出版別御教え

大経綸

御教え集28号 昭和二十八年十一月十日  京都劇場

庭園も、兎に角京都の古い時代からのいろいろな形以外——そうかと言って西洋のガーデン風では全然合いませんから——新しい感覚を十分表現し、そうして京都のいろいろな特色を十分に発揮したものを造ろうと思って考えています。五回の収穫による考えはそういうところに来たわけです。
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霊と体 (世界救世教奇跡集 昭和二十八年九月十日)

一切万有は霊主体従が原則であるとしたら、本著にある幾多の奇蹟もこの理が分れば敢えて不思議はないのである。例えば危機に際し間髪を容れず難を免れたり、高所から墜ちても疵(キズ)一つ受けず助かったり、博士や大病院から見放された重難症患者でも、難なく治るという事実である。
2020.09.30
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霊主体従 (世界救世教奇跡集 昭和二十八年九月十日)

現代科学といえば勿論唯物科学であり、唯物科学とは目に見え、手に触る る形あるものを対象として研究し進歩したものであるから、凡ゆる物象の表面だけが或程度判ったに過ぎないのであって、その内面に存在する重要な或物に気附かなかったのである。この或物とは何かというと、これこそ無に等しいもので、名附けて霊という。この霊なるものこそ凡ゆる物象の主体であって、この事の認識が出来ない限り、何程科学が進歩したといっても、それは半分の進歩であり、跛行的でしかない
2020.09.29
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奇蹟とは何ぞや (世界救世教奇跡集 昭和二十八年九月十日)

我救世教に至っては、奇蹟の多い事は恐らく世界に例があるまい。全く奇蹟の宗教といってよかろう。そうして社会一般の通念からいえば、信仰心が強ければ強い程、奇蹟的現当利益に富むとされているが、その点本教は大いに異っており、寧ろ反対である。というのは最初から神を否定し、何程疑っても必ず奇蹟が起るのである。
大経綸

「世界救世教奇蹟集」 序文 (世奇 昭和二十八年九月十日)

この著は科学に対する原子爆弾であり、現代人に対する啓蒙書であり、天国の福音でもある。今その理論を説くと共に、裏附けとして我救世教に於ける数多くの奇蹟中から、百二十例を選んで載せてあり、これを読むとしたら余りの超現実的なものばかりで、直ちに信ずる事は出来ないであろう。何となれば古往今来これ程素晴しい奇蹟が多数ある例はなかったからである。
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御教え集25号 昭和二十八年八月五日 ※「医学革命の書」

ですから教師などは病気に対する知識をできるだけ磨くようにしなければいけないと思います。それで今書いている「医学革命の書」は心血をそそいで書いているので暇がかかりますが、これは将来世界的の聖書みたいにするつもりです。つまり医学の革命という事を、現代のどんな人が見ても“なるほど”と思わざるを得ないように徹底的に書こうと思ってます。
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御教え集25号 昭和二十八年八月十六日 ※睾丸が落ちて後から元通りに生えた子を医学博士七人が診察

お医者さん以外の他の人達はよく分ったらしいのです。お医者さんも分ったらしいのですが、分ったとは言い難いので、分ったとは言わないのでしょうが、とに角そういったお医者さんが此処に来て私の話を聞くという事だけでも大したものです
2020.09.23
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超奇蹟 (世界救世教奇跡集 昭和二十八年九月十日)

この御蔭話の奇蹟は奇蹟以上の奇蹟であって、恐らくこれ程の超奇蹟は人類史上空前であり、医学関係者は固より、普通人が読んでも只唖然として言葉も出ないであろう。これこそ世界的大問題として取上げてもいいと思うのである。私はこれを読みつつ驚きと共に涙が溢れて来てどうする事もならなかった。若しこれが宗教でなく医学上に起ったとしたら、新聞はデカデカとかき、社会的大きな問題とし、問題になるであろう。処が悲しい哉、これ程偉大なる奇蹟も本教信者以外に知られないとしたら何としても残念である。
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此事実を何とみる (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

私は医学者でもなく、医学を学んだ事もないに拘はらず、病気に関する一切は神示によって根本的に知り得たので、前述の如く現代医学が如何に邪道に陥っているかが明かに判った以上、その是正こそ人類救済の第一義として私をして病無き世界を造るべき大使命を神から委任された事を深く思うのである。
2020.09.20
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おかげ話から何を掴んだか (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

実地に当って深く研究を進めれば進める程、現代医学が如何に邪道に進みつつあるかを痛感するのである。随而之に目覚めない限り医学が如何に努力し研鑚を積めるとも、結果からみて何等の進歩もなく百年一日の如く堂々めぐりしてゐるに過ぎないのである。何よりも現在見るが如く病者の氾濫と健康状態の不良である。即ち一方の病気が減れば他の一方に新しい病気が発生するというような現実は常にみる処である。
2020.09.18
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栄養の喜劇 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

前述の如く未完成食物を喰ひ、完全栄養素に変化させるその活動こそ人間生活力であるという事を、機械製造工場へ例へてみよう。

薬毒 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

医学では副作用のある薬毒もあるにはあるが、薬毒は凡て消失するといふのであるが、之程の間違ひはない。それは薬毒発見までに医学は進歩してゐないからである。何となれば、人体の消化器能は天与の食物のみに限定されてをり、それ以外の異物は処理されないように出来てゐるからである。実に造化の妙は自然の二字に尽きる
大経綸

御講話(昭和二十五年八月一日)「一厘の種」

小乗的考えは全然間違ってはゐないが、或程度に限られたものである。大乗は決して間違いない。表面や上面を見て判断すると間違ふ、すべては世界的になった。故に大乗でなくてはいけない。地方的、国家的のものは争いの元になる。最初から世界的考えでなくてはならぬ。凡ゆるものは世界的、大乗的になってゐる。国家的考えはすでに時代的ズレを生ずる
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御教え集13号 昭和二十七年八月二十七日 ※御教えの取り違え

病気に対して注意したい事があるのです。それは、私の言う事を非常に大袈裟に考えたりするきらいがよくあるのです。よく聞く話ですが、例えてみれば私が「人間は無理をした方が健康を増す」という事を言うのですが、之は健康な場合はそうなのです。つまり無理をした丈――丁度スポーツマンがレコードを作る様なもので、あれは無理をするので段々レコードが増していくのです。
2020.09.10
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真の健康と擬健康 (自観叢署十 昭和二十五年四月二十日)

誤謬から出発した医学は、全然病気の真因も健康の要諦も未知であるから、病理の説明などは全然コジツケとしか思えない。即ち漢方医学に於ては、病気とは五臓六腑の不調和からといひ、西洋医学は「黴菌の侵犯である」とされてゐる。
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人間は健康の器 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

よく昔から人は病の器などと謂うが、之ほど間違った話はない、吾等はこれを訂正して人は健康の器なりというのである。前項に述べた如く元々人間は健康に造られたものであるからである。処が実は病なるものは人間に附物で、どうしても解決出来ないのが現実で、やむを得ず宿命として諦めて了ったのである
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健康の真理 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

健康を説くに当って第一に心得るべき事は、健康の真諦は自然順応であり、自然尊重である事である。それに就て先づ考ふべき事は、造物主即ち神が人間を造られた御目的は何であるかといふ事である。吾等の解釈によれば、それは真善美の完き世界を造る事である。といっても斯んな途方もない説は容易に受入れ難いであらう。
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医学の誤謬 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

現代医学の病気の解釈は、驚くべき程の過誤に陥ってゐる。何よりの證拠はこれ程医学が進歩したというに拘はらず、感冒の原因すら今以て判明しないというに於てをやである。此事から順次詳説してゆくが、元来病気なるものの原因は実は自然の生理作用で、此理は凡ゆるものに共通してゐる。
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観音講座 第三講座より ※伊都能売とは円満滑脱である(昭和十年八月五日)

玉の横の丶を上に掲げると主になる。玉の字は非常に貴い字である。伊都能売とは円満滑脱である。玉はくるくる自由自在にどちらへでも転んで行く。神様に角があっては善良な神様とは言えぬ。丸くならねばならん。丸いから転るのである。自由無碍に転るのである。
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地球は暖くなった (栄光 百九十号 昭和二十八年一月七日)

 これについて私は廿数年前から唱えて来たのだが、勿論それは霊界のことであって、何千年来夜であった世界は、約百年前から明らかに昼の世界への転換が始ったことである。そうして夜は月の精であるから冷いが、昼は太陽の精であるから暖いに決っている。勿...
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