御論文

栄光

医師の医学迷信(栄光117号 昭和26年8月15日) 

現代医学の可否を公平に批判する眼はなく、現代医学以上のものはないと迷信して了しまっているので他の如何なるものでも盲目的に拒否して、地獄行となるのであるから、全く憐れむべき人々である。
医学革命の書

医学は迷信なり(『医学革命の書』未発表 昭和27,28年頃)

よくもこれほどまでに科学の魔術にかかってしまったものと驚かぎるを得ないのである。この医学迷信に比べたら、宗教迷信などは物の数ではない。ではこれほどの迷信は何によって作り上げられたかというその真相を順次説明してみよう。
法難手記

或る日の公判スケッチ(昭和26年8月10日)

其様に迄して、被告人の方は偽証に引っ掛らないよう用心した位であるのに反し右の如く検察事務官の方は滅茶々々に偽証や虚偽を平気で言っても、何の尤とがめもないのだから驚いたものである。忌憚きたんなく言えば公務員は王様で、被告は奴隷といっても過言ではあるまい。私は民主国となった日本に、この様な不合理な人権蹂躪じゅうりん的行為が公然と許されるとしたら、日本の前途に対し、寒心に堪えないのである。
法難手記

序文に代えて (『或る日の公判スケッチ』”新しき暴力 付録” 昭和26年8月10日) 

小坂君が私を訪ねて参った際、私が度々公判廷に出たときの模様を話し、特に係官の非理な点に言及した処、同君より是非新しき暴力の付録として出したいとの希望があったので、この小冊子となった訳である。
栄光

宗教文明時代(下)(栄光117号 昭和26年8月15日)

斯くの如き世界の大転換は、何万年以前より神は既に準備され給うたので、言わば歴史的プログラムである。即ち、キリストの曰った「天国は近ずけり」の予言も「信ぜよさらば救われん」の警告も、この事でなくて何であろう。
栄光

宗教文明時代(上)(栄光116号 昭和26年8月8日)

本当をいえば一般人の頭脳に沁み込んでいる既成宗教観を抜いて了しまわなければ、本教の実体は到底掴つかみ得ないのである。というのは現在迄の宗教も科学も、凡ゆる文化の水準を遙かに超越している処の超宗教であるからで、適切な名称さえ見付け難いのである。強しいて言えば、まず宗教を主眼として創造される処の、宗教文明の発案者といってもよかろう
お蔭話

此奇蹟(栄光116号 昭和26年8月8日)《お陰話》神の御守護宏大無辺 牛車にて胸部をひいた子供 三日目には素足にて遊び回る

本教信者は、奇蹟がありすぎるので、馴れっこになってしまって、大抵の奇蹟は感じないようになっているが、下記の奇蹟は理屈のつけようがあるまい。
栄光

程とは(栄光116号 昭和26年8月8日)

経たてと緯よこ、即ち小乗と大乗を結べば其真そのまン中が伊都能売いずのめの働きとなるというので、之も詮じ詰めれば程の意味である、したがって人間は第一に程を守る事で、程さえ守っていれば、凡べてはスラスラとうまく行くに決っている、嗚呼程なる哉、程なる哉である。
栄光

黴菌は有難いもの(栄光115号 昭和26年8月1日)

多くの人間はつい不正や過ちを冒し易いので、その結果霊が曇り、霊が曇ると血が濁るので、それが病の元となり、苦しみとなるのだから、つまり過ちに対する刑罰という訳で、斯うしないと人間は正当に役目を果さないのみか、世の中へ害を与えるから、止むを得ず神様はそういうように造られたのである。従って人間が正しい行いさえすれば、濁血者とならないから黴菌は湧かず、病気は此世から無くなるのである。之が真理であってみれば、病菌というものは人間が作って、人間自身が苦しむのであるから、何と愚おろかな話ではないか
救世

天才児童はどうして出来るか (救世53号 昭和25年3月11日) 

霊科学から天才児童はどうしてできるかを解説すると音楽大家の霊の再生と憑依とのこの二つと思えばいい
救世

医師が電療に反対する(救世53号 昭和25年3月11日) 

名声のある博士が電気治療を否定するにも拘わらず、その部下の医者が電療を勧めるという事は、何が何だか判らない事になる。
救世

病気は果して恐ろしいか (救世53号 昭和25年3月11日)

吾等が常に言う如く神示の健康法によれば黴菌に犯されない健康人たり得る事は敢て難事ではないのである、何よりも吾々は黴菌防止手段など全然行わないに拘かかわらず、何等侵害を蒙る事はないからで、病気不安は吾々には遠い昔の事である
救世

小乗信仰(救世53号 昭和25年3月11日)

小乗信仰の如何に誤っており、時代錯誤であるかを知るべきである、又別の面から観る時、今日の宗教弘通ぐつうの上に於おいて、交通や出版術等の発達は、昔十年かかったものが一日で同様の事を為し得る以上どうしても時代に即応し文明の利器を極度に利用すべきが本当である
救世

本紙一周年に際して(救世53号 昭和25年3月11日)

いよいよ切替の時機到来ここに全人類救いの天業こそ、吾等に課せられたる大使命である以上不退転の覚悟を以て筆に口に、勇往邁進以て神命に応え奉らんと期する次第である
栄光

誰でも太れる法(栄光86号 昭和26年1月10日)

神様の救いは人を健康にするばかりか、美しくもして下さるのだから之が世間に知れ亘ったら、美人がドシドシ殖えるという嬉しい事になる、勿論健康児童も殖えるから、世間の親達は如何に喜ぶ事であろう。
お蔭話

病貧争絶無の世界は可能か(栄光196号 昭和28年2月18日) 

 本教が唱える病貧争絶無の世界は、この世智辛せちがらい世の中に果して出来るであろうかと、今の人間誰しも疑わざるを得ないであろう。処が我救世教は断じて可能であることを、力強く主唱しているのである。その生きた実例として下記の御蔭話を読めば、如何なる人でも信じない訳にはゆかないであろう
対談

本紙一年を記念して  人類幸福の道拓けん  自観教主感懐を語る (救世53号 昭和25年3月11日)

本紙一年を記念して 自観教主感懐を語る(問)本教の機関紙『光』を発刊して一周年を迎えるに先だって新たな使命のもとに改題『救世』となって意義深い一周年をここに迎えました。この一年間を通して『光』から『救世』への変転がありましたが、それ以上にず...
浄霊医術略解

薬が効かなくなった(栄光196号 昭和28年2月18日)

今はペニシリンだけだが、何れは薬という薬は全部効きかなくなるのは知れ切った話であるから、そうなったら大問題である。従ってその時の用意として、今日私は活字に舌に出来るだけ警告しているのである。この結果現代医学は、予期通り革命されなければならないのは火を見るよりも明かである
お蔭話

医学の本体(栄光195号 昭和28年2月11日) 

「理屈はぬきにまず御浄霊を戴きなさい」と熱心に奨められました。初めは私は信用出来ませんでした。それと申しますのが、何十万もの金を注ぎ込んで、なお治療出来なかったこの病気が、そんな事で治るはずはないと思ったのです。
栄光

スターリンの肚(栄光195号 昭和28年2月11日) 

併しかし斯こんな事が分るのは、スターリンと連絡があるのかと怪しむかも知れないが、私には神霊通信社から絶えず電報じゃない、霊報が来るので分るのだから、安心されたいのである。
栄光

理屈ならぬ理屈(栄光195号 昭和28年2月11日) 

人間は神様が造られた者で、学者でも技術家でも造ったものでない事は今更言うまでもない。従って病気に罹かかった場合、神様に治して戴くのが当然の理屈であって、薬や機械で治そうとするのは、丸きり見当違いである
栄光

日本は文化の組立工場(栄光195号 昭和28年2月11日)

⦿の文化が生まれたばかりの今日、段々時が熟して完全な心棒になった時廻転し始めるので、初めてそこで白色の太陽世界となり、日本から輝き始まるのである。これも私の曰う昼間の世界の始まりであり、東方の光の顕現でもあるので、これから追々分るであろう
医学革命の書

結核の病原(未発表『医学革命の書』昭和28年執筆)

従ってウイルスとは幼虫から菌になるまでの中間粒子であるから、顕微鏡では見得なくとも、確かに在る事は医学でも認めている通りである。こう分ってくると右の霊の曇りこそ、実に黴菌発生の原地である事は余りにも明らかな事実である。
医学革命の書

浄霊の原理(未発表『医学革命の書』昭和28年執筆)

彼の結核である。この原因は最初浄化発生するや、体内各部に固結せる毒素が、熱で溶けてたちまち肺臓内に滲透しんとうし、一時停滞するや、間もなく痰になって排泄される。これが自然原則であって、それを知らない医学は、一時的肺臓内に停とまっている痰を、肺から病が発生したためと誤解し、極力停めようとする
医学革命の書

Xの説明(未発表『医学革命の書』昭和28年執筆)

霊界が昼になるに従い、浄化力が旺盛となるから毒素が固らなくなる。そこで薬の毒素を益々強烈にしなければならないのは当然で、最早この限度に来ている事であって、これ以上は危険線に入る以上、固める力よりも溶ける力の方が勝つ事になるから、そうなると結核を始めあらゆる病気は飛躍的激増となり、患者と死者の増加のため、空前の修羅場しゅらばが現出する
医学革命の書

科学で病気は治らない(未発表『医学革命の書』昭和28年執筆)

人間の病気といえども、有限である科学では治し得ないと共に、無限の力によらなければ治し得ないのは明々白々たる事実である。この理によって医学の誤謬の根本は、人間と他の物質との違いさを知らないところにある。としたら、その幼稚なる未開人的といっても過言ではあるまい
栄光

霊的病気の一例(栄光194号 昭和28年2月4日)《お陰話》祖霊の導きにより救われた一家 

医者も「あなたの今度の病気は不思議です。医学では判らない」と申しております。本当に自分ながら人間業でないことをしっかりと教えられました。
お蔭話

無神論のカチカチ遂に往生す《お陰話》反対の旗頭の異名 (栄光193号 昭和28年1月28日)

この人位無神論者の代表者ともいうべき人は珍しいと思う。処がこんな人でも長い期間何だ彼かんだと言いながら、遂に信者となり、人助けまでするようになったのだから神様の力の如何に偉大であるかがわかるであろう。
栄光

スポーツマン早死の理由 (栄光193号 昭和28年1月28日)

右とか左とかの或局部に必ず毒素の固まりがある。それは何が為かというと、運動の場合姿勢が一定しているからで、その一点へ力が集るという訳で、其処そこへ毒素が集まり固結が出来るのである。私が常に言っているように、毒素は神経を使う所に寄るという意味に外ならない
栄光

風邪引結構(栄光193号 昭和28年1月28日)

人間の躰の中へ溜った汚れの掃除こそ風邪なんだから、論より証拠咳と嚏くさめは箒とハタキで、痰や水洟みずばなは塵埃じんあいでも、そうして湯で洗った汚れ水が汗と思えばいい。頭や躰の痛いのは、棒で叩かれ塵を浮かせるためだ
未発表

奉仕者型と利用者型(未発表 昭和23年執筆)

大多数の社会人は右のドッチ付かずの中間くらいであろう。ところが霊界が昼間になるに従って、中ブラ党では許されない事になり、どっちかに決定されなければならない運命が来よう。それが善悪の立別けであり、最後の審判とも言えよう。
結核の革命的療法

病原としての細菌(結核の革命的療法 昭和26年8月15日)

病原の本体である黴菌の発生源が無機質界に在るとしたら、現在の如き唯物医学では、到底病理の解明などは、木によって魚を求むるようなものである。としたら今後如何に研究を続けても、百年河清かせいを待つに等しい無益な努力でしかあるまい。
結核の革命的療法

序文(結核の革命的療法 昭和26年8月15日)

現代医学の考え方が学理に囚とらわれ過ぎ、実際を無視している点にある為で、之に目醒めない限り如何に努力を払うと雖いえども、結核は減らない処か、益々増加の一路を辿たどるのみであろう。それが為国力のマイナスは固もとより、個人としても尠すくなからぬ負担と、貴重な生命の犠牲とは、蓋けだし甚大なるものがあろう。
未発表

既成宗教を論ず(未発表 昭和23年)

ともかく仏教が相当勢力を保っているのは、日本だけという事であるから、仏教徒たるものこの際緊褌きんこん一番、大自覚の下に不惜身命の活動に入らない限り、前途の帰趨は測り知れないものがあろう。
医学革命の書

浄霊とは何か(未発表『医学革命の書』昭和28年執筆)

物の科学、霊の科学、神の科学の三段階の原則こそ大乗科学であるとすれば、これこそ今後の時代をリードすべき最高学問であるといってよかろう。ゆえに今日までの科学がいかに程度の低いものであったかは充分判るはずである。
医学革命の書

手術に就て(未発表『医学革命の書』昭和28年)

手術の進歩とは、医術の不進歩を表白する事は私は常に唱えている。従って真の医術とは、患部の機能はそのままにしておいて、ただ病気だけを除とってしまう事で、これが真の医術である。それはほとんどの病気は機能の近接部に毒素が集溜固結し、機能の活動を圧迫阻害するからであって、機能自体には関係がないのである
未発表

天降説(未発表 昭和23年 )

聖書の世の終りと言うのは、世界人類ことごとくが死滅する、しかしこれは仮死であって、千年経った時、キリストが肉体を持って天から降り、全人類を復活せしめると云うのである。私は余りの途方もない説に到底信ずる事は出来なかったが、これは聖書の文字通り直訳したためである。
栄光

大千世界と三千世界(栄光85号 昭和26年1月1日)

大は昼の世界であり三は夜の世界となるから、仏教は夜で月の教えとしたら、今迄は夜の世界であったから、三が上になっていてよかったのである。本教は昼の世界の宗教である以上、大千三千世界というのが本当である。
未発表

救世主は誰だ(未発表 昭和23年10月20日)

私が信仰生活に入って十数年を経た頃のある日、病気の根本原理と、その解決法とを知り得たのである。嗚呼、その時の私の驚きと喜びは、何人も想像はなし得ないであろう。何となれば今日までの世界の人間のうち、これ程大きな発見をしたものは絶無であったからである。いかなる大発見も大発明も、この事に比較すれば問題にはならない。実に私というものは何たる不思議な運命を持って生れたものであろう。
未発表

地上天国(未発表 昭和23年9月)

この世知辛せちがらい地獄のような娑婆世界に霊肉共に歓喜に浸り、天国のごとき生活をしているわが団員であります。この天国人が段々殖え世界人になった時、それが地上天国でなくて何でありましょう。
栄光

今年の予想(栄光85号 昭和26年1月1日)

キリストの曰いった「天国の福音を洽あまねく宣べ伝えらるべし、然しかる後末期到る」とは、此事でなくて何であろう。
栄光

年頭の辞(栄光85号 昭和26年1月1日)

最早もはや大戦勃発は決定的と見なければなるまい。実に全人類は噴火山上に右往左往しているようなものであろう。勿論、今度は原爆戦争である以上、其結果たるや果してどうなるであろうか、物質の大破壊と消耗、人類の殺滅等々、其惨澹さんたんたる様相は、到底筆紙ひっしには表わせない。此大破壊の後に来たるものこそ、吾等が唱える地上天国である
未発表

時代と宗教(未発表 昭和23年4月)

霊界の実相や、事物と霊との関係等を徹底的に解明し、神仏や祖霊に対する信仰の意義、想念の持方等を充分認識すべく教ゆるのであるから、神仏諸霊の満足と歓びをもって迎えらるる事は必定である。従って、観音会こそ今後の時代をリードすべき新宗教といっても過言ではないと思うのである
栄光

正義感(栄光240号 昭和28年12月23日)

我救世教に至っては、信者も知る如く、病貧争絶無の地上天国をモットーとしている以上、人類全体の利益が本意であるから、真の大正義の実行者である
医学革命の書

現代文化とは(未発表『医学革命の書』昭和28年執筆)

科学の驚くべき発達によって、人間はそれに幻惑され、科学をもってすればいかなるものでも解決出来るとする科学過信に陥ってしまった。それがため己れの分野を逸脱し、唯心分野の領域に侵入したので、その結果人間生命をも自由にしてしまった。この下剋上的考え方が医学を生んだのであるから、根本的に誤っている
医学革命の書

毒素とは何か(未発表『医学革命の書』昭和28年執筆)

病気の原因は体内に溜った薬毒の固結が、溶解排除される苦痛である事と、医学はその苦痛を逆解し、溶けようとする毒素を固める事であるが、それには毒を体内に入れて弱らす事である。というのは毒素排除すなわち浄化作用なるものは、人間が健康であればある程旺盛なものであるからである。そこで浄化作用を停止する事で、それには健康を弱らす事である。その理を知らない人間は、昔からその毒を探し求め飲ませたところ、躰からだが弱り、浄化が弱り、苦痛が軽減したのでそれで治ると思い、有難いものとして薬と名付け、病気の場合これを唯一のものとして用いたのである
医学革命の書

固め方法と溶かす方法(未発表『医学革命の書』昭和28年執筆)

真の病を治す方法は、右とは反対に固結した毒素を溶かして体外へ排除させる事で、それ以外真の療法はないのである。人間の本体である霊を無視し、体のみを研究して来たのであるから、一方的跛行的であって、言い換えれば肝腎な主人公たる魂を無視して、その配下共を対象とした訳である。つまり肉体は外殻で中身ではない。中身とは見えざる霊であるから、これを主としてこそ真の医学は成立つのである
未発表

悪なき社会(『二十一世紀』未発表 昭和23年執筆 )

二十世紀以前に悪が跋扈ばっこしたという原因はいかなる所にあるかというと、悪の暴露に時日を要したからである
未発表

二十一世紀(『二十一世紀』未発表 昭和23年執筆 )

鉄道汽船等は素晴らしい豪華版であるに拘かかわらず、その賃金の安い事これまた驚くべく無料同様の低賃金である。それもその筈で、これらも富豪の社会奉仕によるものである。これら数々の説明を休憩時間中に聞き、今更ながら感激した事はいうまでもない。
未発表

序文『二十一世紀』(未発表 昭和23年執筆 未完成原稿)

読者が百年間眠っていたところ、ようやく眼が醒め、それと同時にあまりに世界が変った事に驚いたのである、という事を仮定して書いたものであるから、読者はその積りで読まれたい事である
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