御教え集9号

御教え*仏教美術(御教え集9号 昭和27年4月25日②)

京都は日本に於けるフランスなんです。日本を世界とするとね。これは霊的の事になりますがね。これはいずれ話すとして――日本を世界とすると、京都はフランスになる。フランスは世界の観光客を集める。と同じ様にして、京都もそんな――今でもそういう点はありますが、まだまだ貧弱なんです。唯、古臭い、歴史的のにそういったもので客を呼ぶだけです。成る程、桂の離宮とか、修学院しゅうがくいんとか、色んなそういった古いのがありますが、それ丈では極く特殊な人だけしか、それが理解出来ないんです。そこで、現代人誰も彼も是非行ってみたいと言う意欲を起すには、とにかく新しい天国的なものを造るという事でなくちゃならないと思う
御教え集9号

御教え*自然農法、自然栽培/自然の野菜は美味しい(御教え集9号 昭和27年4月25日①)

自然農法の効能ですね。で、それは非常においしいんですよ。野菜でもね。これは、米に限らない。いっさいの作物ですね。ところが今迄肥料を使っている為に不味まずいんですね。不味いからして、どうしても肉や魚を食いたがるんです。私でもそうですからね。やはり、近頃自然農法で取れたものを大分食べる様になりましたがね。大分美味いから肉より野菜を食べたいんですが、以前ときたら、野菜は不味いんです。だから、つい御馳走ちそうと言ったら、動物性の物を食べる様になるんです
栄光

自然農法の勝利(栄光163号 昭和27年7月25日)

兎もすれば私の説を軽視し勝ちで、自分の考えが幾分でも混る為、それだけ成績に影響を及ぼすのである。例えば水田は藁を細かく切れといってあるのに、非常に長く切ったり、其土地の習慣上堆肥といっても、糞尿とか馬糞などを交ぜたがる。又指導者の中にも自分の考えが多少混る事もよくある。といったように純粋堆肥を使わない人も幾らかあるようだが、充分注意されたいのである。
栄光

大いに注意すべき事(栄光156号 昭和27年5月14日) 

之は御守に限らず、凡ての文字がそうである。というのは其上へ他の品物を載せると、霊的に大変な御無礼になるから必ず御気付けがある。何となれば一字々々に神霊が宿られているからである。その位の偉力がなければ、万民を救う事が出来る筈はないからで、つまり私の文字は生きているので、其つもりで扱うべきである
御教え集9号

御教え*箱根美術館(御教え集9号 昭和27年4月16日②)

今度の箱根の美術館なんか、ちょうど時宜じぎに適切にはまっている訳ですね。と言うのはいつも言う通り、日本美術という物は、見せる所が日本にまだ無いんですからね。ですから、いずれ外国に知れ渡るに違いないから、随分見に来るだろうと思ってます。日本に来た外客で――観光客としたら箱根を見ない人はないですからね。箱根に来れば、嫌でもこの美術館を見ますからね。だから相当世界的に反響を起こすだろうと思ってね
御教え集9号

御教え*メシヤ会館絵図(御教え集9号 昭和27年4月16日①)

だから一番難しいのは、私の言う通りにやらせると言うのが、一番難しいんです。一番厄介なのは、木の枝を切る事ですね。これは言う通りにやらないと、育つ迄に何年もかかるんですからね。
日々雑感

[日々雑感]メシヤ教(元中間法人)、楳木代表帰幽の時の不思議な出来事

お部屋に入らせてもらったときから部屋の床の間のあたりからゴソゴソ音がするようで気になっていました。暫く支部長が代表に話しかけていましたが、最後に3人が一人一人短めにお別れの挨拶をしました。私は決意みたいな思いを簡単にお伝えしました。その時、代表の右腕が垂直にスーッと上がったのです。あまり不自然な感じはしませんでした。そして静かに下ろされました。
栄光

大乗愛(栄光166号 昭和27年7月23日)

単に愛といっても、小乗愛と大乗愛の区別のある事を、充分知らねばならない。そうして小乗愛の最も極端なのが、言う迄もなく自己愛で、次が血族愛、友人愛、団体愛、階級愛、国家愛、民族愛という順序になるが、ここ迄の愛は悉く小乗愛で、之は何程熱烈な愛で...
体験談Mr.Right

【体験談Mr.Right】№12 某分院さんとの龍神、稲荷の供養など

Kさんは、霊的な分野においての私の師匠であり、尊敬してやまない方の一人です。そのような方が、全国的にも組織に埋もれているような気がします。そのような方々が、活躍できるときが訪れてこそ、昼の世界が近づいてくるのだと思っています。はっきりとした霊的なご浄化は勿論ですが、さまざまな病気の方々も、その原因には霊的な要因がある場合が多いと思っています。精神病院が精神病患者で賑わっているという話を聞きますが、そのほとんどというか、全てが霊的な要因によるものだと言っても過言ではないと思います。その意味では、霊感の強い人、取分け審神者師的な役目のできる人が、明主様の救いのご神業に繋がってほしいものだと思っています
御教え集11号

地上天国祭 箱根美術館開館 (御教え集11号 昭和27年6月16日②)

美術館も、これから皆さん見られますが、案内書が間に合わないので、私がざっとした案内書の代わりをしますから良く聞いて貰いたい
御教え集11号

地上天国祭御教え*丸にチョン (御教え集11号 昭和27年6月16日①)

丸(○)が宇宙でして、チョン(ゝ)が肝腎なのであります。それが私の救いの仕事になるわけなんです。それは非常に神秘ですから、精くわしく話すると面白いんですが、まだ時期がそこまで行っていませんから、時期を待っているのです。なかなか、神様の事は深いんです。そこで地上天国を造るという事は、それが丁度石を投げて波紋を起すように、段々広って行って世界が天国になるという事になるんです。ですから、小さくても――単にこれだけのものでいても、これが非常に大きな意味になるんです
御教え集9号

御教え*箱根美術館完成(御教え集9号 昭和27年4月15日②)

とにかく今度の箱根の美術館は、余程センセーションを起すだろうと思ってますね。しかも外人もですね。無論世界的に注目の的になるに違いないですね。そこで、まあ――外客が日本に来た以上は、箱根には必ず寄りますからね。箱根に来た以上は、必ずこっちの美術館を見るというように、外客はほとんど洩もれなく見るだろうと思ってます。
御教え集9号

御教え *お陰話/大芝居/信仰の急所(御教え集9号 昭和27年4月15日①)

神様中心――神様だけに見ていただく、お気に入っていただく――これで良いんです。そういう風に思っていると、きっと御守護が厚いんですよ。だからそれが――ちょっと今までの色々な習慣や何かもあるので、難しいんですね。その点ですね。そうすると、あいつは悪いとか、あの教会は間違っているとかいう事は、口に出さなくなる。思う事は構わないですよ。神様は想念の自由は許されている。しかし、行動に出してはいけない。大体その時の気持ちで、大いに興奮して言うが、それを我慢して言わないと、きっとああ言わなくて良かったという事がありますよ。あいつは悪いと言うが、あとになると、大抵後悔するものです。これは信仰の急所ですね
御教え集9号

御教え*私が拝む神様はない(御教え集9号 昭和27年4月7日①)

私は神様に聞く必要はないんです。私のお腹におられる神様は最高の神様です。自分が言う事やる事が、そのまま神様がやっている事と同じですからね。つまり直接なのですね。ところが、今までの宗教の教祖というのは間接なんです。キリストにしろ、自分はエホバの命によって生まれたとか、天の父だとか、何とか言いますが、あれはやっぱり間接的なんです。で、私におられる神様は、エホバと同じなんですからね。そこで、私は神様を拝んだ事がないですね
栄光

世界的丁髷時代(栄光155号 昭和27年5月7日) 

この文化的蒙昧を目醒めさせようとしては私は絶えず筆に口に、現在努力しつつあるのであるが何しろ長い間の根強い世界的迷信となっていることとて、容易な業ではない。恰度明治維新当時の丁髷連中を済度するのと同様で、今日はそれが世界的に押し拡がったのであるから、猶更始末が悪いのである。
栄光

神人合一(栄光155号 昭和27年5月7日) 

いつも言う通り私の腹には光の玉がある。之は或最高の神様の魂であるから、私の言動凡ては神様自身が、私を自由自在に動かしているのである。つまり神と人との区別がない訳で、之が真の神人合一なのである。
栄光

科学と芸術(栄光154号 昭和27年4月30日)

同じ芸術でも低いのになると、反って人間を下劣にし、堕落に導く危険さえあるので、之は警戒の要がある。そこでどうしても楽しみつつ、情操を高めるという高度の芸術でなくてはならない。処が口ではいうものの果して其様な機関があるかというと、外国はいざ知らず、日本に於ては其点洵まことに貧弱であるのは衆知の通りで、この意味に於て本教が地上天国と、それに附随する美術館を建設し、右の欠陥を補うべく現在実行しつつあるのである
地上天国

伊都能売の身魂(地上天国35号 昭和27年4月25日)再掲

成程信仰は精神的なもので、経たてであり、永久不変の真理であるから、曲げられないのはいいが、経綸の方はそうはゆかない。之は物質面であるから、時代相応に変遷するのが本当である。即ち精神物質両方の完全な働きで、即ちどこ迄も伊都能売式で行かなくてはならない
お蔭話

お陰話 *頭上にピカドン御浄霊にて大活躍原爆恐るるに足らず(栄光153号 昭和27年4月23日)

御浄霊を受けた人は助かり今でも元気でおります。原爆病に熱と下痢はつきものですが、御浄霊を受けた人は皆助かっております。薬をのんだ人は死んだ人が多かったようです。当時何の怪我もなく助かって喜び合った近所の人も、十日、二十日と経つ中に死んだ人も沢山あります。当時講習会の度毎にすすめに歩いて、受けた人も相当にありましたが、皆お蔭を戴いておられました。が再三すすめても遂に縁のなかった方々はほとんど助かっていないのを見て、誠に御守護の偉大さに今更ながら当時を思い出して感慨無量です。
栄光

原爆恐るるに足らず(栄光153号 昭和27年4月23日)

私がいつも唱える処の霊体の真理である。言う迄もなく万有一切は霊と体との二原素から形成されているのが実相であるが、それについて特に知っておくべき重要事は、霊と物質との力の強弱である。それは体即ち物質の力よりも霊の力の方が、何倍或いは何百倍勝っているか判らない事実である。しかるに之が何故今日迄分らなかったかというと、近代文明の基本が唯物科学から出発している以上、不可視の霊の存在は到底信じ得られなかったからである。
御教え集9号

御教え *私は許し主(御教え集9号 昭和27年4月6日③)

贖罪主とは別に、社長――すなわち、よし許すと言う、許し主がなくてはならない。私は許し主なんです。ですから、そう言う点は非常に――主人と家来程違うんですね。こう言う事も、今までも言いたかったんですが、余りかけ離れているから、誤解されますので言わなかった
御教え集9号

御教え*邪神の見分け方/天狗(御教え集9号 昭和27年4月6日②)

よく邪神が憑いてるか憑いてないか、あるいは邪神か邪神でないかを見る、一つの方法があるんです。それは、一番分かりやすいのは、邪神というものはしつこいんです。で、神様ほどあっさりしているんです。ですからクドクドしく一つ事を言ったりするのは、これは邪神と見て良いですね。で、高級な神様ほどあっさりしている。ですから、あっさり言う人は身魂が高級と思って良いですね。それからクドクドしく言うのは、邪神でなければ、神様では低い
栄光

浄化の言葉(栄光157号 昭和27年5月21日)

 本教は病気の事を浄化というが、之程いい言葉はあるまいと思う。それも嘘ではなく 本当でもあるからである。第一この言葉から受ける感じは、頗る気持がいいが、之に反し病とか病気とかいう言葉位気持の悪いものはあるまい
栄光

人を裁く勿れ(栄光157号 昭和27年5月21日)

其人こそ神様よりも人間の力の方を信ずるのだから、之程の慢心取違いはあるまい。というように我メシヤ教は最高の神様が、一切統轄なされているので、間違った人に対しては、神様は最初其人を覚らせるべく御気づけをされるが、それで覚らない時は命迄召上げられる事がよくある。
御教え集9号

御教え*鉱山/地上天国の建設(御教え集9号 昭和27年4月6日①)

金の御用をすると言うのは、それだけ罪を減らすんですから、無理をしない限り――出来るだけ沢山した方が、早くメグリが取れる訳ですね。そうすれば、それだけ苦しみが減るのと、あべこべに徳が多くなるですね。私は今まで余り言わなかったですが、神様に上げた金は何倍にもなって帰るんです
御教え集9号

御教え*これは今までの宗教には一つもない(御教え集9号 昭和27年4月5日②)

私は拝まないんです。というのは、私の腹におられる神様は――私が言ったりしたりする事は、神様が直接するんですから私が拝む事はない。それから、拝むという必要はないんです。私のお腹の中におられる神様は最高の神様ですから、拝まれるのは当たり前ですが、こっちで拝む神様はないんです。みんな下の神様ですから、私の思うままにやっていれば、それが最高の神様がやられているんですから、そこで私は、神懸り的な――私が御神体に向かって礼拝しないと言うのは、そういう意味なんです。これは今までの宗教には一つもないんです。
栄光

肥毒について(栄光151号 昭和27年4月9日) 

最初の中の見てくれの悪いのは、無論肥毒の残っている為であるから、そこを辛抱すれば、遂には最初から黄ばみなど少しもなく、青々とした有肥田に勝るとも劣らない姿になるが、之こそ全く肥毒が解消した為で、そうなって初めて五割以上の増産は間違いないのである。
栄光

力(栄光151号 昭和27年4月9日)

今言った処で到底信ずる事は出来ないし、神秘でもあるから、ホンの一部分だけ時に応じ、進むに従い発表するのである。之を要約すれば善言讃詞にある通りの世界を造ってゆくのである。特に一言いっておきたいのは、最大の争いである国と国との戦争であるが、之も私は時が来れば、一挙に無くす事が出来るだけの力も有もっているから、安心して貰いたいのである。
栄光

御蔭話を読んで(栄光151号 昭和27年4月9日)

一切は時期である。之も神は世界の経綸上時期が来なければどうにもならないのも、私は知らされている。幸いなる哉、愈々其時期が来たので私という者を選ばれ、其大任を委せ給うたのである。従って私は病理の本源を啓示されたと共に、治病の力も与えられたのである
栄光

幸福を生む文化(栄光149号 昭和27年3月26日)

何故真実が発見されなかったかというと、全く時が来なかったからで、時こそ絶対の支配者である。そこで神は私という者を選んで、一切の誤謬を啓示され、而も叡智否神智をも与えられたのであるから、叡智でも分らない事が私には分るのである。
栄光

科学封建(栄光149号 昭和27年3月26日)

現在の如く科学時代が生れない以前は、随分迷信が横行し社会に害毒を与えたからで、之も歴史の示す通りであって、この弊害を無くす上に科学は少なからず役立ったので、いつかしら科学崇拝が行き過ぎ、人間の魂までも占領して了ったのである。
御教え集9号

御教え *鉱山(御教え集9号 昭和27年4月5日①)

それが硬化作用ですね。段々泥海が土になる。それが硬化して石になるんです。石が硬化すると金かねを胚胎するんですね。で、金属にも硬い柔らかいがあって、鉛は極く柔らかいんですね。それが硬化すると亜鉛ですね。ピカピカ光ってますね。結晶するんです。亜鉛が硬化すると銅が発生する。こういう事になっている。私の説でいくと、山の方も実に合っていくんですよ。浄霊と自然栽培――あれと同じような理屈ですよ。
救世

幼児の食物について(救世51号昭和25年2月25日)

凡そ食物は食べたい物を適当に食べればいいのである、故に西洋の物でも日本の物でも偏らないで、嗜好に適する物を撰べばよいのである
救世

天国は芸術の世界なり(救世51号昭和25年2月25日)

昼の世界になる以上一切は赤裸々に見え透くようになるから隠し事が出来なくなる、自然人間は悪に趣味を持たなくなるからどうしても人間の楽しみは善であり正であるという訳になる、とすればその楽しみは芸術の方向に転ずるに決っている
体験談Mr.Right

【体験談Mr.Right】№11 お盆の最終16日の真夜中の墓参り

一口に狐霊といっても、動物霊の場合もあれば、人獣同化霊の場合もあるという一例だったように思います。また、ご浄化を解決許されるためには、家の霊界を整えることと、ご先祖様のご供養をきちんとするということの大切さを、学ばせていただいた事例だったと思います
地上天国

文字に表われるお姿(地上天国13号 昭和25年2月20日)

之は私の書いた「光明」のお軸は単なる文字だけではない。観音様がおいでになる事をお知らせ下すった意味もある。之を多勢の人が知ると、御神体に対する考えがちがうからである。 虹は、火と水の強い場合、虹になるのであるが、観音様のお働きは火と水であるから、虹が見えるのは、自然現象の虹と同じ理由である。最初に光輪が見えお姿が見え、虹がみえるという順序も面白い。 蓮華を持っておられるのは聖観音で、仏法の御働きを表わし、玉は如意宝珠の御働きで如意輪観音である。 巻物は昔でいう六韜三略の巻で、実は経綸を書かれてある。
地上天国

医学の革命(地上天国13号 昭和25年2月20日)

現代医学は進歩せりといい、一般は進歩せりと思い切っているが何ぞしらん、進歩処か実は低迷状態に過ぎないのである。彼の紀元四百年前医聖とされていたヒポクラテス以来二千有余年を経て、今以て感冒の原因すら発見出来ないのであるから、それ以上をいう必要はあるまい。
地上天国

沢村田之助他 *壊死(地上天国13号 昭和25年2月20日)

田之助の映画を見て気が付いたのであるが同丈が*脱疽だっその為両脚を切断し、*瘭疽ひょうその為、両手の指を切断し、殆んど生きた達磨のような人間になって、尚舞台に出たという悲壮な話はあまりにも有名であるが、この手術をした医師は、之も有名な和蘭オランダの名医ヘボン氏であった事は誰知らぬものもない。従ってヘボン氏は、日本に於る外科手術の鼻祖びそとして今尚仰がれている
地上天国

薬師如来(地上天国13号 昭和25年2月20日)

仏法の存在する期間は夜の世界と私は常に言っている。したがって、その期間は火素より水素の方が多いから、毒素溶解の力が足りなかったので、固める方が有利であった。そこで毒素を固めるべく薬を服のめという訳で、彼の釈尊も薬草喩品ゆぼんという経文を説いたのである。しかし薬師如来は、物質の薬剤は良くないから、霊的薬剤によって病気治癒の御利益ごりやくを下された。ところがいよいよ昼の世界になりつつある現在、今度は毒素溶解排除手段をとられたのである。それが私の発揮しつつある観音力である。
地上天国

巻頭言 *世界メシヤ教(地上天国13号 昭和25年2月20日)

。一言にしていえば、世界の大清算であって、実に恐るべくして喜ぶべき時とはなったのである。しかしそれは恐るべきは悪人の側であり、喜ぶのは善人の側である。今日迄の長い間悪が覇張はばり、善が虐げられて来たのが、ここに一大逆転となるのである、踏み躪にじられて来た正義は、初めて華々しく報いられるのである。全人類は如何にこの聖代を待ち望んだであろうと共に、この大偉業に参加を許された吾等の幸福や、全く空前にして絶後というべきである。