『自観叢書』第3篇 「霊界叢談」 を掲載しています。 ▶️

御教え集16号  昭和二十七年十一月六日   

     此間京都に行く時に、名古屋で東方の光という事について一寸話したのですが、それを書いてみたのです。これは大変参考になる事です。

     御論文〔⇒東方の光〕【註 栄光一八二号】

     この事は一番肝腎な事でして、之については色んな神秘があります。乾坤山日本寺ですが、日本寺に行った人は分りますが、山の上に石仏が沢山あります。達磨、観音、釈迦、阿彌陀、釈迦の十大弟子から羅漢と、それは仏教に関係した仏様は全部網羅してあります。それで入口には、お釈迦さんが行をした沙羅双樹(サラソウジユ)――樹下石上と言って、石の上で行をされた。それであそこは日本に於ける仏界の型なのです。あそこに開けるのです。乾坤山という之も面白いのです。乾坤山日本寺という名前がちゃんとそれを現わしている。それで日蓮上人は、最初直ぐ前の山の清澄山で「妙法蓮華経」を唱えたという事は、今読んだ通り東方の光の一番先駆けだったのです。そうして日本寺は房州の保田という処ですが、「ホダ」というのは「ホト」というのが転化したものです。「ホト」というのは女の陰部になる。之は神代の言葉で、古事記にあります。何とか姫というのが機(ハタ)を織っていたら、天から槍の様な物が落ちて、女の「ホト」に中(アタ)った。そういう事がありますから、日本寺がそれになるわけです。そこで房州というのは閨房という事です。それで日本は龍の形なのです。それで東京湾が女の陰部になり、富士山は臍になって、伊豆半島が男の道具になるのです。そういう風になるので、どうしても東京から生まれるのが本当なのです。つまり東京が子宮になるわけです。ですから今読んだ、橋場という処で私が生まれたのはそういうわけです。そうして日本の地勢を研究してみると中々面白いのです。丁度九州を呑んでいる形なのです。それで瀬戸内海は口になるわけです。それで鼻が出雲になる。出雲は素盞嗚尊が朝鮮から渡って来て、あそこで日本を統治したのです。そこで人間でも鼻は素盞嗚尊になるのです。それで目は、左が天照大御神、右が月読尊、日月になります。それで鼻というのは、始めるとか、とんがった先の事、岬などをハナと言いますが、そういう様なもので之が舟の舳(ヘサキ)もなるのです。それで私は箱根の神山荘に最初行った時に、洋間が舟の形になって、応接間が舟の舳になるのです。それであれが鼻になるのです。神様はうまく拵えてあるなと思ったのです。ですから此処(咲見町仮本部)もそうなってます。斯うなって舟の形です。そこ(ヴェランダ)が鼻になるのです。そこで大本教の綾部という処は目になるわけです。ですからあれは非常に重大な処で、今にあそこに経綸が始りますが、神秘ですからまだ言うわけにはいきません。そういうわけで九州を呑もうとしている形です。それで九州というのは大事な処でして、あれが一つの地球の型の様になっているのです。日本では九州、支那では満州ですが、之は非常に神秘があるのです。之は段々分って来ますが、そうして太平洋は腹になっているわけです。日本海の方は背中なのです。それから越後あたりが腰になる。それであれは「コシの国」と言うのです。それで何ういう訳で龍の形になったかと言うと、之は大本教のお筆先にありますが国常立尊が龍神になって働いた時が、日本と同じ龍の形いう事がありますが、之はそれには違いありません。そうして尾が北海道から樺太の方に繋がっているのです。それでソ連が樺太を取ったという事は、尾を一寸つまんだ、取ったのです。併し今に放さなければならないのです。そんなわけで、房州から日が出たのです。それは六月十五日で、十六日に帰って来ると、之は私の本に書いてありますが、下駄屋の小池という男に神秘な事があった。それから三日目に、其時分の一寸有名な彫物師で森鳳声というのが私の処に来て自分は非常に尊い御方の彫物をしたくて頻りに心が動く、一体そういう物をやって良いでしようか”“それは何ういう物かと言うと天照大御神です”“それは良い”“何の位の丈に”“それは五尺六寸七分”“それだけの木が無かつたらと言うから下を岩か何かにして、それでも良いと。それから彫り出した。この人も大本教信者だったのです。それで出来てから、是非大本教に献納したいと言うので、それは結構だと、それで和田堀に東京の別院で紫雲郷別院というのがあって、其処に出口先生が時々見えるので、其処に献納して白布で巻いて疵が附かない様にしてあった。其時に神秘な事があった。其処に瀬戸物の等身大の観音さんが飾ってあったが、丁度天照大御神を上げる一寸前でしたが、一晩経って翌る朝見ると、首が取れたのです。私は之は随分不吉な事だと思った。何かあると思った。というのは、出口先生は其時分に観音だという様な積りで居たのです。それで首が取れたという事は、あんまり良い事ではないということが気になってましたが、それから少し経って天照大御神の木像を大本教の本部のある亀岡に運んであそこに飾ったのです。私はそれは見ませんが、飾ったのです。それが昭和六年の暮か七年の春です。それから昭和十年十二月に大本教事件が起って、出口先生がああいった牢屋に入って非常な苦しみをされた。七年間入られたのです。

   其時、之は私丈しか知らないが、天照大御神は日の神様で、出口先生は月の神様です。之は全く月の神様です。間違ない。それでやっぱり日が出たので月が消えるという、霊的に見るとそういう事だと知りました。そういう神秘な事があったのです。そんなわけで、この御神業というものは非常に重大な神秘な事なのです。

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