御論文

栄光

日本は文明か野蛮か(栄光159号 昭和27年6月4日)

真の文明時代とは之から出来る世界であって、この時代こそ全人類の待望する平和幸福な世界である。だが喜ぶべし、其時代は已に目前に迫ったのである。それは其時代を造る役目として生れたのが我がメシヤ教であるから、本教の今行っている事業を見ればよく分る。其第一着手としては、文明の裏に潜んでいる幾多の誤謬を指摘し、暴露すると共に、真の文明というものを教えているのである。故にそれを信じさせる為の手段として、神は旺んに私に奇蹟を行わせ、神の実在を信じさせているのである。こうみてくると本教は既成観念で考えるような、あり来たりの宗教ではなく、全く新しい文明世界の創造者であり、世界歴史大転換期に於ける神の一大経綸の担当者である事が分るであろう
世界救世教奇跡集

恐るべき医学迷信(世界救世教奇蹟集 昭和28年9月10日)

全く根強い医学迷信に陥っているからで、恐るべきは現在の医学迷信である。この事実にみて忌憚なく言えば、今日の時代は外容は文化的であっても、結果から言えば野蛮蒙昧時代といっても過言ではあるまい。従ってこの迷信の為に現在は固より、今後も如何に多くの病人が犠牲にされるかは到底計り知れないものがあろう。
栄光

医学断片集㈥、㈦、㈧、㈨、㈩高熱/医療/薬毒/便秘(『栄光』昭和27年)

八年間の盲が偶然治って、非常に珍らしいという放送もあって、原因は硫酸がかかって盲目になったというのだが、凡すべて病気ではなく、そういう災害的のものは放っておいても、年月さえ経てば自然に治るものである。従ってそれを珍らしいというのは、全く医学の未発達である事を示しているのである。
栄光

癌病について (栄光158号 昭和27年5月28日)

之は甚だ簡単な原因で、肉食の毒素が溜るのである。この病気が若人になく、中年以後に発るにみても分るであろう。従ってこの病気を免れるには、野菜を多く食えばいい。以前もかいた事があるが、人間は肉と野菜と半々位が恰度ちょうどいいのである。この理由はどういう訳かというと肉食は陽性食物であり、菜食は陰性食物であるから、偏かたよると天理に外れる事になる
栄光

舌に代えて (栄光158号 昭和27年5月28日)

ここで一寸ちょっと瞳について説明を致しますが、之も言霊げんれい上ヒトミとは火と水の事で、日月であり、日月は眼に相応します。又火は経に燃え、水は緯に流れるから、つまり経緯たてよこであり、この経緯が結ばれてこそ、両眼揃って完全な働きをするのであって、換言すれば経が精神文明で、緯が物質文明であるから、両文明が一致して、初めて天国世界が生れるのであります。つまり経が父で緯が母であるから、其結合によってミロクという立派な子が生れるのであります
地上天国

私の光 (地上天国36号 昭和27年5月25日)

智性の働く人なら或程度分らない筈はない。信仰的にいえば身魂相応にとれるのだから、この意味からいっても、信者は精々せいぜい身魂を磨き、曇りのないようにしておく事で、そうすれば正覚を得て私の力徳が分る
栄光

奈良美術行脚(栄光156号 昭和27年5月14日)  

そこで私が思った事は、この様に数ある古代仏教芸術を一堂に集めて、日本人にも外国人にも手軽に観られるようにしたら、どんなにか歓ぶであろうし、益する処大きいかを想像してみた事である。それと共に日本人が如何に古代から文化的に卓越せる民族であるかが充分認識されるであろう
栄光

唯物主義が悪人を作る (栄光155号 昭和27年5月7日) 

この標題は少し厳しすぎるようだが、事実であるからやむを得ないのである。というのは、唯物主義即無神主義こそ、吾々からみれば最も危険な思想であるといっていい。ブチまけていえば、若しこの世の中に本当に神がないとしたら、私なども随分人に知れないよう...
栄光

自然農法の勝利(栄光163号 昭和27年7月2日)

兎もすれば私の説を軽視し勝ちで、自分の考えが幾分でも混る為、それだけ成績に影響を及ぼすのである。例えば水田は藁を細かく切れといってあるのに、非常に長く切ったり、其土地の習慣上堆肥といっても、糞尿とか馬糞などを交ぜたがる。又指導者の中にも自分の考えが多少混る事もよくある。といったように純粋堆肥を使わない人も幾らかあるようだが、充分注意されたいのである。
栄光

大いに注意すべき事(栄光156号 昭和27年5月14日) 

之は御守に限らず、凡ての文字がそうである。というのは其上へ他の品物を載せると、霊的に大変な御無礼になるから必ず御気付けがある。何となれば一字々々に神霊が宿られているからである。その位の偉力がなければ、万民を救う事が出来る筈はないからで、つまり私の文字は生きているので、其つもりで扱うべきである
栄光

大乗愛(栄光166号 昭和27年7月23日)

単に愛といっても、小乗愛と大乗愛の区別のある事を、充分知らねばならない。そうして小乗愛の最も極端なのが、言う迄もなく自己愛で、次が血族愛、友人愛、団体愛、階級愛、国家愛、民族愛という順序になるが、ここ迄の愛は悉く小乗愛で、之は何程熱烈な愛で...
栄光

世界的丁髷時代(栄光155号 昭和27年5月7日) 

この文化的蒙昧を目醒めさせようとしては私は絶えず筆に口に、現在努力しつつあるのであるが何しろ長い間の根強い世界的迷信となっていることとて、容易な業ではない。恰度明治維新当時の丁髷連中を済度するのと同様で、今日はそれが世界的に押し拡がったのであるから、猶更始末が悪いのである。
栄光

神人合一(栄光155号 昭和27年5月7日) 

いつも言う通り私の腹には光の玉がある。之は或最高の神様の魂であるから、私の言動凡ては神様自身が、私を自由自在に動かしているのである。つまり神と人との区別がない訳で、之が真の神人合一なのである。
栄光

科学と芸術(栄光154号 昭和27年4月30日)

同じ芸術でも低いのになると、反って人間を下劣にし、堕落に導く危険さえあるので、之は警戒の要がある。そこでどうしても楽しみつつ、情操を高めるという高度の芸術でなくてはならない。処が口ではいうものの果して其様な機関があるかというと、外国はいざ知らず、日本に於ては其点洵まことに貧弱であるのは衆知の通りで、この意味に於て本教が地上天国と、それに附随する美術館を建設し、右の欠陥を補うべく現在実行しつつあるのである
地上天国

伊都能売の身魂(地上天国35号 昭和27年4月25日)再掲

成程信仰は精神的なもので、経たてであり、永久不変の真理であるから、曲げられないのはいいが、経綸の方はそうはゆかない。之は物質面であるから、時代相応に変遷するのが本当である。即ち精神物質両方の完全な働きで、即ちどこ迄も伊都能売式で行かなくてはならない
栄光

原爆恐るるに足らず(栄光153号 昭和27年4月23日)

私がいつも唱える処の霊体の真理である。言う迄もなく万有一切は霊と体との二原素から形成されているのが実相であるが、それについて特に知っておくべき重要事は、霊と物質との力の強弱である。それは体即ち物質の力よりも霊の力の方が、何倍或いは何百倍勝っているか判らない事実である。しかるに之が何故今日迄分らなかったかというと、近代文明の基本が唯物科学から出発している以上、不可視の霊の存在は到底信じ得られなかったからである。
栄光

浄化の言葉(栄光157号 昭和27年5月21日)

 本教は病気の事を浄化というが、之程いい言葉はあるまいと思う。それも嘘ではなく 本当でもあるからである。第一この言葉から受ける感じは、頗る気持がいいが、之に反し病とか病気とかいう言葉位気持の悪いものはあるまい
栄光

人を裁く勿れ(栄光157号 昭和27年5月21日)

其人こそ神様よりも人間の力の方を信ずるのだから、之程の慢心取違いはあるまい。というように我メシヤ教は最高の神様が、一切統轄なされているので、間違った人に対しては、神様は最初其人を覚らせるべく御気づけをされるが、それで覚らない時は命迄召上げられる事がよくある。
栄光

肥毒について(栄光151号 昭和27年4月9日) 

最初の中の見てくれの悪いのは、無論肥毒の残っている為であるから、そこを辛抱すれば、遂には最初から黄ばみなど少しもなく、青々とした有肥田に勝るとも劣らない姿になるが、之こそ全く肥毒が解消した為で、そうなって初めて五割以上の増産は間違いないのである。
栄光

力(栄光151号 昭和27年4月9日)

今言った処で到底信ずる事は出来ないし、神秘でもあるから、ホンの一部分だけ時に応じ、進むに従い発表するのである。之を要約すれば善言讃詞にある通りの世界を造ってゆくのである。特に一言いっておきたいのは、最大の争いである国と国との戦争であるが、之も私は時が来れば、一挙に無くす事が出来るだけの力も有もっているから、安心して貰いたいのである。
栄光

御蔭話を読んで(栄光151号 昭和27年4月9日)

一切は時期である。之も神は世界の経綸上時期が来なければどうにもならないのも、私は知らされている。幸いなる哉、愈々其時期が来たので私という者を選ばれ、其大任を委せ給うたのである。従って私は病理の本源を啓示されたと共に、治病の力も与えられたのである
栄光

幸福を生む文化(栄光149号 昭和27年3月26日)

何故真実が発見されなかったかというと、全く時が来なかったからで、時こそ絶対の支配者である。そこで神は私という者を選んで、一切の誤謬を啓示され、而も叡智否神智をも与えられたのであるから、叡智でも分らない事が私には分るのである。
栄光

科学封建(栄光149号 昭和27年3月26日)

現在の如く科学時代が生れない以前は、随分迷信が横行し社会に害毒を与えたからで、之も歴史の示す通りであって、この弊害を無くす上に科学は少なからず役立ったので、いつかしら科学崇拝が行き過ぎ、人間の魂までも占領して了ったのである。
救世

幼児の食物について(救世51号昭和25年2月25日)

凡そ食物は食べたい物を適当に食べればいいのである、故に西洋の物でも日本の物でも偏らないで、嗜好に適する物を撰べばよいのである
救世

天国は芸術の世界なり(救世51号昭和25年2月25日)

昼の世界になる以上一切は赤裸々に見え透くようになるから隠し事が出来なくなる、自然人間は悪に趣味を持たなくなるからどうしても人間の楽しみは善であり正であるという訳になる、とすればその楽しみは芸術の方向に転ずるに決っている
地上天国

文字に表われるお姿(地上天国13号 昭和25年2月20日)

之は私の書いた「光明」のお軸は単なる文字だけではない。観音様がおいでになる事をお知らせ下すった意味もある。之を多勢の人が知ると、御神体に対する考えがちがうからである。 虹は、火と水の強い場合、虹になるのであるが、観音様のお働きは火と水であるから、虹が見えるのは、自然現象の虹と同じ理由である。最初に光輪が見えお姿が見え、虹がみえるという順序も面白い。 蓮華を持っておられるのは聖観音で、仏法の御働きを表わし、玉は如意宝珠の御働きで如意輪観音である。 巻物は昔でいう六韜三略の巻で、実は経綸を書かれてある。
地上天国

医学の革命(地上天国13号 昭和25年2月20日)

現代医学は進歩せりといい、一般は進歩せりと思い切っているが何ぞしらん、進歩処か実は低迷状態に過ぎないのである。彼の紀元四百年前医聖とされていたヒポクラテス以来二千有余年を経て、今以て感冒の原因すら発見出来ないのであるから、それ以上をいう必要はあるまい。
地上天国

沢村田之助他 *壊死(地上天国13号 昭和25年2月20日)

田之助の映画を見て気が付いたのであるが同丈が*脱疽だっその為両脚を切断し、*瘭疽ひょうその為、両手の指を切断し、殆んど生きた達磨のような人間になって、尚舞台に出たという悲壮な話はあまりにも有名であるが、この手術をした医師は、之も有名な和蘭オランダの名医ヘボン氏であった事は誰知らぬものもない。従ってヘボン氏は、日本に於る外科手術の鼻祖びそとして今尚仰がれている
地上天国

薬師如来(地上天国13号 昭和25年2月20日)

仏法の存在する期間は夜の世界と私は常に言っている。したがって、その期間は火素より水素の方が多いから、毒素溶解の力が足りなかったので、固める方が有利であった。そこで毒素を固めるべく薬を服のめという訳で、彼の釈尊も薬草喩品ゆぼんという経文を説いたのである。しかし薬師如来は、物質の薬剤は良くないから、霊的薬剤によって病気治癒の御利益ごりやくを下された。ところがいよいよ昼の世界になりつつある現在、今度は毒素溶解排除手段をとられたのである。それが私の発揮しつつある観音力である。
地上天国

巻頭言 *世界メシヤ教(地上天国13号 昭和25年2月20日)

。一言にしていえば、世界の大清算であって、実に恐るべくして喜ぶべき時とはなったのである。しかしそれは恐るべきは悪人の側であり、喜ぶのは善人の側である。今日迄の長い間悪が覇張はばり、善が虐げられて来たのが、ここに一大逆転となるのである、踏み躪にじられて来た正義は、初めて華々しく報いられるのである。全人類は如何にこの聖代を待ち望んだであろうと共に、この大偉業に参加を許された吾等の幸福や、全く空前にして絶後というべきである。
救世

おかげばなし批判 科学に先行の浄霊(救世50号 昭和25年2月18日) *お陰話「毒血を排除せよ 大浄化で安産できる」

下記の患者は最初脳膜炎であって激しい嘔吐はその為である、すべて脳に関する病気の重い軽いは嘔吐の回数で判断するのが一番正確である、先まず二、三回位の嘔吐ならいいが、五、六回以上は生命の危険信号と思っていい、この患者などは医療のみをしたら、死はまぬかれなかったであろう、
救世

新宗教に正信はないか(救世50号 昭和25年2月18日)

本教が発揮する神霊の力の如何に画期的なものであるかを知り得るのである、勿論その時期も迫りつつある今日、信者諸士に於ても最後の大活動を期待するので、それには何よりも神書を出来るだけ拝読し、御魂を磨かなければならないのである。
救世

消化に就て (救世50号 昭和25年2月18日)

食物は消化の良い物も悪い物も巧くとり交ぜて食うべく神が造られたのであるから、消化不消化など問題にせず、喰べたい美味い物は何でも喰い、半噛み位にすれば胃の病など絶対起らない事を保証する。
救世

抵抗力(救世50号 昭和25年2月18日)

抵抗力があるから病気に罹るのである、言う迄もなく抵抗力とは浄化作用であるからである
救世

我を去れ (救世50号 昭和25年2月18日)

我を出さない事と、素直にする事と、嘘をつかない事が先まず信仰の妙諦である。
救世

再び借金を論ず (救世50号 昭和25年2月18日)

凡すべての事業は、借金政略で最初から大きくやる事がいけないのである、どこまでも堅実に小さく始めるべきで、どこまでも自力本位である、随而他力を蔑視し彼かの「天は自ら助くるものを助く」という事を信条とし、焦らず撓たゆまずコツコツ主義で努力を重ねるとすれば必ず予想外な好結果を得らるる
栄光

浄化の言葉(栄光157号 昭和27年5月21日) 

本教は病気の事を浄化というが、之程いい言葉はあるまいと思う。それも嘘ではなく本当でもあるからである。第一この言葉から受ける感じは、頗る気持がいいが、之に反し病とか病気とかいう言葉位気持の悪いものはあるまい
救世

救世(メシヤ)教の名について(救世50号 昭和25年2月18日)

いつも言う通り、私は神の啓示によって具体的に表わすのであるから救世(メシヤ)教の名もそうであって、神様から救世教の名の啓示があったのである
救世

善を鼓吹する新聞(救世50号 昭和25年2月18日) 

昔から悪事千里といってどうも悪の方が早くも知れ、拡がりもするのである、新聞記事なども善い記事は読者の興味を引かない、悪い記事程人の目を引く
救世

辛いものを避ける(救世49号 昭和25年2月11日) 

よく医学では唐辛子や辛子、ワサビの類を病気に悪いとして止めるが、之は実に滑稽である、勿論之等も味覚を助け胃の活動を促すに非常に必要なもので、その為神様が造られたものである