順序を過る勿れ(あやまるなかれ) (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

 昔から「神は順序なり」という言葉があるが、之は凡てに渉って重要事であり、心得おくべき事である。先づ森羅万象の動きを観れば分るが、総て順序正しく運行されてゐる。四季にしても、冬から春となり、夏となり、秋となるといふように、梅が咲き、桜が咲き、藤が咲き、菖蒲が咲くというように、年々歳々不順序(クルイ)なく生成化育が営まれる、斯様(カヨウ)に大自然は順序を教えてゐる。もし人間が順序の何たるを知らず、順序に無関心である結果は、物事が円滑にゆかない、故障が起り勝ちで混乱に陥り易いのである。処が今日迄殆んどの人間は順序を重要視しないが、之を教えるものもないから無理もなかった。私は一般が知っておかねばならない順序の概略をかいてみる。

先づ順序に就て知りおくべき事は、現界の凡ゆる事象は霊界からの移写であると共に、現界の事象も亦霊界へ反映するのである。そうして順序とは道であり、法であるから、順序を紊すといふ事は道に外れ、法に悖(モト)り、礼節に叶わない事になる。仏語に道法礼節という言葉があるが、此事を謂うたものであろう。

先づ人間が日常生活を営む上にも、守るべき順序があって、家族の行動に就ても自ら差別がある。例へば部屋に座る場合、部屋の上位は床の間であり、床のない部屋は入口から最も離れたる所が上座である。上座に近き所に父が座し、次に母が、次に長男が、長女が、次男が、次女がというように座るのが法であって、斯(コウ)すれば談話も円満にゆくのである。如何に民主々義でも法に外れてはうまくゆく筈がない。譬(タト)えば、茲に一人づゝしか渡れない橋があるとする。それを数人が一度に渡ろうとすれば混乱が起り、川へ転落する。どうしても一人宛(ヅツ)、順々に渡らなければならない、そこに順序の必要が生れる。又客が来るとする。客と主人との間柄が初対面の場合と、友人、知人の場合と、上役や部下の場合、座るべき椅子も座席も自ら順序がある。挨拶等も其の場に適切であり、相手によって差別があるから、それに注意すれば凡て円満にゆき、不快を与えるやうな事はない。又女性、老人、小児等にしても、態度談話にそれぞれ差別がある。要は出来るだけ相手に好感を与える事を本位とすべきである。

次に、子女や使用人を二階三階に寝かせ、主人夫婦は階下に寝るという家庭があるが、之等も誤ってをり、斯ういう家庭は子女や使用人は言う事を聞かなくなるものである。又妻女が上座に寝、主人が下座に寝る時は、妻女が柔順でなくなる。其他神仏を祭る場合、階下に祭り、人間が二階に寝る時は、神仏の地位が人間以下になるから、神仏は加護の力の発揮が出来ないばかりか、反って神仏に御無礼になるから、祭らない方が可い位である。仏壇の如きもそうである。祖先より子孫が上になる事は非常な無礼になる。何となれば之等は現界の事象が霊界に映り、霊界と現界との調和が破れるからである。

此の理は国家社会にも当嵌るが、最も重大な事は産業界に於て資本家と勤労者の闘争である。特に最も不可である事は生産管理の一事で、これ程順序を紊す行動はあるまい。茲に一個の産業がある。それを運営し、発展させるとすれば、総てに渉って順序が正しく行われなければならない。即ち社長は一切を支配し、重役は経営の枢機に参画し、技術家は専門的技術に専念し、勤労者は自分の分野に努力を払う等、全体がピラミッド型に一致団結すれば、事業は必ず繁栄するのである。然るに生産管理はピラミッドを逆さにするのであるから、倒れるに決ってゐる。此の理によって資本家と勤労者と闘争するに於ては、其結果として勤労者も倒れ、資本家も倒れるといふ事になるから実に愚かな話である。故にどうしても両者妥協し、順序を乱さず、和を本位として運営すべきで、それを外にして両者の幸福は得られる訳がないのである。私は産業界から闘争という不快なる文字を抹殺するのが、繁栄の第一歩であると思う。然し乍ら以前の如く資本家が勤労階級を搾取し、利己的本位の運営が行過ぎる結果は、共産主義発生の原因となったのであるが、今日は反動の反動として共産主義の方が行き過ぎとなり、産業が萎靡し、生産が弱体化したのであるから、一日も早く之に目覚めて、飽く迄も相互扶助の精神を発揮し、新日本建設に努力されん事を望むのである。之が私のいふ「順序を正しくせよ」といふ意味である。

戦時中東条内閣の時、東条首相は社長の陣頭指揮といふ事を唱え、又自分も先頭へ立って活躍したが、これ程の間違いはない。何となれば、昔から事業を行う事を経綸を行うというが、経綸とは車を廻す事である。即ち首脳者は車の心棒に当るので、車が良く廻る程心棒は動かない。又車は心棒に近い程小さく廻り、外側になる程大きく廻り、心棒が躍る程、車の廻転の悪いのは勿論である。

右の理によって考える時、斯ういう事になる。即ち心棒に近い処程少数者が担当し漸次遠心的に多数者となり、最外側のタイヤに至っては道路に接触する為過激の労働となる事によってみても、順序の何たるかを悟り得らるるであろう。故に、凡て主脳者たる者は、奥の方に引込み、頭脳だけを働かせ采配を振っておれば事業は発展するのである。

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