天理教 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

此事柄は、他宗を非難する事になるのでかきたくはないが、何かの参考になると思
うからかくのである。之は大本教時代の事であったが、私が小間物問屋をしてゐる時
に使った蒔絵師で、熊井某という男があった。之は熱心な天理教信徒であって、支部
長となる事になった処が、其当時百二十人信者が出来なければ、許可を得られないと
いうので、彼は半分位の信者はあるが、後の半分六十人を私に作ってもらいたいとい
ふのである。処が私は天理教ではないので断はった処、信者でなくもいいといって懇
請されたので引受けて、兎も角も六十人作ってやった。いよいよ支部の発会式もすん
でから間もなく彼は病気に罹った。勿論天理教の先生に、お取次をしてもらったが仲
々治らないので、私にやってもらいたいと頼むので私は行って治療してやった処、非
常によくなるので、彼は続けて欲しいと懇望した。然し私は考えた。もし治ったとし
たら、変な事になる。何れは知れるに違いないから、天理教から怨まれるに決ってゐ
る。而も彼の家は遠方で、一回治療に行くのに三四時間かかるので、暇をかいて骨折
って怨まれて、大本教の宣伝には全然ならないという訳で、やめて了った。処がそれ
から二三ケ月経て、彼は死んだのである。
右とよく似た話があった。大本教関東別院が横浜にあった。そこへ出口先生は始終
滞在されてゐた。その随行の大幹部である某女史が病気で、漸次悪化の状態である。
出口先生は治すべく凡ゆる方法をつくしたがよくならない。偶々私が見兼ねて治療し
てやった処が、今迄歩けなかった足が、一回で歩けるようになったので彼女は驚喜し
是非続けて欲しいといはれたが、此時も私は考えた。もし私が全治さしたら変な事に
なる。数十万の信者から生神様とされてゐる出口先生が治らない病気を、一信者たる
私が治したら大問題となる。折角骨折って治してやって異端者として多勢から怨まれ
憎まれては、馬鹿々々しいと思ったからやめてしまったが、それから数ケ月後彼女は
死んだのである。

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