見えざる神は見えた(栄光167号 昭和27年7月30日)
天理教々祖中山ミキ刀自が本教に救いを依頼した霊的事象である。処が之を狐霊とかいてあるが、実は天理教々祖としては、神格上普通の人間には憑れないから、狐霊を使ったのである。之について私は一昨年の事件の際、庵原いはら警察署の留置所に入っていた際、中山ミキ刀自を呼び出し色々話合った末、刀自は今後天理教の信者も救って頂きたいから、御頼みしたいというので、私は承諾した
2025.11.07
新世界の誕生(栄光167号 昭和27年7月30日)
何故今日迄生命に関する程の重大問題が、不明の儘ままであったかという疑問であるが、之も無理はない。そこでこの事を想像してみると、科学文化を或程度まで進歩させる必要上そうされたのであって、之も神の経綸で、過渡期に於ける一時的現象である。それに対して神は其行き過ぎを訂正すると共に、唯物科学の分野と唯心科学の分野とをハッキリさせ給うので、之によって唯物唯心の科学は、歩調を揃えて進歩し発展し、ここに真の文明世界が生れるのである。一言にしていえば現在の旧世界は、ここに終りを告げ、新しき世界が造られるのであるから、私の仕事は其産婆役といってもいい訳である。
2025.11.06
文化的野蛮性 (地上天国38号 昭和27年7月25日)
薬剤無効果を遺憾なく物語っているではないか。いつもいう通り薬は一時的苦痛緩和手段であって、決して、治病効果など些いささかもなく、彼の麻薬と同様、薬中毒者が増えるだけである。薬の方はこの位にしておいて、次の手術であるが、之も勿論真の医療ではない。何となれば医療とは病だけを治す方法であって、臓器や筋肉を傷害し除去する方法ではない
2025.11.05
*八大龍王/兇党界(御光話録1号 昭和23年10月28日③)
八大龍王は日本の神ですから、日本の近海に鎮まっていて時を待った。この時仏になろうとしてインドへ行ったが、仏のお働きは具合が悪いので仏滅まで待てというわけで日本に帰って来て鎮まった。これは本当ですよ、ほかのことでも立証出来ます。現在は人間として働いてます。ほとんどみな観音教団に入っていますよ。「八人男と女」は本当は九柱で九大龍王です。その中の一柱が伊都能売大神です。
2025.11.04
*皇太子/処女/名前/水(御光話録1号 昭和23年10月28日②)
人間も濁りが多少なければ、そう綺麗ばかりではいけない。例えば「水清くして魚住まず」といわれるように多少の濁りがあり、それがいい塩梅に調和されなければいけないのです。
2025.11.03
*大浄化/予言/行き詰まった時に話を…(御光話録1号 昭和23年10月28日①)
間違ったことをすればいずれ行き詰まり、自分でビックリして改心することもあります。人間は執着をとることも必要なんだから放っておいた方がよい。行き詰まるところまで行かせた方がよい。坂を転がり落ちる石を途中で止めようとしても無理で、落ちるところまで落ちてしまってから止めたらよい。それと同じで行き詰まった時に話をしてやることが効果があるのですよ。
2025.11.02
自観申す(地上天国 昭和25年1月20日)
初め直径三寸位の木製の板の上に、恰度、歯医者が用いる赤色のアマルガムのようなものが、厚さ五分位に粘着しており、初めテーブルの横から、幽霊の手だけが見え、右のアマルガムへ触れようとした時、空中に声あり。「固いから今少し柔くしてくれ。」というので、温めて柔くすると、再び静かに手首が表われるや、極めて力ある動作で拇指を、アマルガム深く捺したのである--。という話であった
2025.11.01
結核ナンセンス(地上天国12号 昭和25年1月20日)
前述の如く、結核菌は自然発生であって、決して感染ではない。私は今日迄幾千の人に対し菌の防衛手段をとらないばかりか、寧ろ感染するようにしたが、一人の感染者も出ないにみて明かであるから、この事が判っただけでも如何に救われるであろうかを想うのである。
2025.10.31
最後の審判(地上天国12号 昭和25年1月20日)
キリストの火の洗霊は、いよいよ来らんとする最後の審判でなくてならない事になる。しかしながら水とは体的であり、火とは霊であるから、吾等が今行っている、霊を以て霊を浄める方法こそ、全く火の洗霊である。すると霊から体に移写するのであるから、火の洗霊が体的に如何に影響するか、之こそ空前の変異でなくてはならない。といっても危機は悪に対してのみ表われ、善には危機はない事を知らねばならない。
2025.10.30
巻頭言(地上天国12号 昭和25年1月20日)
愈いよいよ1950年、昭和二十五年の年になった。というだけならいつもの年と変りはないが、実は今年こそ吾等からいえば大変な年である。という事は吾等の唱導する処の夜の世界が昼の世界に転換する、その節に当るからである。之はどういう意味かというと、今年を契機として世界は一大転換の運命に逢着するのである。
2025.10.29

