新規掲載

宗教と自由(光45号 昭和25年1月14日)
今日迄の宗教をみると、宗教には殆んど自由がないといってもいい、其の多くは厳重なる戒律に縛られて身動きも出来ない位で、之が宗教本来の姿と思われて来た、そういうのを深く検討してみると全く信仰地獄の観がある
農業の新発見について(光45号 昭和25年1月14日)
農業は人体と同様で飽迄も自然でなければならないに拘かかわらず、人為的方法に意を用いたがる、右の二倍増産も実は無肥料による効果の方が多い事はいう迄もない、肥料迷信に罹った人の眼からみれば肥料なしの増産は電力によるからだと誤認したもの
自殺者の無責任(光45号 昭和25年1月14日) 
自殺行為は無責任極まるものであり、卑怯ひきょう者であるという事を強調し、聊いささかの讃辞など与えないよう特にジャーナリスト諸君に警告したいのである、本来宗教的からいえば死人に鞭打つ事は宜よろしくない事ではあるが、今後出るであろう自殺者を未然に防ぐ意味から、敢あえて自殺の不可を注意したのであるから、死者の霊も又満足すると思うからである。
低能児は治る(光45号 昭和25年1月14日)
右の理によって低能を治すには、先ず鼻から呼吸が出来るようにする、それには鼻孔を塞ぐ原因である前頭内の毒素を排除させる事である、しかし原因が判ったとしても、毒素を排除する方法が見つからなければ何にもならないが、医学に於ては毒素排除などは絶対不可能であるから、前述の如く次善的方法を採らざるを得ないのである、しかるにわが神医学はその方法が可能である
御教え *『文明の創造』/東洋美術雑観(1)/映画(御教え集12号 昭和27年7月16日)
「普あまねく天国の福音は伝えられるべし、然る後末期至る」です。これから、先を説いていきますが、悪というものは打ち切りにする。どうして無くする――その打ち切りの順序をこれから書くのです。そうして悪というものは無くなる。
御教え*無信仰時代/映画(御教え集12号 昭和27年7月15日②)
深刻などこまでも事実と余り離れない様な映画の方が受けるのです。盆とか正月映画は別ですが、不断から正月映画の方が多く作っているのです。いずれ気がつきますが、気のつき方が遅いのです。それ迄観客はいい犠牲になっているのです。
御教え*本当の文明/麻薬(御教え集12号 昭和27年7月15日①)
急速に効くのは麻薬として排斥するが、緩慢に効くのは良いとして奨励するのですから、この無智なやり方頭の悪さです。またそれに慣れ切っているのです。それを教えよう、解らせようと思って我々は骨を折っているのです。そういった麻薬を、麻薬でないと思っている迷信です。それを言うと、こっちの方を迷信という。その位頭が悪いのです
[日々雑感]海外からのアクセスとメシヤの記事
何故、教祖は名称を世界メシヤ教として立教したのか、ヨーロッパではメシヤがどんなに嘱望されていたかが良く理解できる内容です。
寸鉄(光45号 25年1月14日)
迷信を迷信する迷信を知らせる吾等を、迷信と思う迷信が本当の迷信であるんである
寸鉄 (光44号 昭和25年1月7日)
神様が、少し大きな事をし始めると、虫ケラ共が騒ぐ事、騒ぐ事、恰度ちょうど蟻の中へ煙草の吸殻を落したように

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