御論文

革命的増産の自然農法解説書

自然栽培について(革命的増産の自然農法解説書 昭和28年5月5日) 

自然栽培と信仰とは別物にする事である。というのは信者にならなくとも予期通り増産されるからである。それが信者でなくてはよく出来ないと誤られると、折角の本農法普及に支障を及ぼすからである
革命的増産の自然農法解説書

農業の大革命  五ヶ年にして米の五割増産は確実(二)(革命的増産の自然農法解説書 昭和28年5月5日) 

この理を知らない科学は、半面である体だけを対象とする、つまり跛行的学問である。この様な不完全な科学と伝統的考え方の為、肥料によって土を弱らして来たのである。この原理を私は発見し、ここに自然栽培法が生まれたのであるから、これこそ真の科学であり、世界的大発見であろう。
革命的増産の自然農法解説書

農業の大革命  五カ年にして米の五割増産は確実(一)(革命的増産の自然農法解説書 昭和28年5月5日) 

今一つ重要なる一事がある。それは硫安の如き化学肥料は、稲が吸収する以上、その劇毒が仮令微量であっても、人間は一日三度宛腹の中へ入れるのだから、不知不識の内に人体に害を及ぼすのは当然である。近代人の罹病率が多くなったのも、そうした原因もないとは言えないであろう。
革命的増産の自然農法解説書

自然農法解説 “自然栽培の勝利  土の偉力”(革命的増産の自然農法解説書 昭和28年5月5日)

自然農法の原理とは、土の偉力を発揮させる事である。それは今日迄の人間は、土の本質を知らなかった。否知らせられなかったのである。その観念が肥料を使用する事となり、何時しか肥料に頼らなければならない様になってしまった
革命的増産の自然農法解説書

序文 『革命的増産の自然農法解説書』 昭和28年5月5日

本農法は一銭の肥料代も要らないと共に、労力も省け、風水害の被害も軽少で済み、虫害は何分の一に激減する等、一石数鳥の効果があるから、この実行によって農民の経済問題は一掃されると共に、国全体としての利益は、一ヵ年何千億に上るか計り知れないのである
救世

悪人と善人(救世60号昭和25年4月29日)

負惜しみではないが、我々を悪口非難する者もあるが、その度毎に我々は少しも怒る気はしない、むしろいかに自分は悪人の邪魔をしているかという誇りをさえ感ずるからである
救世

痔について(救世60号昭和25年4月29日)

今一つは出血である、これは上半身即ち頭脳、肩等に鬱血うっけつがある場合浄化によって毒血が下降し、肛門から排泄するのであるから、これはある程度排血すればピタリと止まり、その結果頭脳の苦痛は軽快となり、肩の凝りも楽になるのである、痔出血は大抵一、二週間とみればいいので、いささかも心配の必要はないのである。
救世

宗教の観方 (救世60号 昭和25年4月29日)

全人類は一部の例外を除き、何を望んでいるであろうかを検討してみる時、言うまでもなく幸福そのものである、科学の進歩発達も、人類の幸福を目的としたものに外ならないが、悲しい哉、事実はその逆でさえある、とすればその根本を探究する事こそ今日の急務であらねばならないのである
第五篇『自観随談』

大本信者時代の私(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

教祖出口直子刀自は、経たての教えで小乗的であるに反し、出口王仁三郎師は大乗的緯よこの教えであったからである。
第五篇『自観随談』

狂信(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日)

お筆先の一字一句も見逃さないで、それを直訳的に実行した連中があったから堪らない。
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  五、書について(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

絵画や美術工芸なども、古人の方が優れている事は定説となっているが、書に至っても同様で、私は古筆などを観る毎に感歎するのである。
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  四、陶器 (自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日)

元来陶器も絵画と同様支那から、学んだものであるから最初の日本陶器は殆んど支那の模倣であった。
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  三、蒔絵(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日)

次に、美術工芸に就てかいてみるが、之も絵画と同様古人の優秀さは驚くべきものがある。先ず外国にない日本独特の工芸美術としては蒔絵である。因ってそれから書いてみよう。蒔絵は余程古くから発達したもので、天平時代既に立派な作品が出来ている。勿論その...
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  二、彫刻 (自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

昔の運慶や左甚五郎等はあまりにも有名であるが、彫刻は絵画と違い、昔から名手は非常に少かった。
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  一、絵画 (自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

日本画の現在は危機に臨んでいると言ってもよかろう。事実容易ならぬ事態に直面している事は、斯道に関心を持つものの一致した見解であら
第五篇『自観随談』

馬鹿肥りは病的だ (自観叢書第五篇 『自観随談』 昭和24年8月30日)

尿意を催した時、我慢する事を止めるべきで、尿意を我慢するなどという些細の原因から生命を失う結果となる事を考えたら、実に恐ろしい話で大いに注意すべきである。
第五篇『自観随談』

湯西川温泉 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

無医薬と菜食が如何に健康に好いかという事実で、全く私の説を裏書してをり非常に面白いと思った。
第五篇『自観随談』

奥日光から塩原へ(自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

私は四十才頃から山が好きになり、機会ある毎に各所の山に登ったのである。尤も其頃から健康恢復の為もあった。関東附近の主なる山は大抵登った
第五篇『自観随談』

アルプス紀行(自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

上高地は千古斧鉞ふえつを入れざる大森林で、山気身に迫り、みた事もない木や草が繁っている状は全く人間界を遠く放れた別世界で、今にも白髪の仙人が忽然と現はれて来そうな気がする。
第五篇『自観随談』

二人の盲の話 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

私は子供心にも天罰の恐しさをつくづく知ったのである
第五篇『自観随談』

映画 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

最後に邦画に求めたいものは大仕掛けのものと天然色とで之は一日も早く実現せん事である。
第十二篇「自観説話集」

進歩的宗教  (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

現代人の生活をよりよく改善し、指導的役割を遂行する事こそ真の宗教の使命であるべきで、一言にしていえば、進歩的宗教こそ現代人を救い得る価値あるものというべきであろう。
第十二篇「自観説話集」

方法論と結果論 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

今後は方法論を撤回し、結果論のみによって唯物医学と唯心医学との論戦を戦わすべきが本当ではあるまいか。斯くして真に人類に役立つべき新文化の発展を期待し得られよう
第十二篇「自観説話集」

科学が迷信を作る (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

迷信ならざるものを迷信と断づる事も、一種の迷信である。故にジャーナリスト諸君に要望したいのは、迷信邪教に対しては大いに筆誅(ひっちゅう)するを可とするが、迷信邪教ならざるものを迷信邪教と誤認する事の危険を言いたいのである。それは文化の進歩の阻害者となるからである。
第十二篇「自観説話集」

私というもの (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

 私は若い頃から人を喜ばせる事が好きで、殆んど道楽のようになっている。私は常に如何にしたらみんなが幸福になるかということを念(おも)っている。私は、「人を幸福にしなければ、自分は幸福になり得ない。」と常に言う
第十二篇「自観説話集」

私の観た私 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

私というものを職業別にすれば宗教家、政治、経済、教育の研究家、文筆家、文明批評家、特殊医学者、歌人、画家、書家、建築設計家、造園業者、農業者、美術音楽批評家等々実に多彩である。
第十二篇「自観説話集」

善人よ強くなれ (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

まず善人が団結し連盟を作るのである。名称は悪徳排除連盟とでも言ったらよかろう。こういう案を私は提唱するのだが、之こそ社会改善に対する最も有効手段と思うからである。
第十二篇「自観説話集」

第三宗教 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

私の幾多の説には、凡ゆる宗教の滋味(じみ)、天文、地文、言霊、易経、哲学、文学、政治、経済、芸術、霊界談義から演劇映画に渉ってまで書くので、人は驚くのである。特に神示の霊医学や、神霊の発揮に至っては、古往今来世界に類例をみないと言われている
第十二篇「自観説話集」

低気圧は人災なり (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

昔から台風や、暴風、洪水等はすべて天災と言い不可避の現象として諦めていた事は誰も知る処であるが、吾等から言えば実は天災ではなく人災である。それを之から解説してみよう
第十二篇「自観説話集」

智慧の光 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

一時的でなく、永遠の栄を望むとすれば、深い智慧が働かなくてはならない。そうして深い智慧程誠の強さから湧くのである
第十二篇「自観説話集」

自然無視の文化  (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

て毒素排泄作用の最も簡単なるものが、感冒である。感冒に罹る事によって肺炎も肺結核も免れ得るのであるから、感冒を奨励するとしたら、結核や肺炎は何分の一に減ずるかは火を見るよりも瞭(あきら)かである。しかるに之に気のつかない医学は逆理によって、感冒の場合毒素排泄の停止手段を行う結果、結核や肺炎は更に減少する処か、反って増加の傾向さえ見られるのは何よりの証拠である
第十二篇「自観説話集」

日と月 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

ヒキ、ヒクは、退く事である。引寄せる、陣を退く、敗北する、腰を低くする-というように凡(すべ)て月と反対であり、この理によって昼の世界は凡てがヒキの働きであるから、負ける事を善しとする。人間では謙譲である。之では争いの起りよう筈がない
第十二篇「自観説話集」

学問のズレ(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

新発見なるものはそれまでの既成学理の型には当嵌らないのが当然で、当嵌らないだけ其価値がある訳である。一言にして言えば型破りでありそれが大きければ大きい程、価値が大きいのである。故に真理と思ったものもいつか葬り去られるという事は、それ以上の真理が生れたからで、斯くして止りなき文化の進展がある
第十二篇「自観説話集」

神秘の扉は開かれたり (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

見真実の境地に入ってみれば、過現未に渉って一切が明かに知り得る。勿論過去の一切の誤りは浮び上って来ると共に、未来の世界も其時の人間の在り方も、判然と見通し得るのである
第十二篇「自観説話集」

大乗宗教(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

道に叶えば創造となり、道に外るれば破壊となるというのが、この世界の実相である。恰度(ちょうど)汽車電車が軌道に外れなければ進行し、外るれば駄目と同様
第十二篇「自観説話集」

本教と大道主義 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

本教の如きも、右にも、左にも偏らず、中道にもこだわらず、凡(あら)ゆる主義主張総てを包含し、一切をコントロールした世界思想ともいうべき高い大理想を掲げて進まんとするものである。吾等はこれを名づけて大道主義というのである。
第十二篇「自観説話集」

超宗教(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

どうしても之等無明暗黒を解消すべき、一大光明が表われなくてはならない時期と、心ある者は期待せずにはおられない。即ち超宗教的救いの力である。
第十二篇「自観説話集」

五六七世界の建設(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

要するにミロク世界実現前、当然経なければならない其過程に対処する心構えを述べたまでである。
第十二篇「自観説話集」

主の字(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

「主」の字は、天地人、日月地、五六七、神幽現を表し、経済・政治・教育宗教など万事の正しい順序の象徴である。東西思想の融合を象徴しており、人間界の調和と天地の結び付きを示す。神や仏の概念も結びの概念を内包しており、すべては三段階構造で成り立つ。主の字の首脳者が座る形は破綻なき運営の象徴である。
第十二篇「自観説話集」

観音力とは何ぞや(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

男は陽、女は陰である事も、昔から誰も知っている処で、火水に分ければ、男は火で、女は水であり、火は経に燃え、水は緯に流れる。この経緯がいよいよ結ばるという時が来たのである。