御論文

第十篇「神示の健康法」

日本人と精神病 (自観叢書十 昭和25年4月20日)再掲 

右の如く法規の力が前頭内に光ってゐるとすればそれを識ってゐる憑霊は、そこを占有することが出来ないが、一旦霊が稀薄になった場合邪霊は得たりかしこしと憑依する。稀薄といっても厚薄の差別があり、その差別通りに活動する。例えば、前頭部の霊の充実が十とすれば、憑霊する事は全然出来ない。九となれば一だけ憑依出来る

神無月(光28号 昭和24年9月24日) 

素盞嗚尊は朝鮮から渡来し覇権を握ったのである、早くいえば其当時朝鮮が日本を支配した訳である、それがため毎年十月出雲大社の裏手にある日ひの御崎みさきから、船で故郷へ帰られ一カ月後再び日本へ帰還する事となっていた

迷信と科学(光28号 昭和24年9月24日) 

科学で解決されない事が余りに多い結果、迷信に走るという結果になるのであるから、全く迷信は科学が作るといっても、否とはいえないであろう。

生活を娯しむ(楽しむ) (光27号 昭和24年9月17日)

目下欧米各地の民衆は戦争に懲々こりごりし、戦争を避けるに懸命で、畢竟ひっきょう、生活を楽しむという事に目標を置いているという事だ、この生活を楽しむという言葉は、所謂いわゆる、みろくの世の実相であって、吾等の理想でもある

眼を洗う(光26号 昭和24年9月10日) 

眼は涙と粘膜で常に洗われている、之は水や布切より何層倍上等のものだか判らない。

薬剤亡国論  薬毒怖るべし(光26号 昭和24年9月10日) 

各界の有名人が近頃のように次々死ぬのは全くこの薬剤中毒が最大原因である事は一点の疑うたがいない事実である、右の記事にもあるように、薬剤の効果は一方に良ければ、他方に悪いという訳で、それが終ついに中毒化し薬剤が放せなくなる

幸福の秘訣(光29号 昭和24年10月1日)

みんなが気を揃えて善事を行ったとしたら、国家も社会もどうなるであろうかを想像してみるがいい、先ず世界一の理想国家となり、世界中から尊敬を受けるのは勿論である、その結果あらゆる忌はしい問題は解消し吾等が唱える病貧争絶無の地上天国は出現し人民の幸福は計り知れないものがあろう事は、大地を打つ槌つちは外れてもこれは決して外れっこはない。

或質屋の話(光26号 昭和24年9月10日)  

実際上現代医学はその点忌憚なくいえば病気を治癒する力はないのだ、吾等が常に言う如く、医療は一時的苦痛緩和だけの効果で、その苦痛緩和の方法が、実は病気増悪の原因となる事など全然知らないのだから問題は重大だ。

算盤を無視するな(光26号 昭和24年9月10日) 

大は国家の政治から小は個人の事業に到るまで、算盤を疎かにしては、決してうまくゆく筈はないのである。米国の今日あるは、全く指導階級が算盤に堪能なる実業家出身である事が最大原因であろう。

月世界(光25号 昭和24年9月3日)

月世界はあるか?

厄介な世の中(光25号 昭和24年9月3日)

一体世の中に完全なものがあるであろうか、どんなに良いものでも十のものなら九つ良くて一つ悪いという事はやむを得ない事である、それを九つの良い事を蔽おおいかくして一つの悪い点を全部かのように思わせるような悪宣伝をする者もある

美人になる法(光25号 昭和24年9月3日)

健康美だ、血を浄める事だ、之が真の美だ、其方法は本教浄霊を受けると共に薬を服のんだり用いたり絶対しない事だ、女の皮膚が艶がなく老人のように萎しなびていたり血の気がなく青膨あおぶくれのようなのはみんな薬剤多用の為だ、之を隠そうとして今日の女性は無暗に化粧品を使うのだ、勿論心も美しくなければ真の美人とはいえない、
第十二篇「自観説話集」

主の字(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)再掲

「主」の字は、天地人、日月地、五六七、神幽現を表し、経済・政治・教育宗教など万事の正しい順序の象徴である。東西思想の融合を象徴しており、人間界の調和と天地の結び付きを示す。神や仏の概念も結びの概念を内包しており、すべては三段階構造で成り立つ。主の字の首脳者が座る形は破綻なき運営の象徴である。

社会不安の真因 (光25号 昭和24年9月3日)

もし真の人間でありとすれば、檻など必要としない社会が生まれるべきだ、どんな所へ放り出しても決して悪い事はしないという人間こそ、人間としての資格者だ、文化が何程進歩しても、道義の頽廃が依然たる事実は檻を破る手段が防ぐ手段に勝っているからである、吾等がいつも言う処の今日の文化は唯物主義のみ発達した跛行的文化というゆえんである。
栄光

植物は生きている(栄光220号 昭和28年8月5日)

私は庭の植木を手入れするのが好きで常に枝を切ったり形を直したりするが、時にはうっかり切り損そこなったり切りすぎたりする事が間々ある。又木を植える場合、場所の関係もあって、止むなく気に入らない所へ植える事もあり、周囲の関係上、木の裏を表へ出したり、横向きにしたりするので、その当座見る度毎に気になるが、面白い事には時日が経つに従い、木の方で少しずつ形を直すとみえ、いつかはその場所にピッタリ合うようになるのは実に不思議で、どうしても生きているとしか思えない。全く樹木にも魂があるに違いない
救世

病気とは排毒作用(救世57号 昭和25年4月8日)

今日至極簡単な病気でさえも容易に治らないのは逆療法によるからである、事実、吾等からいえば、病気なるものは、洵まことに容易に治るものである、それは神が与えた清掃作用である以上、不純物が或程度溜れば人間自身が持っている良能力の活動が発生し治るからであってみれば、殆んどの病気は、何等の手当もせず自然に放任しておくだけで速かに治癒するのである
地上天国

私が神様を拝まぬ理由(地上天国43号 昭和27年12月25日)

神様は最初地球を造る時から、全世界隈なく救世教出現に対する準備をされた事で、之こそ一点の疑う余地はないのである。以上思いのままをかいてみたが、余りに自画自讃にすぎるので記かき辛いが、そうかといって一応は知っておかねば、今後出て来る私の経綸の余りにドエライので、見当のつかない事もあろうと思うから、予め概念を得させようとここにかいたのである
栄光

本能主義と禁欲主義(栄光188号 昭和27年12月24日) 

つまり決めないと思う心が已に決めている訳であるから、決めてもいけず、決めなくてもいけず、といって中途半端でも不可ないという実に曖昧模糊あいまいもことしているようで、実はこれが厳たる法則であり、ここに世の中の面白味があるのである。つまり応変自在、自由無碍の境地になればいいので、要は一切に捉われないことである。観世音菩薩の別の御名無碍光如来も、それを表わされているのである
栄光

本教信者の幸福(栄光188号 昭和27年12月24日)

病人が減らないのは現代医学に一大欠陥があるからで、病気なるものの真の原因が全然判っていず、療法も知らないのであるから驚くべきである。では一体病気とは何ぞやというと、答は至極簡単である。それは体内にあってはならない毒物の排除作用の苦痛であり、毒物とは薬であるから、病気程結構なものはないのである。このことが肚の底から分りさえすれば、病気を心配する処か風邪引き結構、腹下はらくだし結構、黴菌は有難いものという訳で事実病気の度毎たびごとに健康は増し、遂には黴菌が浸入しても発病しないという健康者になるのは勿論である
栄光

善意の罪悪(栄光187号 昭和27年12月17日) 

現代医学こそ世紀における驚くべき謎で、忌憚きたんなくいえば善意の罪悪といっても否めないであろう。
栄光

信仰とストライキ(栄光187号 昭和27年12月17日)

私が今かいている『文明の創造』なる著書であるが、これは前記の如く今日迄の外形内貧の文明を揚棄し、当然生まれるべき真文明の設計構想を指示したものであるから、完成の暁全世界の有識者に読ませ、大いに啓蒙せんとするのが目的である。
栄光

医学は科学?(栄光186号 昭和27年12月10日)

前記の如き黴菌の発生原である無に等しいXの解消が可能であるからである。一言にしていえば病気の本原を解消する方法を発見したのであるから、これこそ真の医学でなくて何であろう。しかも理論からも実際からも証明出来るのである以上、真の科学であるから私が常に唱えている如く、現代医学は科学ではなく推理的産物であり、迷信であるというのである。
栄光

安心立命(栄光186号 昭和27年12月10日)

真の健康人にならなければ、絶対安心は出来ないのは言うまでもない。しかし世人はそんなことは到底出来ない相談でしかないと思うであろうが、それが立派に出来るとしたら、大変な福音ふくいんであろう。処が必ず出来るのだから大したものである。その為に現われたのが我救世メシヤ教であり、救世教を措いては世の中に決してないことを断言するのである。
栄光

医学療法と信仰療法(栄光186号 昭和27年12月10日)

世間こういう人がよくある。もしそんな事で病気が治るとしたら、医者も薬もいらないではないかと言うのである。全くその通りで医者や薬が無くなったら、世の中に病人はなくなると答えざるを得ないのである。以上の如く現代医学こそ、世界的迷信の最大なるものであって、人類から病を無くすとしたら、何よりもこの迷信を打破することこそ先決問題である。 
未発表

頭を新しくせよ(未発表、昭和27年1月7日)

  このように見てくると、すべてが古くて黴かびが生はえて腐敗し、埃ほこりで埋まっているといってもよく、手がつけられない有様だ。これら一切の原因を考えてみると、全く唯物思想一点張の結果であるのは言うまでもないが、この思想こそもう古いものであるが、仲々これに気の付く人が少ないので、わざわざ地獄文明を作って、その中で喘あえいでいるのであるから、どうしても本当の新しい文明教育をしなければならないので、私はそれを信条として進んでいるのである。
栄光

医療とは(栄光185号 昭和27年12月3日)

医学が益々進歩する程、病気の種類も増え何処も彼処かしこも病人だらけである。何よりも薬の新聞広告をみても分る通り、デカデカな広告を出しても、割に合う程病人が多い訳である。従って真に薬が効くものなら段段病人が減ってゆき、遂には薬の広告主もなくなり、お医者さんは飯が食えず、病院は閉鎖する事にならなければならない。
栄光

新しい愛国心(栄光185号 昭和27年12月3日)

「冗談じゃない、正に神風は吹いたじゃないか、君等は神風を間違えていたんだ。本来善を助け悪を懲らすのが神様の御心なのだから、日本の方が悪である以上負けたのは当然である。だから寧むしろろ有難い位で、お祝いしてもいいんだが、そうもゆかないから黙っているだけの事で、何いずれは分かる時が来るだろう」
栄光

活字の浄霊(栄光184号 昭和27年11月26日)

私のかいた文章を読む事によって、目から浄霊を受けるのである。ではどういう訳かというと凡ては文章を通じてかく人の想念が其儘まま映るものであるからで、この点充分知らねばならないのである。之を霊的にみれば、つまりかく人の霊が活字を通して読む人の霊に通ずるので、この意味に於て私がかく文章は神意其儘であるから、其人の霊は浄まるのである。
栄光

爆弾を抱いている現代人(栄光184号 昭和27年11月26日)  

只最後の断末魔が来た時、「ヤッ了しまった、アレ程知らされていたのに俺は何たる馬鹿者であろう」といって臍ほぞを噛かんでも追っつかない。故に助かりたければ今の内だ。ではどうすればいいかというと、大して難しい事はない。つまり一遍に毒が溶けるから命が危いのだから、なしくずしにすれば助かる。之が本教の浄霊法であるが、併し余りに簡単すぎるので、反って信じ難い点もあるし、それだけ価値もある。だが霊界の浄化が一日一日強くなる以上、遂には医療でも固まらなくなる。だから一刻も早く目をさまし、本教へ来る事である。以上を一言にしていえば、現代人は全く毒の爆弾を抱いているのである。
栄光

平和主義を考えてみる(栄光184号 昭和27年11月26日) 

絶対軍備反対であると称し、頑として諾きかないので手が付けられないらしい。成程それも間違ってはいない。確かに信仰の筋道からいえば本当であるが、といって万一国が滅びるとしたらどうであろう。無論信仰を続ける事は出来まい。従って右のような極端な非戦主義は戦争敗北主義であり、自殺主義でもある。
地上天国

昼夜の大転換を証明する 仏界諸聖霊の告白(三)(地上天国43号 昭和27年12月25日)

その隙に乗じて黒龍が憑って苦しめに来たり、また子供にも猫が憑って来ては呼吸を止めようとしたり、中々執拗に邪魔して来て、明主様に御願いすれば離れますがまたすぐやって来るので実に厄介です。特に黒龍、赤龍が.そうで、また生霊いきりょうもあるので始末が悪く、色々苦しめられましたため、仏霊も出られず、そのままになっておりましたところ、電報にて、御呼出を受けましたので,浄霊おくれましたが、十九日に御報告させて頂きました。二十一日帰宅致しましたら、早速また出られましたので、第三回目の御報告をさせて頂きます。
地上天国

明主様の御西下に就ての神々の願い(地上天国42号 昭和27年11月25日)

家内浄化中明主様の御西下に際しまして、またまた各神霊が出られるようで、この度は五十柱位のように家内に感じさせられたそうです。その後神霊が憑って来ますが、浄化中だからと帰ってもらっておりました
地上天国

昼夜の大転換を証明する仏界諸聖霊の告白㈡(地上天国42号 昭和27年11月25日)

先日日蓮が出られそうでしたが、何故か完全憑依出来ず帰られましたので、尊海氏に聞きましたところ、日蓮は主神の御許しを受けて来られなかったために、家内の正守護神に帰されたのだそうです。そのため今度尊海氏が出られる事を知ってすがって来られた由にて、涙を流して左記の通り述べられました
地上天国

邪神と没落(地上天国10号 昭和24年11月20日)

処がここに何人も警戒しなければならない一大問題がある。それは邪神に加担したものは、最後の審判の場合、永遠に滅ぶる運命者となるのである。故に愈よとなるや、何程後悔しても先に立たずで、滅亡するのは必定である。随而何よりも今の中うち悔悟遷善し、神の大愛に抱かれ、悪から脱却し、善人の仲間に入り、歓喜の生活者となって永遠の生命を得なくてはならないが、それを吾等は奨めてやまない所以である。
地上天国

最後の審判 (地上天国42号 昭和27年11月25日)

今後の神様の活動によって、悔改める人間が多くなれば、其その様な極端な方法は必要がないからそれでいいが、そうでないとすれば止むを得ず徹底的に裁かれる事になるのであるから、この結論は人間次第という事になる
栄光

黴菌人間(栄光183号 昭和27年11月19日)再掲

現代人が最も怖れているのは、病原としての黴菌であろう。では一体黴菌なるものの発生は、何が為であるかというと、全く人間の健康上必要なものであるばかりか、それを作るのが人間自身であるから、驚かざるを得ないのである
地上天国

明主様の御西下に際し再度起きた神霊誌(地上天国38号 昭和27年7月25日発行)

この度の御出迎いは上の神様より御許しの出た神々で、御許しはメシヤ教に御協力しておられる神々、あるいは今度の御出迎いの御面会を機会に今後御協力なさる神々だそうです。それに今年は伊邪奈岐伊那奈美之命様以前の神々も出られました。特に四、五柱出られて後国常立くにとこたち之尊様の御出ましあり、「全部記録して報告せよ」との御神示を賜わりましたので、以下記録のまま御報告申し上げさせて頂きます
栄光

太陽の救い(栄光183号 昭和27年11月19日)

小乗信仰は厳しい戒律があるので、それに縛られて苦しむのを行としている。之等は神の愛を拒否する事になり、気の毒なものである。之を私は信仰地獄といっている。処が本教は反対で、殆んど戒律がないから極めて自由であり、人生を楽しむ事を神の恵みとしているから、之こそ天国的信仰といえよう。以上の如く大乗的本教には宗教、哲学、政治、経済、教育、芸術、医学等々、人間に必要なものは悉く包含されており、恰度ちょうど太陽が凡ゆる色をコントロールして白一色である如く、本教は昼の宗教であり、太陽の救いである。
お蔭話

医学被害者の例(栄光182号 昭和27年11月12日)《おかげ話》医師より不治と謂われた重症喘息も斯く癒さる

御蔭話は、誤れる医学の犠牲者にされた事が、余りにハッキリしている。之について思われる事は、軍隊に入り出征した人々は、如何に健康であっても、除隊後必ず何等かの病気に罹るのは、例外のない事実である。というのは出発の際必ず種種の注射を受けるのでその薬毒が原因であるのは言う迄もない
栄光

健康は一切なり (栄光182号 昭和27年11月12日)

己れの野心を遂げようとする反面、多数の人間を犠牲にするので、実に無慈悲である。如何に英雄でも精神に欠陥があるからであって、一種の精神病者である。又自分さえよければ人はどうでもいいという愛も慈悲もない利己一点張の人間も、ヤハリ精神の何処どこかに欠陥があるからである。面白い事には私が長い間の経験によって分った事だが、精神に欠陥のある人は必ず肉体的にも欠陥がある。処が英雄でも悪人でも、非常に健康な人があるのは、多量の毒素がありながら、非常に強く固まっている為である。
栄光

宗教以上のもの(栄光194号 昭和28年2月4日) 

今日までこれ程の治病力を発揮した宗教はなかったし、又美術館を建てたり、農事改良なども例はない。そうして文学、芸術、政治、経済、哲学、科学等何も彼も人間に必要なものは包含され、根本的に教え諭して実行している。このような訳で御説教は本教の一部であって、而もその説く処前人未見のものが多いので、この点特に注目されたいのである。というように本教の経綸を一口に言えば高度の今日までこれ程の治病力を発揮した宗教はなかったし、又美術館を建てたり、農事改良なども例はない。そうして文学、芸術、政治、経済、哲学、科学等何も彼も人間に必要なものは包含され、根本的に教え諭して実行している。このような訳で御説教は本教の一部であって、而もその説く処前人未見のものが多いので、この点特に注目されたいのである。というように本教の経綸を一口に言えば高度の文化事業である。
栄光

大恐怖時代来らん(栄光194号 昭和28年2月4日) 

御自分及びその信徒が救われねばならないから、近来私に対して後から後から歎願に来る有様で、これにみてもその辺よく分るであろう。成程凡なるほどあらゆる宗教は今までの世界が続いているとしたら、それ相応の役には立つが、愈々世界大転換という空前の事態となった以上、既成文化は一度は破局的運命とならざるを得ないからである。それと共に万教帰一の時となるので、茲に一切の宗教は一団となって、本教を中心に人類救済は固もとより、地上天国建設に協力する事になるのである。
東方の光

東方の光 (栄光182号 昭和27年11月12日)再掲 

今から約二千年前位と思うが、ヨーロッパの一隅から東方の光という言葉が生れ、段々拡がって今日は世界中知らぬ者はない程であるが、今日迄此言葉の意味が本当に 分らなかった為、今尚謎のまゝになっているのであるが、私は之に就て真の意味を知らせようと思うのである。
未発表

分り易い話(未発表、年代不詳)

人間の生命は神が造ったものであって、科学で作ったものでない事は、誰でも考えられるであろう。としたら前者は人智でも解し得ない神秘力であり、後者は機械力であるから問題とはならない。従って生命に関係ある病といえども、神に治して貰うのが本当で、科学に持ってゆくのはお門かど違いもはなはだしい事も分るであろう。としたらこれほどハッキリした理屈はあるまい。ところが昔からそれに気が付かないところに不思議な点がある。何よりも今以って病を科学で治そうとしている事で、全く盲の世の中というより外に言葉はない。この盲の眼を開眼するのが私の仕事であって、その方法が光である
未発表

一人対一人では駄目だ(未発表、年代不詳)

本教の病療法は素晴しい医学には違いないが、吾らの終局の目的は、天国的理想世界を造るにあるのだから、肉体の健康のみでは本当ではない。肉体の健康と共に精神的健康たり得なくてはならない
地上天国

運命は自由に作られる(地上天国41号 昭和27年10月25日)

凡すべての悩み苦しみの因は悉く浄化作用である。譬たとえば人に瞞だまされ損をする、火事で焼ける、怪我や泥棒、家族の不幸、商売上の損や失敗、金の苦しみ、夫婦喧嘩、親子兄弟の仲違なかたがい、親戚知人との争いなど何も彼も浄化作用である。この様に普通浄化作用といえば苦しみで曇りを除るより方法はないから、曇りがあるだけは免まぬがれる事は出来ないので、曇りを減らすのが開運の絶対的条件である。つまり或程度魂が浄まれば、浄化の必要がないから不幸が幸福に変る事になる。之が真理であるから、運は寝て待てではなく、運は浄めて待てというのが本当である。
栄光

昼の世界に転換の科学的証明(栄光179号 昭和27年10月22日) 

無論火素といっても本来霊的であるから、体的熱量はないと思うであろうが、或程度の体的熱量はあるので、何よりも私の浄霊である。信者数百人に対し十分乃至ないし二十分浄霊する場合、中には非常に熱くなって、汗ダクダクになる人さえよくあると共に、冬など私の部屋へ入ると暖かいとよく云われる事がある。処が火素の増量は独り病気に限らず凡ゆる面にも影響を受けるのであるから、之が世界的クライマックスになった時が世の終りである。之についても大いに神秘があるがまだ時期が早いから、何れ発表するつもりである
お蔭話

霊的治病 (栄光178号 昭和27年10月15日) 《お陰話》「医師から死を宣告された婦人三日間に亘る痙攣から救わる」

今日迄如何なる宗教と雖いえども之程まざまざと而しかも短時間に大きな利益を与えられた例は、本教信者以外ないであろう。従って本教の病気治療は、科学的には毒素の排除療法であり、宗教的には霊の解決法であるから、つまり宗教と科学と両建りょうだての救いであって、完全なる救いというべきである。
栄光

今や亡びんとする日本画(栄光178号 昭和27年10月15日) 

翠竹野雀 昭和8 – 9年(1933 – 34)頃 竹内栖鳳 私はこの間目下開催中の院展並びに青龍展を観た結果、其感想をどうしても記かかずにはおれないので、ここにかいてみるのである。まず院展であるが、会場へ入るやオヤッと思った。之は間違った...
医学断片集

医学断片集(20~24)*塵芥溜には虫が湧く/薬と名の付くものは全部麻薬なり/神経とは/手当(栄光173,174,176,185,187)

人は麻薬というと、非常に恐ろしいもののように思っているが、実は薬と名の付くものは、全部麻薬である事の意味をかいてみるが、之は誰も知る如く初め麻薬を用いるや、頭脳は明晰となり、爽快感が起るので、段々癖になって了しまうので、之が中毒である。処が実は凡ゆる薬も同様であって、只麻薬と違う処は、麻薬は即座に効き目があるが、外の薬はそうはゆかないで、言はば長持がする只それだけの異いさである