御論文

地上天国

巻頭言 *世界メシヤ教(地上天国13号 昭和25年2月20日)

。一言にしていえば、世界の大清算であって、実に恐るべくして喜ぶべき時とはなったのである。しかしそれは恐るべきは悪人の側であり、喜ぶのは善人の側である。今日迄の長い間悪が覇張はばり、善が虐げられて来たのが、ここに一大逆転となるのである、踏み躪にじられて来た正義は、初めて華々しく報いられるのである。全人類は如何にこの聖代を待ち望んだであろうと共に、この大偉業に参加を許された吾等の幸福や、全く空前にして絶後というべきである。
お蔭話

お陰話「毒血を排除せよ 大浄化で安産できる」おかげばなし批判  科学に先行の浄霊(救世50号 昭和25年2月18日)

下記の患者は最初脳膜炎であって激しい嘔吐はその為である、すべて脳に関する病気の重い軽いは嘔吐の回数で判断するのが一番正確である、先まず二、三回位の嘔吐ならいいが、五、六回以上は生命の危険信号と思っていい、この患者などは医療のみをしたら、死はまぬかれなかったであろう、
救世

新宗教に正信はないか(救世50号 昭和25年2月18日)

本教が発揮する神霊の力の如何に画期的なものであるかを知り得るのである、勿論その時期も迫りつつある今日、信者諸士に於ても最後の大活動を期待するので、それには何よりも神書を出来るだけ拝読し、御魂を磨かなければならないのである。
救世

消化に就て (救世50号 昭和25年2月18日)

食物は消化の良い物も悪い物も巧くとり交ぜて食うべく神が造られたのであるから、消化不消化など問題にせず、喰べたい美味い物は何でも喰い、半噛み位にすれば胃の病など絶対起らない事を保証する。
救世

抵抗力(救世50号 昭和25年2月18日)

抵抗力があるから病気に罹るのである、言う迄もなく抵抗力とは浄化作用であるからである
救世

我を去れ (救世50号 昭和25年2月18日)

我を出さない事と、素直にする事と、嘘をつかない事が先まず信仰の妙諦である。
救世

再び借金を論ず (救世50号 昭和25年2月18日)

凡すべての事業は、借金政略で最初から大きくやる事がいけないのである、どこまでも堅実に小さく始めるべきで、どこまでも自力本位である、随而他力を蔑視し彼かの「天は自ら助くるものを助く」という事を信条とし、焦らず撓たゆまずコツコツ主義で努力を重ねるとすれば必ず予想外な好結果を得らるる
救世

救世(メシヤ)教の名について(救世50号 昭和25年2月18日)

いつも言う通り、私は神の啓示によって具体的に表わすのであるから救世(メシヤ)教の名もそうであって、神様から救世教の名の啓示があったのである
救世

善を鼓吹する新聞(救世50号 昭和25年2月18日) 

昔から悪事千里といってどうも悪の方が早くも知れ、拡がりもするのである、新聞記事なども善い記事は読者の興味を引かない、悪い記事程人の目を引く
救世

辛いものを避ける(救世49号 昭和25年2月11日) 

よく医学では唐辛子や辛子、ワサビの類を病気に悪いとして止めるが、之は実に滑稽である、勿論之等も味覚を助け胃の活動を促すに非常に必要なもので、その為神様が造られたものである
救世

輸血(救世49号 昭和25年2月11日)

元来血液とは霊の物質化であるから、出血又は貧血の場合同様霊も稀薄になるので、これを濃度にすれば血液は増量する、かような素晴しい輸血法が甚だ手近に完成している
救世

医者の遁辞(救世49号 昭和25年2月11日) 

医師が「あなたの病気は私には判らない、したがって請合う事も出来ないが、それでよければ診療してみよう」という医師は名医であるそうである、成程かような医師こそ正直で良心的であるからである
救世

霊的には無解決 二十世紀医学の誤謬  ーー「脳外科療法に革命」についてーー(救世49号 昭和25年2月11日)

 吾々は常に言う如く、癲癇や精神病は霊的疾患であるから、霊的に解決しない限り効果はない、この点判り易くいえば、悪戯いたずら小僧がワルサをするからというので、手足を縛っておくようなものである、成程それで一時的悪戯は出来ないが、その代り人間の生活行動も出来ないから、反って困ると同様である。
栄光

最後の審判とは(栄光110号 昭和26年6月27日) 

浄霊とは独り病気を治すのみではない。来るべき審判を無事に切り抜け得る資格者を作るのであるから、この仕事を知ったなら本教が如何に大きな救世的ノアの筥舟はこぶねであるかを認識されるであろう、本教の名が救世教と言うのも、右の理由に外ならないのである
大経綸

或る神秘(井上茂登吉先生)  読後のお言葉  (地上天国二十五号  昭和二十六年六月二十五日) *再掲

それは今度の事の為神様が名を付けられたのである。全く井上氏のいう如く、彌勒を生むという意味である。又小さい観音様があったのは、観音御生誕の型を神様は知らせる為であった。
地上天国

関西紀行(地上天国25号 昭和26年6月25日)

現在の京都としての優れた時代美は遺憾なく具わっているが、現代人の感覚にアッピールする生々としたものは、殆んど見られないのである。そこで私は20世紀の今日、時代感覚にピッタリした、素晴らしい芸術境を造りたいと思うのである。庭園も、建造物も勿論、何よりも世界的一大美術館を建て、将来観光外客を吸収せずにはおかない程の、力あるものをこの世界の公園として、日本の美術都市に出現させなければならないと思うのである。
地上天国

巻頭言(地上天国25号 昭和26年6月25日)

よく考えてみれば個人の病気が国に映り、それがまた世界に映るのであるから、世界が病体となっている訳である。としたら、その逆に考えてみたら直すぐ分る。即ち個人が健全になれば国家が健全になり、国家が健全になれば世界が健全となるのであるから、この理を充分知ったなら、本教のモットーである地上天国を造るには、之より外に方法のない事が分るであろう。この理によって個人々々の病気を治すだけで、その大目的は達成せられるのである
天国の福音書

悪に勝つ(天国の福音書 昭和29年8月25日)  

宗教本来の目的は、善を勧め悪を懲らすにあるのであるから、決して悪には負けてはならないのである。何となれば、善が勝っただけは悪が減るのであるから、それだけ社会はよくなるという訳で、かくして地上天国は生まれるのである。
栄光

自分の悪に勝て(栄光109号 昭和26年6月20日)

悪をさせるのは副守護神であり、善をさせるのは正守護神であるが、それ以上絶対善の命令者が本守護神であるから、結局本守護神の威力を増すようにする事で、之が根本的悪を征服する力である、
栄光

神の経綸(栄光109号 昭和26年6月20日)

即ち造物主が地球を創造された時、永遠な計画の下に設計をされた事である。恐らくそれは何百万、何千万年前の事であろうが、地球を御造りになる時、将来日本という世界的公園としての、パラダイス的土地を定められ、其条件として気候、風土、自然美等を、夫々申分なく具備され、時を待たれ給うたのである。勿論それが我熱海であり、次の箱根もその意味であり、富士山もそうであろう
栄光

医学断片集(二)、(三)、(四)、(五)(栄光147号,148号,149号,150号昭和27年3月)

赤痢の真の原因を教えて上げようと思うのである。それは薬剤を体内に入れると薬毒で血が濁る。処が現代人は頭脳を酷使するから、其毒血は頭脳へ集溜し固結する。すると浄化作用が起って、発熱と共に液体化した毒血は、下降して腸に集中し、肛門から出るのであるから、放っておけば自然に治り、予後は頭脳は明晰となり健康は増すのであるから実に結構なものであり、生命には何等危険はない
栄光

神霊医学断片集(一)浄霊の急所(栄光145号 昭和27年2月27日) 

病気というものの苦痛は、其元があり急所があるのだから、そこを発見しなければならないが、それを知らない医学は、只苦痛の個所だけを治そうとするので仲々治らず、治っても一時的で本当に治らないのであるから、右の意味を教えてやりたいと思うのである
地上天国

浄霊と幸福(地上天国34号 昭和27年3月25日)

人間は霊身が下段にある間は、どんなに智慧を振い、骨を折っても駄目である。というのは之が神の天則であって霊主体従の法則も厳として冒す事が出来ないからである。故に幸福になるにはどうしても霊を浄めて軽くし、少しでも上位になるよう心掛くべきで、それ以外に方法は絶対にないので、ここに浄霊の大いなる意義があるのである
栄光

舌に代えて*山陽地方(栄光148号 昭和27年3月19日)

愈々幸福に満ちた世界を御造りになる時期が来たのであります。そうして其構想たるや今迄の物質文化の面だけであった世界を、今度は精神文化の面をも急速に向上させ、両々相俟って愈々地上天国が出来るのであります。之について今一つの知らねばならない事は、今迄無神思想が蔓延はびこっていたので、之は物質文化を発達させんが為の或期間であったのが、之が打ち切りになって有神思想になるのであります。つまり無神有神の入れ換えになるのであります
栄光

神様が発展の調節(栄光147号 昭和27年3月12日)

本教は地上天国を造るのであるから、何よりも先ず自分一家が天国にならなければならない。それには先ず自分自身の心が天国になる事で、心の天国とは心に苦悩のない状態である。という訳で焦るのも苦悩なら、思うようにならないと煩悶する悩みも地獄であるから、少なくとも苦悩から脱却する事である。それには感謝によって苦悩を打ち消すのが一番いい方法で、つまり心の中に地獄を作らない事である
栄光

体内の入浴(栄光147号 昭和27年3月12日)

薬毒は体内へ入ると大部分は残って了い、何年、何十年経っても外へ出ないで、体内各局所に固まって了うのである。それに清潔作用が起る。それが風邪であるから、其儘放ってをけば必ず治るものを、態々わざわざ薬で拗こじらし余病を作ったり、悪化さしたりして、命迄もフイにする
救世

日本人の依存性(救世55号 昭和25年3月25日) 

この際国民一般から依存心を思いきって除く以外、最善の方法はあるまい事を警告したいのである。
救世

近頃智能犯の増加(救世52号 昭和25年3月4日)

宗教哲学の如き一部の人にだけ理解されて、大衆には理解出来ないようなものでは実際の役に立たない、どうしても奇蹟によって見えざる神の存在を認識させ得る宗教でなくては意義ない事を知るであろう。
救世

安心立命(救世52号 昭和25年3月4日)

本教に於ては階級の如何を問はず、全人類を救うのが目的であるから、現当利益は固もとより、宏遠なる理論も大衆に判り易く説くので信者は満足し、真に安心立命を得らるる
お蔭話

種子について(栄光146号昭和27年3月5日)*お陰話

自然栽培の場合、種子の無肥毒が重要であるのは、信者はよく知っているであろうが、中には初めて試作する場合、それにあまり重きを置かない人もあるようだから、大いに注意して貰いたいのである。そこで出来るだけ肥毒のない種子を選ぶ事
栄光

奇蹟と宗教(栄光146号昭和27年3月5日)

本教に於ては宗教理論としての前人未発の哲学、科学、神学等の新解釈は固より現代文化の欠陥を指摘し、新しい文化のあり方を教え新文明世界創造の指針を示しているので、寧ろ宗教以上の宗教といってもよかろう。
栄光

社会事業と宗教事業(栄光146号昭和27年3月5日)

本教に限って如何に膨大となっても、病院などは決して作らない事を明言する。この言葉は現代人が聞いたら、大いに吃驚するであろうが、言う迄もなく本教の治病力は医学よりも断然上であるからで、私が医学革命などと常に口にするのも、そういう理由がある
栄光

運命は自由に作れる (栄光145号 昭和27年2月27日)

私は運命は誰でも、自由自在に変えられるという事を教えようと思う。というのは元来運命は人間が作るように出来ているもので、この真相が分ったなら、このの世の中は悲観処か大いに楽観していいのである。
栄光

依頼心を去れ (栄光145号 昭和27年2月27日)

之も神様は都合よくして下さるに違いないと安心しているような訳で、寧ろ一種の客観的興味さえ湧くのである。之では依頼心を去れなどと言えた義理ではないが、其点相手は人間と異い神様だから、大いに楽観しているのである
地上天国

本教と文化革命 (地上天国33号 昭和27年2月25日)

只宗教家として出来る限り人類を救いたい、それが自分の天からの使命であると思ったのである。処が其仕事が漸次進むに従い、右のような大任を負わされていた事がハッキリ分ったのである。それと共に驚くべき奇蹟が続出するに従って、ここに私は一大決意をせざるを得なくなった。其最も大いなる奇蹟はこの大偉業が主の神によって、何万、何十万、否何百万年以前から、周到なる準備をされていた事である
救世

世界救世(メシヤ)教教義 (救世53号 昭和25年3月11日) 再掲

抑々、世界の創造主たる主の大神(ヱホバ)は、此地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行はせ給いつつある事を吾等は信ずるのである
地上天国

天国予言の具体化(地上天国14号 昭和25年3月20日)

何となれば『聖書』の予言も、本教がそれを具体化する事も、神ヱホバが人類愛の御心によって理想世界の建設の為、時に応じて選ばれたる人間を、自由自在に駆使せられるからである。
地上天国

何故救世(メシヤ)教となった乎(地上天国14号 昭和25年3月20日)

救世の名こそ最も相応しいが、救世教では漢字である以上、東洋的で面白くない。そこでメシヤの振仮名を附けたので、之によって東洋も西洋も合せて世界的という訳である。特にメシヤの言葉はキリストに相通じ、文化民族憧憬の名称たるに於てをやでもある
第七篇 『基仏と観音教』

序文(自観叢書第七篇『基仏と観音教』昭和24年10月25日) 

基仏の二大宗教を通じて本教を観る時、本教と時代との重要意味も判ると共に、真のその価値を見出し得るであろう。
栄光

医療と浄霊(栄光144号 昭和27年2月20日)《お陰話》

翌日より病院を止めてみました。ところが驚いた事には、何という有難さでございましょうか、毎日毎日続いていた頭痛もよくなり、ぼんやりとした気拝も夢から覚めた様な気持でございました。