地上天国

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巻頭言 (地上天国7号 昭和24年8月30日)

之等によって悟る事は素直が肝腎だ、素直によって生命を救われ、頑固によって生命を落すという訳でこの様な例はあまりに多く見せつけられるのである。
地上天国

無肥料栽培/皮肉文学の弁(地上天国創刊号 昭和23年12月1日)

皮肉とは皮と肉であるから、骨のない奴の戯言(ざれごと)にして、物を直線に観、直線に語る事は攻撃の手が恐ろしい為、物を裏から見ゆがめて言う卑屈極まる奴なり、然しながら真面目クサッて物を観る奴は融通が利かず、酒落気がなく木石同様である。斯ういう奴ばかりが殖えると世の中は面白くなくなる。
地上天国

幸福(地上天国創刊号 昭和23年12月1日)

一切は原因があって結果がある。もちろん幸福とても同様であるとすればその原因をまず知る事こそ問題解決の出発点であらねばならない。
地上天国

巻頭言(地上天国創刊号 昭和23年12月1日)

全人類を救うのが宗教の使命であるとしたら、信者も非信者も一般人もよく理解され易く、興味津々たるものでなくてはならないと思う。
地上天国

真文明とは何ぞや  (地上天国三十一号  昭和二十六年十二月二十五日) 

此目的とする処は、現在迄の文明は根本的誤謬の文明であって、真の文明ではない事を知らせんが為である。というその何よりの証拠は、何程文明が進歩したといっても、文明の最後の目標である処の人類の幸福なるものは、些かの実現性も見られないからである。
地上天国

本教と私 (地上天国十八号 昭和二十五年十一月二十五日)

然し時節が来ない中はどうにもならない。今はまだ天国を造る上に、根本である健康に関する問題と、農業に関する事だけの誤った点を、神示のまま指摘しているのである。
地上天国

「叡智の光」 (5)地上天国17号 昭和二十五年十月十五日 ※ほくろ、土葬

ほくろは場所によって、よい意味と悪い意味とあるから場所を知らせなさい。又ほくろはその人の幸不幸の前世の因縁による現世へ
地上天国

「叡智の光」(4)地上天国17号※霊的 昭和二十五年十月十五日

    【御垂示】此一家は霊的に非常に罪穢が溜っている。従って、この家の主人公が余程熱心に信仰して人助けをし、徳を施し、罪穢を軽減しなければ救われない。かつ御夫婦とも御神書を出来るだけ読む事である。『信仰雑話』中の「夫婦の道」という処をよく読むとよい。
浄霊

「叡智の光」 (3)地上天国17号 ※病気 昭和二十五年十月十五日

姙娠するという事は、生む資格があるからであるから、心配せず神様にお願いすれば、必ず生めるが、ただ二回の人工流産の不自然的人為方法が災いしなければよいと懸念される点があるから、出来るだけ浄霊をするようにしなさい。
信仰

「叡智の光」(2)地上天国17号 ※稲荷 昭和二十五年十月十五日

出来るだけ御神書を読むようにする事である。それによって身魂が磨けるから、父親の反対も段々薄らぎ、再び信仰を取戻す事になる。焦らず時節を待つべきだ。
地上天国

「叡智の光」(1) 地上天国17号 昭和二十五年十月十五日

  それは、事情によるのである。どっちにも決める事は出来ない。その的確の判断が、叡智の力である。叡智とは、或程度信仰が進み誠の心の持ち主になれば、自から判断がつくものである。
教えの光

『妙智之光』地上天国十六号 (2) 昭和二十五年八月十五日

【答】無論時期を待つのがよい。決して無理に判らそうとしたり、本人の自由意志を押えつけたりしてはいけない。信仰は或程度霊の曇りが除れぬと入れぬものである。   浄霊は、特に先方から頼まぬ以上決してすべきではない。
神霊科学

「妙智之光」(1)地上天国 第十六号 昭和二十五年八月十五日

今に想念の無線電波時代が来る。例えば、空中に字を書くとか話するとかすると、何千里先までも通じたり感じたりする。これは今でも、或程度はある。人心の機微をつかむなどというのはそうで、政治家なども、此人心の機微をつかむ事が重要
地上天国

信徒諸士に告ぐ (地上天国 十七号 昭和二十五年十月十五日)

本教信徒の中に、浄霊の場合、医師にかかる事、薬を飲む事、注射をする事等に就て、否定する如き言葉ありやにて、本教の主旨を履き違え、社会の誤解を受くる事は、本教を傷つける結果となる事は勿論、此点充分注意され、決して医療を否定する如き事無きよう茲に重ねて戒意を促す次第である
地上天国

巻頭言 (地上天国 十七号 昭和二十五年十月十五日)

右は、信仰抜きにした一般的見方であるが吾等宗教人としての、今後の在り方はどうすればよいかであるが、今具体的にいふ事は不可能としても、事態の推移に従って、国策に順応するのは勿論であるが、根本はすべて神様にお委せし、御守護を祈って国家人類の為最善を尽すより外ないであらう。
地上天国

秋季大祭御言葉 (地上天国十七号 昭和二十五年十月十五日)

キリストは天国は近づけりといい、釈尊はミロクの世が来ると言ったが、どちらも予言であって、御自身が造るとは言はれなかった。処が、私は右の予言を実現すべく、神様から委任せられたのであるから、全く予言者の予言通りの事を具体化し、證明するのである。
地上天国

物を識るという事 (地上天国十六号 昭和二十五年八月十五日)

この物を識るという言葉ほど、深遠微妙にして意味深長なものはあるまい。恐らく此語は世界に誇っていい日本語といえよう。
地上天国

巻頭言 (地上天国十六号 昭和二十五年八月十五日)

従来、巻頭言は私が書いてゐたのであるが、御承知の如く思はざる今回の突発事件の為、本誌十六号は殆んど出来かかってゐたのであったが、中止のやむなきに至った次第である。然し漸く筆を執り得るやうになったから、急遽出版の運びになった訳で ある。
地上天国

私は真理を書く (地上天国二十八号 昭和二十六年九月二十五日)

私の今迄かいたものは悉く真理であって、真理の鏡に照して偽真理の欠陥を晒け出し、改善する方法を諭(オシ)ゆるので、之によって真理と偽真理との区別がハッキリするばかりか、其上事実を以て示すのである。それが彼の浄霊医術であり、自然栽培であり、芸術の向上であり、模型の建設である。
地上天国

大乗たれ (地上天国 三十号 昭和二十六年十一月二十五日)

私はいつもいう通り、大乗の悪は小乗の善であり、小乗の悪は大乗の善であるという事であるが、此肝腎な点をどうも忘れ勝ちな信者があるが、之は大いに反省して貰わなければならないのである。判り易く言えば、何事も大局的見地から観察するのが大乗的観方である
大経綸

地上天国36号 『教えの光』 昭和二十七年五月二十五日 ※北極南極の氷は、段々溶けて、将来は人類の住む土地が殖えてゆく

地球上、北極南極の氷は、段々溶けて、将来は人類の住む土地が殖えてゆくのである。此理由としては、地殻が収縮するので海面が低くなるから、各河川が浅くなつて干いて了う虞れがあるので、その水を供給する為である。
大経綸

神の芸術 (地上天国十一号 昭和二十四年十二月二十日) 

外でもない、ラジオやテレヴィジョンの発明によって、全世界に起りつつある凡ゆる出来事を一瞬にして知り得るという事程、それほど物質文化は夢の間に進歩したのである。一体全体これは何を意味するのであるかといふ此点が頗る重要事であって、何よりも之に気付かないとすれば、現代文化を語る資格はないというべきである。
霊界

狐霊に就て (地上天国八号 昭和二十四年九月二十五日)

前頭内の貧霊は必ず不眠症の原因となる事は勿論で、それは右側延髄部附近に固結があり、それが血管を圧迫するからである。又狐霊が憑依する場合、前頭部を狙ふのは曩に述べた通りで、前頭内は人体を自由に支配出来得る中心機能があるからである。それを憑霊はよく知ってゐるからそこへ憑依し、自由自在に人間を操るのである
霊界

教えの光「日本人種の霊的考察」について 地上天国22号・23号 昭和26年

之等は余程信仰が深くならないと、判り得ない。言わば信仰上大学程度である。従つてそれを知りたいと思うのは、非常に結構であるから、今後出来るだけ御神書を読み、判らない事は質問をして、叡智を磨き、人助けをして、信者を多く作る事に専念すれば、霊も浄まるから、判らなかつた事も判るようになるものである。
大経綸

日本人種の霊的考察(下)『地上天国』24号、昭和26(1951)年5月25日発行

上のごとく、日本民族は大体四種に分けられる。そしてまず大和民族からかいてみるが、これはさきに述べたごとく、先天的平和主義で闘争を嫌う事はなはだしく、それがため当時の天下は、実によく治まっていたのである。もちろん未開時代であるから、文化も至極幼稚ではあったが、不自由な生活の中でも、鼓腹撃壌(こふくげきじょう)の世の中であったには違いない。
大経綸

日本人種の霊的考察(中) 『地上天国』23号、昭和26(1951)年4月25日発行

日本の民族は四種に分ける事が出来よう。すなわち天照天皇を擁立していた純粋の大和民族と、瓊瓊杵尊系統の天孫民族と、素盞嗚尊系統の出雲族と、そうして右の土匪あるが、この土匪の系統こそコーカサス地方から蒙古、満州を経て、北鮮から青森付近に上陸したもので、漸次本土深く侵入し、ついに近畿地方にまで及んだのである
大経綸

日本人種の霊的考察(上)『地上天国』22号、昭和26(1951)年3月25日発行

この問題を説くに当って、断っておきたい事は、以下の所説は史実にもない事柄ばかりであるから、そのつもりで読まれたいのである。しかし日本人なら、是非知っておかねばならない事なので、ここにかいたのである。それならなぜ今までにかかなかったかというと、何しろ事柄が事柄なので、終戦前までは誤解され易い点が多々あるのでかかなかったのである。
メシヤ様の生涯

神様と私との関係 (地上天国57号 昭和二十九年二月二十五日)

以前のように神様に伺う事は必要がない事になったのである。というのは神霊は私の体内に在す以上、以前のように神と人との隔てが撤去され、神人合一の境地になったからである。つまり神即人である以上、私の行う事は神直接であるから、私の思うままを行ればいい事になったのである。
御事績

或る神秘(井上茂登吉先生)  読後のお言葉  (地上天国二十五号  昭和二十六年六月二十五日) 

それは今度の事の為神様が名を付けられたのである。全く井上氏のいう如く、彌勒を生むという意味である。又小さい観音様があったのは、観音御生誕の型を神様は知らせる為であった。