*大本教 御教え集2号 昭和二十六年九月十一日

 一昨日、大本教の三代教主――女ですが、これは現在大本教は愛善苑と言ってやっているが、古い大本教信者も相当残ってますから、その人達が――新しい人もいくらか入っているでしようけれど――とにかくやっている。三代様と言うのは、教祖の出口直と言うお婆さんの長女が出口スミと言うが、この方が出口王仁三郎先生の奥さんですね。その娘さん、やはり長女で、その方が三代様です。一昨日ここに来た。前からの約束で――春からの約束で――来られた。庭もすっかり案内して、二時間位色々お話したが、これは立派な方です。それで、いずれあそこも私の方でちゃんと色々世話を焼いてやる様になってますからね。そんな事言うと、先で誤解するといけないから言いませんが、立派なものを、こっちで拵えてやるんです。綾部にね。それで、あっちに、こっちとは違った、一つの――あっちの経綸の中心ができるんです。これは以前からちゃんと定まっている事で、ただ時期だけの問題ですね。そんな様な訳で、あの辺も、綾部を中心とした処が大変変る。お筆先にもありますがね。お筆先に依りますと「十里四方は宮の内、綾部は真中にあり」と言うのがありますがね。

 伊勢の大神宮さんは、伊勢の山田にありますが、その前は丹波の亀岡で、その前は綾部です。天照大神様が祀られた中心です。その前が丹後穴太(あのう)神社ですね。幾度も移ったんです。私の書いた「日本民族の霊的考察」の中で、天照大神様が信州の水上山に逃げられ、戸隠山に͡籠られたと書いてあるが、水上温泉と言うのがありますが、あそこに、私の方で鉱山を買ってやり始めていますが、やはりそう言った因縁があるんです。で、水上山にも立派なお宮ができるでしょう。そんな訳で。これから神様の事は段々進展の徴(きざ)しが見える。

タイトルとURLをコピーしました