ミニ体験談「実家の水神様の祀り跡を供養する事で子供の性的悩みも解消!」をアップ!

御教え集18号 昭和二十八年一月三日 ( 昭和二十八年二月十五日)

一月三日

      私は今年のお正月は久しぶりで朗らかです。というのは去年の正月も一昨年の正月もまだ裁判が決定してなかったので、それが始終胸にかたまりみたいになって、なんだか晴れ晴れしなかったのです。私もこの年になるまで苦しい事もいろいろありましたが、今度の裁判くらい気持の悪い事はありません。それは、どうせああいう事は誰でも気持が悪いのですが、私は特に普通の人より気持が悪かったのです。公判廷のそのいやらしさというのはとても我慢ができません。それは何かと言うと、私が悪い事があって気がとがめるのならば、どんな苦しい事でもこれは仕方がありません。よくああいう所を地獄だと言いますが、地獄というのはそんな苦しい所ではありません。何故と言うと地獄は公平無比で少しも事実とくい違いはありません。ですからごく悪い者はごく苦しみますが、そうでなく軽い者は軽いのです。ですから悪い事をした者は“もう仕方がない、オレが悪かったのだから”と思いますから、非常に苦しんでも気持がいい事になっているのです。地獄という所は公平ですから決して苦しいものではありません。一番苦しいのは不公平です。これは地獄よりずっと苦しいのです。せめて地獄くらいになったら大したものと思います。だから実にいやだったのです。気持が悪いのです。それがこの暮でやっと済んだので、このお正月はさっぱりした気持です。

      今年は二十八年ですが、「二十八」というのは数字から言っても大変いいのです。終戦になったのが昭和二十年ですが、この「二十」という数字は今までにも沢山ありましたが、特に良いという事は「昭和」という年号に対して、その文字に対しての二十というのが大変大きな意味になるのです。「昭」というのは日偏に召すという字ですが、この「召す」という事は「しろしめす」という意味になります。「しろしめす」という事は「統治する」という事です。よく何神様が世の中を統治遊ばされる、しろしめされる、と言います。天皇などの場合も、天皇がしろしめすと言いますが、そこで「日偏に召す」ですから、「日がしろしめす」という事になります。それは昼間がしろしめすという事です。それで昭和の時代に昼間がしろしめすという事です。それで「和」は「輪」で、「世界」ですから、昼間の世界という事です。それで「二」というのは「天地」で、「十」は「結ばる」という事です。それで霊体の結び、経緯の結びというわけです。ですから「二十」という数字は非常にいいのです。それから「十」は「経緯」です。それで十がもう一つ重なると井の字になりますが、この「井」の字がやはり二十と同じ意味になります。この「井」の字は「経綸」という事です。ですから姓名に、今井とか村井と井の字がつくのがよくありますが、そういった経綸の場合に井の字がよく使われているものなのです。そこで言霊から言っても、「井」の字と、片假名の「イ」もやはりそれと同じ意味です。この「イ」というのは「人」という事です。ですから「人」というのは霊と体ですから、やはりそういう意味になります。それで二十の五、六、七が済んで、つまりミロクが済んで今年から「八」で、いよいよ開くという意味です。ミロクの経綸が開くという意味ですから、今年から非常にいいわけです。それで又昼の世界がいよいよ開けるという時にもなるのです。そういう形になりつつあります。

      それでこの「八」という字を解釈してみると、「八」は「八百万(ヤオヨロズ)」とかと、そういう意味の事によく言われますが、「富士山」の形になるのです。富士山は八の字の形です。ですから富士山は一名「八スの山」と言うのです。「八ス」という事は「ハス」という事です。つまり仏教的に言うと、「八ス」は「蓮の花」になります。それで、蓮の花は蓮華台という事です。蓮華台というのは、一番貴い山です。よく仏像などが立ったり、あぐらをかいたりしているのに、下に蓮の花があります。観音様の絵などにも、蓮の花の上に立たれているのがよくありますが、そういう様で蓮という事は非常に貴い神仏が乗られるという意味なのです。ですから富士山には兄の花咲爺姫がお祀りしてあるという事は、兄の花咲爺姫は観音様ですから、富士山は観音様の蓮華台という事になります。そういう様ですから「八ス」という事は蓮華台が出来るという事にもなります。とに角一番強い意味は開くという事です。又「八」は「ハ」で、「ハ」というのは「発する」という事で、開けるから、今年からそういう形になっていくわけです。

      それについて霊的でなく体的の事の大体を話してみると、一番は熱海のメシヤ会館がいよいよ来月か再来月あたりから建築に取りかかるわけですが、今基礎工事をやってます。会館の模型を造りましたが、随分荘厳な形になると思ってます。何時も言うとおり、これはフランスのル・コルビュジエという人が始めた建築様式で、今日では世界的に一つの建築様式として風靡した様な形です。けれども直線的のごく単純なやり方で、アパート、官庁、会社といった様な、つまり実用向きの様式になってます。それで宗教的には今まで全然手を触れていません。今までの宗教建築と言えば、これはキリスト教でも仏教でも神道でもそうですが、何百何千年前の様式と同じ形をとっているのです。築地の本願寺も鉄筋でやり方は随分近代的ですが、あの形はインドの古い形式をとったものです。これはお釈迦様を祀るのだから当り前でしょう。本尊様が古い時代ですから……。しかし救世教は本尊様が新しいのだから建築も新しいというので、これも当り前かも知れません。ですからごく新しい様式での、この宗教建築というものはまだ世界にありません。コルビュジエという人はこの春何かの嘱託で日本に来る事になってます。そして二年いる予定だという事が新聞に出てましたが、会館を大いに見せて批評してもらおうと思ってます。そういう様なわけで形は非常に新しいのです。それでそういった直線的の建築で荘厳味を出そうというのですから、一寸無理な様ですが、出来たらわりあいに荘厳味が出るつもりです。それで入口から内部と凡て新しくしました。内部は劇場的になってはいけないと思って大いに注意しましたが、相当成功すると思ってます。それから展望台はメシヤ会館と一緒に出来る筈です。これはガラスの丸い家ですが、もう少したったら模型もこしらえて出します。これも世界にはないと思います。ガラスの展望台式の家はアメリカにもあって、私は写真で見た事がありますが全然違います。ですから私が今度やるのは世界に例がありません。そういう様に凡て新しい物を造るという事は、何時も言うとおり熱海は現界の型になります。従って新しい世界の型になるのです。それで熱海に出来るとそれが世界に写りますから、そこで世界も非常に変って来ます

      それで栄光の新年号に「⇒世界夢物語」というのを出しましたが、読まれたでしょう。大体ああいう様になっていくわけです。それでいろいろの変化とか時の早い遅いはあります。それは要するに神様と悪魔の戦いですから、両方が千変万化の形をとりますが、大体はああいう形をとっていくのです。というのは東方の光が現われて、だんだん光が世界的に拡がって行きますから、朝鮮から中国、中央アジア、ヨーロッパと拡がっていきます。それでアメリカは別の意味で緯の国ですから、そこで経と緯を結ぶという事になります。それで二十年に終戦になったという事はその意味も含まれてます。ですから二十年に経と緯を結んだのです。十九年まではそうではなかったが、二十年で結ばれたのです。昭和二十年八月十五日に決まったのですが、そこでアメリカと日本を結ぶという事は、体の代表と霊の代表、緯の中心と経の中心が結ばれたという事で、それが二十年なのです。そこでアメリカと日本と結ばれなければならないというので、今度アメリカのロスアンゼルスに支部をつくる事になってます。その足がかりとしてハワイのホノルルにもつくるわけです。そうしてアメリカをだんだん開拓していくつもりです。丁度幸いにも「⇒アメリカを救う」という本も出来ましたから、あれを宣伝用として大いに使います。それで日本文だけは出来ましたが、英文は来月か再来月になりますから、最初は日本文だけであっちにいる日本人に分らせ様というわけです。英文に訳す人はとに角その方面では第一人者だそうで、大統領に見せる文章もその人が訳するそうですから、飜訳についてはよほど手腕のある人に違いありません。それであれを読んだら相当問題になるだろうと思います。問題になれば大いに売れますから、アメリカで大いに売れるだろうと思います。ですから非常に外貨獲得の一助にもなります。外貨獲得と言うと大きな話ですが、そればかりでなく、救世教の財政も楽になりますから大いに仕事が出来るだろうと思います。なにしろあっちは、いいとなると一ぺんにひろがるという国民性がありますから、その点においては非常におもしろいです。従って数も出ますし、アメリカで売れるという事になると、日本人はなおさら有難がって買います。無論ヨーロッパ方面にも売れるでしょう。神様の方は、取らぬ狸の皮算用ではないと思いますから、そういう様でだんだん世界的になっていきます。

      それから中国の方も紅卍字会がいずれ働く事になりますが、とに角中共政府がああやっていたのではそれが出来ないから、そこで神様はいい工合に地ならしを始めるわけです。そうしてちゃんと宗教宣伝のやりいい様な状態にお膳立てをするわけです。そうしたらこっちも中国に大いに宣伝して中国を救うという段取りになるわけです。ですから「⇒世界夢物語」に書いてあるとおり、今度アイゼンハウアーがいずれ朝鮮に対して積極的に大攻撃をやるだろうと思いますが、それでも埒(ラチ)があかないのでどうしても満洲あたりに行って、その結果戦禍が中国全土に及ばざるを得ないという状態になります。神様は古い汚たないものを綺麗にしていろいろ地ならしをして、そうして新しい地上天国を造られるのですから、そういった変化が今年からボツボツ起って来ますから、そのつもりでそういう事を知っていて見ると一つの興味がある話です。しかし随分いろいろと悲惨な事があるのを興味本位に見るという事はけしからん話ですが、しかしこっちは建設の方ですし、それにべつに私がやるわけではなく、神様のやる事だから、お気の毒でもあるが、それでいいのだという意味にもなるわけです。

      そういう様なわけですから、建設が進むに従って破壊も進んでいくというわけです。ここのところに実に微妙な神様の経綸があるのが分ります。それが分らないで見ると、何がなんだか見当がつきません。つまり芝居なら筋書ですが、それを救世教信者は分っていて見るから、つまり芝居の役者でなく見物人、お客様の方です。しかし芝居でも悪役と善役とあります。どんな芝居でも、見れば分るとおり、善の役というのは悪役に苦しめられるものです。そうして散々苦しめられたあげく、最後に至って悪の方が成敗されて善の方が勝って、めでたしめでたし、というのが大体の筋です。やはり世界の芝居でも同じ様で、そういう様な脚本でつくられるわけです。神様が何万年も前につくられて、そういった筋によってやられるわけです。とに角大変に大きな芝居です。その大変に大きな芝居を見物できるのですから、今生まれて来て救世教信者になっている人は開闢以来ない芝居を見られるわけです。その代りだんだん明かるくなりますから、病気もうんと起って来て、それは恐怖時代が来ます。その時に戦争の方の芝居は見物人になってますが、その病気の時には大いに活動しなければなりません。しかし人を助けるのですから戦争の役よりかずっといいです。それにこっちは被害を被らないで、大いに喜ばれるといういい役をするわけです。この話はそのくらいにしておきます。

      箱根の美術館は今別館をこしらえ始めました。そうして今年の五月から浮世絵展覧会をやろうと思ってます。それで今度出来る別館というのは、陳列をする室は五間に八間の四十坪のものですから、かなり並べられます。それと本館の方の、前に下で屏風を並べてあった部屋がありますが、それだけの予定です。多分それでも並べきれないと思いますから、途中で陳列替えをするという事になるだろうと思ってます。それで並べる物は去年の夏頃から不思議に浮世絵のいい物が集まってくるのです。それまではそんなに考えなかったのですが、これは神様が浮世絵展覧会をやれという事と分りましたから、そういう計画を立てたのです。それで去年の京都の浮世絵展覧会の品物よりもずっと上の物です。これは今までに例がないでしょう。又不思議にすばらしい物がはいってくるのです。これは道具屋がみんな不思議に思ってます。つい最近、五、六日前の話ですが、浮世絵の肉筆の非常にいい物ですが、それは明治から大正にかけての有名な人で、その人が浮世絵が好きでコレクションをつくったのです、それはみんな立派な物ばかりです。それが八十幅あります。実に驚くべき話です。そのうちの四幅か五幅を見ましたが非常にいい物です。それで是非欲しいと言うと、先方では箱根美術館になら売ってもいいというのです。それに今金に困らない人で、売っても金は何時でもいい、そうでなければ出品して陳列してもいい、という様に実に条件がいいのです。それは八十幅はとても並べきれません。それにみんなわりに大きな掛物ばかりです。実にいい物で、よくもそういういい物が集まったと思ってますが、それが八十幅あります。これなどはとても人間業ではありません。とに角浮世絵の方では岩佐又兵衛(イワサマタベエ)が第一人者ですが、又兵衛の巻物では「山中常盤」という十二巻の巻物で、常盤御前と牛若丸の伝記です。伝記と言ったところで、事件の一番のクライマックスを画いてあるのですが、実によく画いてあります。やはり腕から言っても又兵衛が一番と言ってもいいくらいです。箱根美術館にあった浮世絵「湯女」は、私の感では又兵衛です。又兵衛以外にあれだけの物を画ける人はありません。それに又兵衛の癖がよく出てます。(773下)この「山中常盤」の巻物は昭和五年に三越で展覧会をやった事がありますが、その時に評判になって、見物人が列をつくって見たそうです。そういう様で非常に有名な物です。それと同じ様な物で「堀江物語」というのがありますが、それも十二巻で、私の手にはいりました。世間にもう一つの「堀江物語」がありますが、それは八巻だけは又兵衛が画いて、あと四巻は弟子が画いた物です。それで八巻だけは御物になってます。ところが私のは十二巻揃ってますから大したものです。それでこの間の京都の展覧会に又兵衛の「小栗判官」と「職人づくし」の巻物がありましたが、これはずっと落ちます。絵も小さいし絵の出来も絢爛たるものがありません。あんまり真面目すぎるのです。ですから私の方がずっといいのです。そういう又兵衛の絶品が二つも私の所にはいったという事は実に不思議だと、この間も美術協会の会長でこの方では有名な人で、秋山という人が見に来て驚いてました。そういう様でなかなかいい物が集まっているのです。それはべつにそういった経路で集めたのでなく、自然にフラフラとはいってくるのです。そしていい物で欲しいという物になると、わりに値が安いのです。どうしても神様がいい塩梅(アンバイ)にそういった物を寄せる様にしているとしか思えないのです。それからもう一つは版画ですが、春信(ハルノブ)の版画で十二枚揃っているのがはいりました。この間文学博士の藤懸さんという人が見に来ましたが、その人は浮世絵の版画では日本一なのです。学者ですから実によく調べてます。むしろあんまりよく知っているので驚いたくらいです。私は版画というのは、今まで趣味がなかったから、肉筆は集めましたが版画は手を付けなかったのですが、どうしても買えというので、買う事にしました。私は気がなかったので、神様の方では買わせ様と思われたのです。それで博物館の浮世絵の係の人で近藤市太郎という人が“博物館でも買いたかったが金がどうしても足りないので、あなたの方で是非買ってくれ”と言うが、それでもグズグズしていると、文化財保護委員会の総務部長をしていた富士川という人も“買った方がいい”と言うのです。文化財保護委員会の会長の高橋誠一郎という人も、前から非常に欲しがっていたが金が出来なかったから買わなかったが、救世教の美術館で買ってよかった、という様な事を言われていたそうです。そういう様で非常にいい物です。それでそういう版画の方も、藤懸さんの話では、アメリカだけにある版画は日本の十倍くらいあるそうです。ボストン博物館には約六万枚の版画があるのです。一美術館で六万枚あるのです。それで日本の何処に何が幾つあるという事は分ってますが、日本中で七千枚あるのです。ですから、日本がうっかりしているうちにみんな向うにさらわれてしまったのです。あれは私が岡倉天心先生に会ったのが三十くらいの時ですから、今から四十年前に岡倉先生がボストン博物館の顧問になっていて始終アメリカに行ってましたが、その頃日本から版画を持って行っていたのです。それで日本で気がついた時には、もうあらかた無くなっていたのです。それからドイツ、フランスにも相当行ってますから、版画だけは日本にあるよりも外国に行っているのが十倍以上あります。そこで藤懸博士はボストンの六万枚というのを全部見たそうですが、今度私が手に入れた春信だけの物はないそうです。それでもしこの版画を展覧会に出すとしたら、これだけを見に来る外人が随分あるだろうという話です。また或る人ですが、この人は片手間に道具屋をやってますが、駐留軍の工芸員に雇われて一週に一回講義に行く人ですが……アメリカ人の中に顔が広く、この人が春信の版画を私の所に持って来るのに骨を折った人です……あれが並んだら外人の偉いのを片端から連れて行くと言ってますが、そういういい物がなんでもなく手にはいったのです。そんな様で版画でも肉筆でもそれはすばらしい物が並ぶわけです。そうして外の美術品も、今年はずっと変えて、現代美術はあんまり喜ばれない様ですから、今度はそれをやめて外国美術をと思ってます。外国美術と言っても、ヨーロッパでなくバルカンあたりの美術品です。これも自然に手にはいって来たので、神様がやれという事と思って、これをやります。それはギリシャ、ペルシャ、インド、支那の奥地、という様な美術品です。ペルシャの美術品にはなかなか面白い物があります。これは又別の味のある美術品です。それからあとは支那の周時代の古い銅器も相当集まってます。そういう物を並べるわけですから、今年は去年とは全然違った展覧会になります。それを楽しみにしてもらいたいと思います。

      箱根の神仙郷はそれで大体完成です。それが写って、今度は熱海の瑞雲郷がどんどん進むわけです。それでいずれ熱海にも美術館を造るつもりですが、これは大体箱根の三倍くらいにしようと思ってます。敷地がせまいので、もっと拡げる様に指図してありますから、もうじきそれが拡がる事になってます。それから京都も四月あたりに行っていろいろ案を立てて、敷地だけをボツボツかからせるつもりですが、この方の設計は頭の中には大体出来ましたから、今度は頭から言霊になって、それから物質になるのです。

      凡て順序というものは最初は頭の中です。これは霊界に出来るのです。それでこれを、こうしろああしろという言霊に出て、それから本当に物質が現われる、という順序です。それで今は頭の中の霊界では設計が出来てます。それで四月に行って、今度は言霊の設計をやるのです。そこで言霊というものは非常に重要なものです。それは誰がやる事でもそうです。たとえば、ここならここで思いますが、それは霊界にはすぐに出来てしまうのです。私でなくても誰でもそうです。ただ私がやると霊界での出来方がはっきりするのです。ですからはっきりと間違いなくいくのです。それが普通の人なら、そういう様にこしらえてもじきに消えてしまったりするから中途でいろいろ故障があります。中には物質に出来上ってからでも中途でオジャンになるのがあります。

      そういう今年の計画なり運びなりの大体をお話したわけです。

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