発病するものが多く、而(しか)も物心のない赤ん坊の如きは只泣くばかりで、何が何だかサッパリ判らないので、母親として只困るばかりである。先ずそれからかいてみる
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『文明の創造』科学篇「婦人病」(昭和二十七年)

婦人病に就て、根本原因をかいてみるが、元々婦人病の一切は、体内に保有している毒素が、漸次下降する為であって、下腹部に溜れば子宮、卵巣、嗽叭管、膀胱等の障害となり、尚下降すれば痔疾、並に一般陰部の病原となる
仏教

『文明の創造』宗教篇「仏教の起源」(昭和二十七年)  

観世音菩薩の御本尊は、伊都能売神である事は、以前から私は度々知らしてある処であるが、これに就て分らなければならない事は、元来仏身なるものの根本である。単に仏といっても実は二通りあって、本来の仏身と神の化身との両方ある。そうして本来仏とは約二千六百年以前、釈尊の時から生れた
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『文明の創造』科学篇「下半身の病気と痔疾」(昭和二十七年)  

一番多い病気としては痔疾(じしつ)であろう。此病の原因は甚だ簡単である。つまり全身各局部に溜結している毒素が少し宛(ずつ)溶解して、最も都合のいい肛門から出ようとするので、言わば肛門は糞尿以外の汚物の排除口も兼ねているという訳で、神は巧(うま)く作られたものである。
仏教

『文明の創造』宗教篇「観世音菩薩」(昭和二十七年)  

南支那(しな)地方民に教を垂れ給うた処、何しろ徳高き菩薩の事とて、四隣の民草は親を慕うが如く追々寄り集う有様で、此時から観音信仰は遂に支那全土にまで行き渡ったのである。処が御年も重ね給い、之迄で経綸も略々(ほぼ)成し遂げられた事とて、遂に此土地で終焉(しゅうえん)され給うた
大経綸

『文明の創造』宗教篇「伊都能売神(いづのめしん)」(昭和二十七年) 

日本古来の神々は印度へ渡航し、化身仏となられたので、其化身仏の総領が伊都能売神であって、当時日本に於ける最高の地位であられたのである。処が其頃素盞鳴(すさのお)尊を中心とする朝鮮の神々が渡来され、伊都能売神の地位を狙って犯そうとしたが、
文明の創造

『文明の創造』科学篇「口中の病など」(昭和二十七年)  

口中の病に関してかいてみると、先ず歯であるが、歯の強弱の原因は、全く全身の健康と正比例しているものであって、近代人の歯の弱いという事は、健康が弱っているからである。勿論其(その)原因は体内に溜っている薬毒の為ではあるが、其他として入歯の際の消毒や虫歯を治す為の薬毒の害も軽視出来ないものがある。
文明の創造

『文明の創造』科学篇「扁桃腺炎」(昭和二十七年) 

世間よく扁桃腺炎を根治する目的で、扁桃腺を除去する事が、常識のようになっているが、最近の学説によれば、扁桃腺は貴重なもので、除去しない方が可(よ)いとされて来たという事である。全く除去した結果は他に悪影響を及ぼす事が分ったからで、実に喜ばしい限りで、私が長年唱えて来た説が、漸(ようや)く認められるようになったもので、満足に堪えないのである。
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『文明の創造』科学篇「其(その)他のもの」(昭和二十七年)

背部や胸部等に出来た腫物を手術した為、其時の消毒薬が頭脳に迄滲透(しんとう)し固まるので、その手術が局部の前部、背部の関係で、前頭部又は後頭部の悩みとなるのである。要するに上半身に於ける手術の際の消毒薬が、頭脳の病原になる事が分ればいいのである。
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『文明の創造』科学篇「耳鳴」(昭和二十七年) 

此(この)原因もヤハリ延髄部の固結で、之が不断の微弱な浄化によって、溶ける其(その)音が耳に響くのである
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『文明の創造』科学篇「睡眠不足」(昭和二十七年) 

此(この)原因は全く一種の脳貧血であって、延髄部に固結が出来、それが血管を圧迫し、脳貧血を起させ、睡眠不能となるのであるが、此固結は右側の方が多く、左側は少ないもので、之を溶かす事によって百発百中必ず治るのである。
文明の創造

『文明の創造』科学篇「脳貧血其(その)他」(昭和二十七年) 

之は脳の血液が減少の為発(おこ)る病気である。では何故減少するかというと、人体は絶えず頭脳に向かって、送血されているので、之が一定量なら何事もないが、其量が減ると頭脳機能の活動が純る。それが脳貧血である。
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『文明の創造』科学篇「上半身の病気と中風」(昭和二十七年)

脳溢血の原因は、頸(くび)の固結であって、特に左右何れかの延髄部に長年月を経て毒血が固まるのである。従って脳溢血の毒結を知るのは雑作もない。右の部を指で探れば必ず固結の有無が判る。
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『文明の創造』科学篇「神経痛とリョウマチス」(昭和二十七年) 

単に神経痛といっても色々あるが、それは勿論場所によるのである。然し普通は手や足や肋間等でリョウマチスを併発する場合も多く、要するに此の病気は、外部的神経が痛むだけで、内臓は何ともないのである
文明の創造

『文明の創造』科学篇「肝臓、胆嚢、膀胱の結石」 (昭和二十七年) 

医診でよく言われる肝臓病というのは、実は誤りで、肝臓そのものには異状がないので、只肝臓の外部に薬毒が固結しておるのを間違えたものである。然し勿論其毒結が肝臓を圧迫しているので、苦痛であるのみか、之が黄疸の原因ともなるから、始末が悪いのである
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『文明の創造』科学篇「喘息」(昭和二十七年)

喘息に関しては、医学では全然判っていないのである。というのは医学に於ける喘息の説明は、殆ど問題になっていないからである。ヤレ、アレルギー疾患だとか、迷走神経の緊張だとか、神経過敏性とか、・・・
文明の創造

『文明の創造』科学篇 主なる病気(二)「肋膜炎と腹膜炎」 (昭和二十七年)

肋膜炎は、医学でも言われる如く、肺を包んでいる膜と膜との間に水が溜るので、之が湿性肋膜炎と言い、膿が溜るのを化膿性肋膜炎と言い、何も溜らないのに膜と膜との間に間隙(カンゲキ)を生じ、触れ合って痛むのを乾性肋膜炎と言うのである。
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『文明の創造』科学篇「主なる病気(一) 腎臓病と其他の病」 (昭和二十七年)

腎臓は体内機能中、三大機能に次いでの重要なる役目をしているもので、之は医学でも唱える如く、一旦腎臓へ集溜されたる血液中から、貴重なるホルモンを抽出すると共に、廃物液体である尿は膀胱へ送られるのである。処が厄介な事には、腎臓が完全に活動されるとしたら右の通りであるが、実際上幼児から少年、青年、壮年と年を重ねるに従って、漸次働きが鈍るのが通例で

『文明の創造』科学篇「胃病」(昭和二十七年)

病気の原因が殆ど薬毒である事は、今迄説いた通りであるが、特に胃に関した病気程それが顕著であって、悉(コトゴト)く薬で作られるといってもいいのである。それを今詳しくかいてみる
文明の創造

『文明の創造』科学篇「心臓」(昭和二十七年)

人体の機能中、最も重要であるのは、心臓であって、機能中の王者と言うべきものである。従って心臓機能の本体が根本的に判らない限り、真の病理は確立する筈はないのである

『文明の創造』科学篇「薬毒の害」(昭和二十七年)

処が私が生まれた事によって、此の人類の不幸の源泉たる病気が解決される事となったので、全く有難い時が来た訳である。従って之によって文明は百八十度の転換となり、理想世界実現となるのは勿論であろう。
文明の創造

『文明の創造』科学篇「人間と病気」(昭和二十七年) 

近代医学に於ては、病原の殆どは細菌とされている。従って細菌の伝染さえ防げば病に罹(カカ)らないとする建前になっているが、只それ丈では甚だ浅薄であって、どうしても細菌というものの実体が、明確に判らなければならないのである。というのは仮令(タトエ)黴菌(バイキン)と雖(イエド)も、何等かの理由によって、何処からか発生されたものである以上、其の根本迄突止め、把握しなければ意味をなさない訳である
文明の創造

『文明の創造』科学篇「栄養」(昭和二十七年)

人間は食物に関しては栄養などを余り考えないで、只食いたいものを食うという自然がいいのである。其の場合植物性と動物性を都会人は半々位がよく、農村人と病人は植物性七、八割、動物性二、三割が最も適している。食餌を右のようにし、薬を服まないとしたら、人間は決して病気などに罹る筈はないのである。
文明の創造

『文明の創造』科学篇 「結核と特効薬」 ( 昭和二十七年)

薬の効き目とは毒の効目であるから、毒が強い程よく効く訳で、浄化停止の力もそれだけ強いから、症状が軽減するといふ訳で、特効薬として売出されるのである。然(しか)し何(いず)れは其の薬毒の浄化作用が起るから、毒の強い程浄化も強く来るといふ次第で、結果は一の苦痛を免れやうとする其の方法が、二の苦痛の種を蒔くといふ事である。それが薬学の進歩と思ふのであるから問題は実に大きいと言はねばならない
文明の創造

『文明の創造』科学篇 「自然を尊重せよ」 ( 昭和二十七年)

医学特に結核患者に対しては、安静を最も重要とされてゐるが、之は前にも述べた如く大変な間違ひである。ではどうするのが一番いいかといふと、何よりも自然である。自然とは自分の身体を拘束する事なく、無理のないやう気儘(きまま)にする事である
文明の創造

『文明の創造』科学篇 「結核と精神面 」( 昭和二十七年)

結核に就(つい)て、割合関心を持たれてゐないものに精神面がある。処が事実之程重要なものはない。誰も知る如く一度結核の宣告を受けるや、如何なる者でも精神的に一大衝撃を受け、前途の希望を失ひ、世の中が真暗になって了(しま)ふ。言はば執行日を定めない死刑の宣告を受けたやうなものである、
文明の創造

『文明の創造』科学篇 「霊主体従」 昭和二十七年 

抑々人間とは体と霊との二原素の密接合致によって成立っているものであって、勿論体とは眼に見ゆる物質で誰にも判るが、霊とは眼に映らないものである以上、長い間分からなかったのである。処が確実に存在している一種のエーテルの如きものである。としたら方法によっては、把握出来ない筈はないのである。
文明の創造

『文明の創造』科学篇 「無機質界」 昭和二十七年   

唯物科学の到達し得た処の極致点が、現在の原子科学であるとしたら、其の次の存在である処の世界、即ち私の唱える無機質界が明らかにされたのであるから、科学上からいっても、実に劃期的一大進歩といえよう。そうして此の世界こそ曩に述べた如く、科学と神霊との繋がりの存在であって、今茲に説く処の此の文は、つまり科学界と神霊界との中間にある空白を充填した訳である。実に此の空白こそ今日迄科学者も、哲学者も宗教家も知らんとして知り得なかった処の、神秘的謎の世界であったのである