無機質界 (結核の革命的療法 昭和二十六年八月十五日)

茲で、愈々細菌発生の順序をかくが、抑々細菌という有機物は、現在最も進歩した原子顕微鏡でも、六万倍迄しか見えないとされている。之が現在迄の限度ではあるが、無論極点ではない。としたら何れの日か顕微鏡の発達は、超微生物を捕捉(ホソク)出来るに到るであろう事も、予想出来るが問題は只其時期である。然しそれはずっと先の事と見ねばなるまい。
そうして右の如き科学の現在は、恰度無機質界の一歩手前迄来て、大きな壁に突き当っているようなものである。処が喜ぶべし。私は其壁を突き破ったのである。それを之からかくのである。
それに就ては、彼の湯川博士の中間子論であるが、勿論同博士は、理論物理学専攻の学者であるから、最初理論によって中間子の存在を発見した処、偶々他の学者が宇宙線を写真に撮ろうとした際、中間子である幾つかの素粒子が、乾板に印映されたので、茲に博士の理論は確認されたのである。つまり実験物理学によって裏付され、遂にノーベル賞獲得となったのである。処が私の唱える説も理論神霊学であると共に、此応用によって素晴しい治病の効果を挙げる事が出来た。即ち実験神霊学の裏付である。としたら科学的に言っても如何に大なる発見であるかが想像されるであろう。

之を一層判り易く言えば、唯物科学の到達し得た処の極致点が、現在の原子科学であるとしたら、其次にある処の世界即ち無機質界の発見に成功したのであるから、実に科学上からいっても一大進歩である。そうして此世界こそ曩に述べた如く、科学と神霊との空間的繋りの存在であって、今茲に説く処の此文は、つまり科学界と神霊界との中間にある空白を充填する訳である。実に此空白こそ今日迄科学者も、哲学者も宗教家も知らんとして知り得なかった神秘の謎であった事は言うまでもない。只朧気乍(オボロゲナガ)ら心に内在していた強い意欲であったのだ。処が遂に其謎は茲に暴かれたのである。長い間の理想の夢が実現されたのである。と言っても文化の進歩は、何時かは此神秘境にまで到達されなければならないとは予想していた。然し乍らそれは学者をはじめ多くの期待は、無論科学によると想われて来た処、意外にも予想は裏切られ、私という宗教家によって把握されたのである、けれ共単に捉えただけでは何等の意味もない。それを活用し、普く人類の福祉に役立たせてこそ大なる意義を生ずる。此事も期待に外れず、病は完全に癒され、人間の生命をも自由に延長が可能となったのである。
以上の如く、此大発見によって、人類に与える恩恵は、到底言葉や文字で表わす事は出来まい。此事が世界人類に普く知れ渡った暁、文明は一大転換を起し、人類史上一新紀元を劃する事となろう。茲に到っては最早科学も宗教もない。否科学でもあり、宗教でもあり、未だ人類の経験にもなく、想像すら出来なかった処の、真の文明時代出現となるのは明かである。偖(サ) て愈々無機質界と、物質界との関係に移るとしよう。

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