『文明の創造』 総篇 「序文」( 昭和二十七年)

  此(この)著は歴史肇(はじま)って以来、未(いま)だ嘗(かつ)てない大著述であり、一言にしていえば新文明世界の設計書ともいうべきもので、天国の福音(ふくいん)でもあり、二十世紀のバイブルでもある。というのは現在の文明は真の文明ではないので、新文明が生れる迄の仮の文明であるからである。聖書にある世の終りとは、此仮相文明世界の終りを言ったものである。又今一つの”洽(あまね)く天国の福音を宣(の)べ伝えられるべし。然(しか)る後末期到る”との予言も、此著の頒布(はんぷ)である事は言う迄もない。そうしてバイブルはキリストの教へを綴ったものであるが、此著はキリストが繰返し曰(い)はれた処の、彼(か)の天の父であるエホバ直接の啓示でもある。又キリストは斯(こ)うも言われた。『天国は近づけり、爾(なんじ)等悔(くい)改めよ』と。之によってみれば、キリスト自身が天国を造るのではない。後世誰かが造るといふ訳である。
 処が私は天国は近づけりとは言わない。何となれば最早天国実現の時が来たからである。それは目下私によって天国樹立の基礎的準備に取り掛っており、今は甚だ小規模ではあるが、非常なスピードを以て進捗しつつあって凡(すべ)てが驚異的である。それというのも一切が奇蹟に次ぐ奇蹟の顕はれで、人々は驚嘆してゐる。そうして之を仔細に検討して見る時、神は何万年前から細大漏す処なく、慎重綿密なる準備をされていた事である。之は明瞭に看取(かんしゅ)出来るが、其(その)根本は旧文明の清算と新文明の構想にあるのであって、私はそれに対し実際を裏付とした理論を、徹底的に此著を以て説くのである。そうして先づ知らねばならない肝腎な事は、旧文明は悪の力が支配的であって、善の力は甚だ微弱であった事である。処が愈々(いよいよ)時期来って今度は逆となり、茲に 世界は地上天国実現の段階に入るのである。然(しか)し之に就(つい)ては重大問題がある。といふのは旧文明は当然清算されなければならないが、何しろ世界は長い間の悪の堆積による罪穢の解消こそ問題で、之が世界的大浄化作用である。従って之による犠牲者の数は如何に大量に上るかは、到底想像もつかない程であらう。勿論(もちろん)之こそ最後の審判であって、亦(また)止む事を得ないが、神の大愛は一人でも多くの人間を救はんとして私といふ者を選び給い、其大業を行はせられるのであって、其序曲といふべきものが本著であるから、此事を充分肝に銘じて読まれたいのである。
 そうして右の如く最後の審判が終るや、愈々(いよいよ)新世界建設の運びになるのであるが、其転換期に於ける凡(あら)ゆる文化の切換へこそ、空前絶後の大事変であって、到底人間の想像だも不可能である。勿論旧文明中の誤謬(ごびゅう)の是非を第一とし、新文明構想の指針を与えるものである。それを之から詳しく説くのであるが、勿論之を読む人々こそ救ひの綱を目の前に下げられたと同様で、直に之を掴めば救はれるが、そうでない人は後に到って悔を残すのは勿論で、時已(すで)に遅しである。以上の如く罪深き者は亡び、罪浅き者は救はれて、将来に於ける地上天国の住民となり得るのである。そうして来(きた)るべき地上天国たるや其構想の素晴しさ、スケールの雄大さは到底筆舌に尽せないのである。其時に到って現在迄の文明が如何に野蛮極まる低劣なものであったかがハッキリ判ると共に、人類は歓喜に咽(むせ)ぶであらう事を断言するのである。  

      一九五二年八月        箱根の寓居にて  著  者  識

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