岡田茂吉 ナンセンス (法難手記 昭和二十五年十月三十日) | 岡田茂吉を学ぶ

ナンセンス (法難手記 昭和二十五年十月三十日)

   長々と固苦しい事ばかりかいたから、茲で一つ二つ新聞記者諸君や、其他に関するナンセンスをかいてみよう。私が最初連行された時の事である。庵原警察署へ着く少し手前へ来ると、同乗のK部長は「表門は新聞屋が、待ってゐるといけないから、裏門から入らう」と言って裏門へ車をつけた。処がそれを知った記者諸君は、私が車から降りやうとするやバラバラと集って来た。門から十数間位歩く道の両側から、パチリパチリフラッシュの光は十以上あったと思はれた。署内に入るや直ちに二階調室に入った。一応簡単な取調べを受ける間にも、調室のドアーを開けて撮らうとするのを警官は撮らせまいとする、という訳で一しきりゴテついた。驚いた事には二階の窓の外にある電柱に梯子を掛けて、上の方に登って窓の外からレンズを向けてゐる者がある。之を見つけた係官は慌てて幕を引いたが暫くして「もうよかろう」と幕を開け油断をしてゐると、今度は街路樹へ梯子を掛けレンズを向けてゐるのを又見つけ、幕を締めて一同大笑ひした事があった。彼等が如何に職務に懸命であるかはスポーツマンが、最高点を得ようとする競争意識に似てゐると思った。私は便所へ行こうと階段を半ば下りかけると、何処からともなく、ワァーッと多勢集って来て撮らうとする。警官は慌てて私の手を引いて引っ返すといふやうな訳で、其後は警察官専用の便所へ行く事にした。此便所へ行くにも裏手の階段から、音を立てないやうにソッと下りて行くのである。それから三日目の三十一日、私は静岡市の裁判所へ連れられ、今は忘れたが、何でも判事から犯罪事項を認めるかどうかといふやうな事を訊かれたやうな気がする。三十分位で済み警察へ戻ったが、此時は大変であった。最初警察署を出る時係官が曰うには「今日は新聞屋を初め見物人が多勢待ち構えてゐるからそのつもりで、出来る丈素早く乗った方がよい」と注意され、警察の方でも数人の警官が整理に大童であった。署の裏口から裏門迄の十間位の道にもカメラと映画班の砲列が隙間もない程だ。裏門を出てからもカメラの砲列は続いてゐる。待ち構えてゐたので、パチリパチリと目紛しい程だ。私は心中疚(ヤマ)しい処はないから、平然として車へ乗ったが、此時の私は二、三のニュース映画に出てゐるから、見た人はよく判ったであらう。警察の前の通りは八間巾位だが、見物人や信者でギッシリだ。数百人位か否千人位ゐたかも知れない。信者も相当ゐたやうだが、信者は合掌してゐるからすぐ判る。驚いたのは私の車が警察署から数丁離れた時、後からスピードで追抜こうとする車がある。フト見るとカメラを車の中からこちらへ向けて、車の速度を合せ乍ら撮してゐるので実に驚いた。一時間余で車は静岡裁判所の表門に着いたが、此所でもカメラの砲列だ。映画班など多勢待機してゐて、往きも復(カエ)りも同じやうに撮ってゐた。又此所でも面白い事があったのは、車が走り始めて数丁位行った時、走る車のボディの上に乗って運転台の窓が開いてゐたので、其窓からレンズを向けて映画を撮らうとしてゐる。之に気付いた同乗の警官は車を停め、仲々強硬な彼を説得してやっと降して亦走り始めたといふ訳である。警察にゐる間土地の記者が時々来ては、質問やら撮影やらをやった。

      茲で、出所の際のナンセンスを一つかいてみよう。六月十九日午後十一時頃釈放となった時の事である。係官は表門は記者が多勢待ってゐるから、裏門からの方がよからうといふ事になり、滅多に使はない非常口らしい門を開けてくれたのでソッと出たのである。表門に待ってゐた記者達は出し抜かれた訳で、判ってから非常に憤慨したそうである。五十分位経ってから気が付いたといふ事で、追ひかけても駄目なので、 地団駄踏んだといふ事であった。然し毎日の記者だけは熱海支局へ電話で知らせたと見え、十国峠で私の車と出遭ひ、イキナリフラッシュが光ったのには一寸驚いた。私は部下の苦心で作戦上熱海の水口町の自宅へ帰ったやうに見せかけて、急に車を転回し、箱根に向ひ、仙石原の知人の家に着いたが、此時は夜中の三時半頃であった。此様な記者諸君との智慧比べも時にとっての一種の興味でもあった。

      又斯ういふ事もあった。私が勾留中の留守の或日、数人の警官が私の住宅の方へ家宅捜索に来て縁の下へ迄這入り、入念に調べたり、屋根へ上って調べたりした、との事を帰宅してから聞いたので、どうも不思議な捜索の仕方だと思って訊ねたが、よく判らないと言う。その時、思ひ出したのは、以前私が大本教の信者であった頃、大本教が飛んでもない疑ひを受けた事があった。それは地下室に、秘密室があって、男女の密会所になっており、又竹槍数百本隠匿してあるとかで、大仕掛な家宅捜索が行はれ、同教も随分迷惑したといふので、私はそれに似たやうな投書によったのではないかと想像もしてみたが、そうだとすると世の中には随分御念の入った悪戯をする奴もあるものかと呆れざるを得なかったのである。

      今一つ面白い事があった。私は数年前疥癬病を患ったので、それが宣伝されてゐたからでもあらう、刑務所にゐた時、所属医から健康診断を受けた。叮嚀(テイネイ)に診断の結果、疥癬は全快してゐると保證された。処が其お医者さんは仲々酒脱な面白い人で、そのお医者さんが私に話をしかけたが、イキナリ「お光さんが女を知ったのはいくつの年でしたか」と訊くので、私は面喰った。「左様十八九位だと思った」と言ってやった。それから男女関係などの、興味ある話になり、大分佳境に入った頃、お医者さんに用事が出来たので失敬したが、地獄の中で仏に遭ったやうで、一寸の間明るい気持になった。

      最後にナンセンスの傑作をかいてみよう。

      七月二十四日夜九時のニュース放送の時である。熱海市長宗秋月氏が、静岡検察庁へ召喚された。それは「救世教のお光様から十万円を収賄したという嫌疑である」といふ声が聞えた。私は呆れ返ってものが言えない。一体全体誰が斯んな作り事をして放送局へ通信したのか判らないが、放送局も放送局で碌々調べもせずに採り上げたとすれば、放送局の失態である、とすればその責任はどうしてくれるかと言ひたくなるが、これなども人気者の一種の悲哀とでも言っておこう。

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