岡田茂吉 巻頭言 (地上天国 十七号 昭和二十五年十月十五日) | 岡田茂吉を学ぶ

巻頭言 (地上天国 十七号 昭和二十五年十月十五日)

      今、全世界を見渡した感じを、卒直に言えば混沌の二字に尽きるといってよかろう。世界の国という国は赤色脅威の為如何に苦しみつつあるかである。而も味方である鉄のカーテン内の国ですら、安心処ではあるまい。寧ろ苦悩は大きいかも知れない。恐らく人類史上此様な世界を挙げての、暗雲に閉ざされた時代は、未だ嘗てなかったであろう。

    而も冷たい戦争などと言って、ともかく小康状態であったものが、俄然朝鮮問題が起って、熱い戦争に転化された。というのはそれ以来、各国は急に慌て出したのは勿論、アメリカが主体となって、赤禍防衛手段に大童(おおわらわ)の現状は、よくそれを物語っている。叙上(じょじょう)のような状勢を観る時、一体世界の将来はどうなるであろうかという事で、此危惧は全人類残らずの頭を支配していると言ってよかろう。そうして右の考えを押進めてゆくと、斯うい事になろう。最早今日となっては、平和的解決は全然望み得まい。現に今行われつつある、両国外交上の折衝にしろ、時を稼ぐ以外の何物でもあるまい。此結果双方共後へ退く事は、大国の面目上不可能であるから、どうしても戦争による外、解決の方法はあり得ないであろう。何よりもそれを予想してか、双方共国を挙げての戦争準備に汲々(きゅうきゅう)たる有様である。唯双方共今直に始める事は、準備の関係上どうしても不可能で、その為どちらも二、三年先を目標としているようである。処が実際上戦争なるものは、準備が充分出来てから、さて始めようとするなどは殆んどない。事実戦争準備を目論(もくろ)むという其事が、既にいつ干戈(かんか)を交えるか測れないという意味で、之は今迄に幾多戦史が示している。

   唯然し、朝鮮内乱が米の勝となったとしても、第三次大戦の危険は、勿論解消したとは言えない。只延期された事は確かであろう。何しろ米の空襲の激しさを見る時、どんな国と雖も尻込みせずには居れまいからである。中共の台湾進撃を中止した感があるのも、共産軍援助に手を出さないのも、そんな関係からであろう。抑々此戦争を始めた北鮮軍の背後に、ソ連の手が動いている事は、衆目の見る処である。従って米ソの戦いといってもよからう。唯一方は蔭にあり、一方は表面的であるだけである。すると最初挑み掛った方はソ連であるから、ソ連の肚は一体何を狙ったかを推測してみる必要があろう。

 初めソ連が朝鮮侵略の挙に出たのは、米国が之程本腰になるとは、予期しなかった。或程度の武器の援助位にしか想っていなかったようだ。それが意外にも米があれ程真剣になった為、失敗の憂き目を見る事になったのは、確かにソ連の違算であったといえよう。何しろ中共の侵略戦に対し、米国の彼の寛容な態度がそう思わせたに違ひない。然し朝鮮侵略が失敗に終ったとしても、ソ連にとっては決して無駄とはなるまい。何故なれば米の現在の新兵器や軍隊の動員、連合諸国の動き、作戦のやり方など、明かに知り得たからで、将来ソ連の作戦上大いに参考になるとしたら、失敗を償って余りある訳である。処がアメリカの方は、ソ連が之程早く侵略を実行するとは、予期しなかったと共に、北鮮軍の疾風迅雷的一挙に朝鮮全島を席巻(せっけん)するという、敵の準備も軍隊の強さも予期しなかったに違いない。という事は米の作戦準備の割合暇のかかった事でも知られる。若し米に充分の準備が出来ていたとしたら、京城の線で已に喰止め得られたに違いない。とすれば今回仁川に上陸し、京城を占領する迄の犠牲は、右を裏書している。之が米の小違算であった訳だ。

      右の如く、第三次大戦は延びたとしても、解消させる事はないであろう程、事態は漸次緊張の度を加えつつある。然し今は戦争の圏外に立っている日本も、将来を考慮し心の備へをえておく必要があろう。

      右は、信仰抜きにした一般的見方であるが吾等宗教人としての、今後の在り方はどうすればよいかであるが、今具体的にいう事は不可能としても、事態の推移に従って、国策に順応するのは勿論であるが、根本はすべて神様にお委せし、御守護を祈って国家人類の為最善を尽すより外ないであろう。

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