御教え集32号 昭和二十九年三月十五日

  今日の午後アメリカの人が、グリリという人の案内で来るのですが、その人は日本画の研究家です。日本の明治以来の絵を研究しているのです。明治以来の絵では栖鳳(セイホウ)が一番良いというのです。ですから栖鳳の研究家です。日本人で栖鳳の研究家というのは無いのですが、外人に栖鳳の研究家というのができたのです。それで栖鳳の良い物を見せてもらいたいというので用意しました。ですから、とに角日本人がボンヤリしている間に向うの人がドンドン日本の絵やそういうものを研究し始めているわけです。それで、明治以来の勝れた画家としては、確かに栖鳳が第一人者です。ですから私は栖鳳が好きで、今まで新画としては一番蒐(アツ)めました。掛物だけで三十何幅かあります。その中の傑出(ケツシユツ)した物は五、六点です。

  兎に角日本人というものは美的には実に勝れたものです。私はよく仏像を見る場合に、支那の仏と日本の仏とは、こうも違うかと思うくらいです。これは支那の六朝時代が一番盛んだったのですから、千五百年ぐらい前です。それで支那でもその時代が一番良かったのです。その後の唐、明の時代になると落ちます。六朝は唐の少し前ですが、六朝の物が唐の時代になってから日本に入って来たのですが、それが推古です。推古仏と言って、日本人の手にかかると俄然(ガゼン)として素晴しい物になったのです。推古から飛鳥、天平にかけて出来た日本の仏は素晴しいものです。それは支那が師匠ですが、弟子の方がテンデ上になったのです。それから絵画は宋元で、北宋、南宋、元ですが、やっぱり南宋時代に一番良い物が出来たのです。これが日本に入って来て、足利義満と義政が非常に好んで取寄せて、俄然として日本の絵画が出来たのです。その第一人者としては、雪舟(セツシユウ)などが一番偉かったです。そうして近代に来たが、結局宋元時代の絵をモデルとして出来たのです。それを破ったのが宗達(ソウタツ)、光琳(コウリン)です。そういうようなわけで、とに角支那では宋元、日本では琳派、それから今では大体琳派を近代化したというのが美術院です。これで日本の絵画というものは明治以来に一番飛躍したのです。そこに今は油絵が入り込んで来たのですが、これは邪道、横道に入ったわけです。これももう長い事はないので、もう一息と思います。というのは、今日本で有難がっているのはピカソ、マチスですが、ところがフランスではピカソ、マチスは非常に廃(スタ)って来ています。朝日新聞かに出てましたが、今度三十代ぐらいの絵書(エカキ)が俄然として出て、フランスの絵画界を風靡(フウビ)したのです。その絵書の絵は、画くと直ぐ売れてしまうのです。ですからフランス絵画界というのはその方に集中されて来たのです。その画き方は「ピカソ、マチスとできるだけ離れろ、できるだけ違ったものを画け」というのが方針だそうです。だから写生の新しいものの方になって来たのです。非常に良い傾向です。マチスはそうでもないが、ピカソは大変な間違ったものですから早く撲滅(ボクメツ)しなければならないです。ところが今のフランスの若い画家が叩き始めて成功したわけです。そこで日本人もここで目が覚めて、その方に真似を始めるだろうと思ってますが、この方の真似は、良い方の真似だから結構です。そういうわけで、日本人の美術に対する偉さというのは、今の美術家というのは全然忘れ去っているのです。お座敷の道具を作るのが台所道具を作るのを一生懸命に真似しているわけです。床の間に手桶や何かを上げるようなものですから、これは早く叩かなければならないと思っているのです。

  私は最近御舟(ギヨシユウ)の絵を注目し始めたのです。私はこれはそれほどとは思っていなかったのですが、最近松坂屋で御舟の展覧会があって、それで分ったのです。というのは、今まであった御舟は偽物だったのです。ですから、ちょっとは変った所があるが、それほどでもないと思っていたのですが、二、三カ月前に道具屋が持って来たのを見て“これは大変だ”というわけです。これは宋元画に負けないです。今度松坂屋の展覧会に行って見て、御舟の偉さがよく分ったのです。そうして、御舟の絵をよく見ると、今までの世界の絵画では一番です。大体最初宋時代の黄筌(オウセン)という……一昨年の美術館に花鳥の巻物を出しましたが、今年も出します……これが御舟の最初です。それから光琳とか油絵とかを取入れてあったが、とに角大天才です。今度箱根の美術館にも三点出しますが、これは素晴しいものです。この中で特に桜の絵がありますが、これはよく見ると、実に人間業とは思えないくらい良く画いてます。この画き方というのは、徽宗皇(キソウ)帝と銭舜挙(センシユウキヨ)をもう一層うまくしたものです。それにつけても、日本人のそういった美術の才能というのは実に大したものです。今度の箱根美術館の明治以来の名人の近代名品展というのがありますが、今の御舟の絵なら宋元物より勝れてますから、世界一です。それからこの間芸術院の会員になった板谷波山(イタヤハザン)という陶芸家が居ますが、この人が又名人です。この人の青磁の花瓶を今度出しますが、支那の青磁よりも良く出来てます。青磁というのは支那が一番のもので、一番出来たのが唐時代です。私は青磁は支那のより以上のものは出来ないと思っていたのです。ところが波山のは支那のより良く出来ているのです。今度出しますが、実に驚いているのです。日本人のそういった美術の才能というのは実に大したものです。それを日本人に知らせるのが一番大事だと思います。それを美術家が知らないのです。だから西洋の真似をするのです。つまり台所の真似をするのだから始末が悪いです。いろんな名人の物も出ますが、とに角明治以来の日本にこんな良い物が出来たかと驚くだろうと思ってます。

  今あんまり固いものを読んだので、今度は柔らかいものを読ませます。

      御論文〔⇒感じの良い人〕【註  栄光二五七号】

  それから来月の一日から三越で古九谷焼の展覧会があり、私の方でも幾らか出します。それが十一日まであって、九日からがこっちの浮世絵展が始まる事になってます。東京は三越で、大阪、福岡と次々に開く予定になってます。肉筆浮世絵展と言うのですから、肉筆ばかりなのです。これは今までやった事はありません。今までの浮世絵展というと版画です。それで浮世絵展というと版画のようになっているわけです。ところが今度は肉筆ですから、その点は非常に新しい企画です。というのは、肉筆は今までみんな相当有力な人達――金持とか華族――そういう所に蔵(シマ)われていたために、あんまり世間に出なかったのです。それで第一外人がそういう物を見る機会がないし、従って版画を日本から買っていって、それが評判になって、むしろ日本人はそれによって知らされて、版画の浮世絵を近頃大騒ぎをやるようになったのです。そういうようで、肉筆というのはみんな知らなかったのです。そこで私が目をつけたというわけです。何んとしても、版画というものはつまり印刷で、何枚も出来るのですから、作者の魂が抜けているわけです。肉筆こそ本当に作者の魂が籠(コモ)ってますから、まるっきり違います。そこで今度の肉筆を見ると、今まで見た事もないような物が沢山ありますから、喫驚するだろうと思います。“なるほど、浮世絵はやっぱり肉筆が良い”という事になるに違いないです。そこで大いに効果があると思います。

  とに角最近になって余程変って来たのは、今まではデパートの展覧会というと仏教に関係したお寺展覧会です。お寺が順々に出品するのですが、もうそれには飽(ア)きたです。又お寺の美術品では面白くないです。お寺美術に感心したりいろいろするのは少ないです。私も随分仏像を研究しましたが、時代とその作者、それに非常に「いわれ」があるのですが、それを見分けるには相当研究しなければならないです。だからあれを一般の人に見せるというのは無理なのです。それから又一度見れば二度と見たくないし、何処の寺でも大した違いはないです。“何寺”“何寺”と言いますが、結局彫刻の対照と言えば、阿彌陀様、観音様、お釈迦様、あとは地蔵とか不動とか、そういうものです。ですからいずれ廃ると思っていたら、近頃廃ったとみえて、近頃は美術館の展覧会です。この間松屋で大原美術館の展覧会がありました。油絵ですが随分入ったそうです。そこで今度の松坂屋の御舟展覧会は、御舟の妻君の兄貴が、御舟の物をウンと持っているのです。吉田某と言う人ですが、その人の持つ品が大部分なので、あと他の人のは少しです。ですからこれは個人一手でやったわけです。これからは以前みたいに各金持とか、そういうものはできないわけです。そうするとやっぱり税金などの関係で、出すのを嫌がるのです。それからもう一つ厄介なのは、特別の良い物は近頃非常に人から尊ばれて来たのです。それで一級品というと個人ではなかなか出さないのです。それから又今まで随分良い物を持っていた人はみんな手放しました。一番は財産税のためです。これが払えないために昔から持っていた物を随分手放したのです。それが私の方の手に入った動機です。そういうために、そういった展覧会をやろうと思っても、むずかしいのです。それから又デパートはそういう展覧会をやると、ばかに客が増えるのだそうです。二、三カ月前に白木屋で春信(ハルノブ)の展覧会をやりました。僅か二、三十枚の錦絵(ニシキエ)の版画ですが、そういうようで、その味が忘れられないで、今度又やるそうです。歌麿(ウタマロ)とか豊国(トヨクニ)とか、五、六人の版画ですが、私の方でも頼まれたのでやります……歌麿を博物館に頼んだが出せないで、私の方に補充してくれと言って来たのでやります……それが今年一ぱいとかで、非常に長くやるそうです。いろんな物を次々変えてゆくのでしょう。デパートがそういった美術品の展覧会をやるというのが一つの流行のようになって来たようです。そうなると箱根美術館が一番です。私の方は種類が多いですし、しかも品物はみんな一級品ですから、私の方は、まず十回や十何回かの展覧会をやれるだけの種類があります。そのために箱根美術館の宣伝には大いになるわけです。だから将来は美術品と言えば救世教というようになるだろうと思います。アメリカの新聞記者は「箱根美術館」「熱海美術館」というようにしないで「救世教美術館」としたらよいだろうと言うのですが、しかしアメリカなら宗教を軽蔑しないからそれでよいでしょうが、日本では新宗教というと軽蔑するから、まずいからと断わっているのです。そういうわけで、日本の新宗教というのは厄介な見方をされているわけです。救世教はそれを大いに消しているわけです。

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