霊主体従 (結核の革命的療法  昭和二十六年八月十五日)

前項に説いた如き、無機質界と人間の病気との関係をかいてみるが、即ち無機質界
とは吾々のいう霊界である。そうして人間は体と霊との密合一致によって成立ってい
るものであって、言う迄もなく体とは眼に見ゆる物質で誰にも判るが、霊は眼には見
えないが、立派に存在している一種のエーテルの如きものであって、人体が空気界の
存在である如く、人霊は勿論霊界の存在である。霊界とは曩にもかいた如く、空気よ
りも稀薄な透明体であって、無と同様であるが、実は此世界こそ無処ではなく、絶対
無限の力の発生源であって、其本質は太陽の精と、月の精と、土の精との融合によ
る、想像もつかない程の霊妙幽幻な世界である。之を仮に宇宙力と言っておこう。此
宇宙力によって万物は生成化育されるが、それと共に汚穢が溜るので、それに対する
浄化が行われる。恰度人体に垢が溜り、入浴が必要となるようなものである。即ち地
上霊界に汚濁が溜るや、それが一定の局所に集中され、低気圧という浄化作用が発生
して清掃される。雷火も人的火災もそれである。言う迄もなく、人間もそれと同様、
汚穢が溜れば、霊を主として浄化作用が発生する。之等を詳しくかいてみよう。
右の如く、人霊に溜った汚穢即ち曇りであるが、之は透明体である人霊に、不透明
体の部分が発生する。そうして此原因には二種類ある。一は霊自体に発生する曇り
と、二は体から移写される曇りである。先づ前者から説いてみるが、人霊の内奥は求
心的三重になっている。之を中心から逆に遠心的に説いてみれば、中心は所謂魂であ
る。魂とは人間が此世に生れる場合、最初男性を通じて女性の腹へ宿る丶である。処
が魂を包んでいるものが心であり、心を包んでいるものが霊であるから、魂の如何は
其儘心を通じて霊に反映すると共に、霊の如何は心を通じて魂に反映する。此様に魂
と心と霊とは相互関係で三位一体である。勿論如何なる人間と雖も、生きている間善
も行えば悪も行う。その場合善よりも悪が多ければ、差引多いだけが罪となり、それ
が魂へ反映して曇りとなる。為に心が曇り、霊が曇るという順序である。すると浄化
作用発生によって曇りの排除が行われる。其過程として一旦曇りの容積は縮小され、
濃度化し、体内の何れかの局所に集結する。面白い事には罪によって固結場所が異
う。例えば目の罪は目に、頭の罪は頭に、胸の罪は胸というように相応するのであ
る。
次に後者を解いてみるが、之は前者は反対で、体から霊に映るので、其場合最初血
液に濁りが生じ、其通り霊が曇る。元来人体は霊の物質化したものが血液であり、其
反対に血液の霊化が霊であるから、つまり霊体は一致している。従而、濃度化した曇
りが体に映ると濁血となり、それが一層濃度化したものが固結であり、此固結が溶解
され液体となって、身体各所から排除されようとする。其苦痛が病気である。
そうして体からの移写とは、勿論濁血のそれである。然らば何故濁血が出来るかと
いうと、此原因こそ実に意外である。というのは医療の王座を占めている薬剤そのも
のである。即ち薬とは全部毒であるから、薬を体内に入れるだけは濁血が作られると
いう訳で、何よりも事実がよく證明している。それは病気が医療を受け乍ら、長引い
たり、悪化したり、余病が発るというのは其為で、別に不思議はないのである。
そうして体にある濁血が、霊へ映って曇りとなり、之が病原となるとしたら、実は
病気を治す方法自体が、病気を作る方法という事になる。処が万有の法則は霊が主
で、体が従であるから、病気は霊の曇りを解消しない限り、全治しないのは当然であ
る。処が我医術は此原理の応用であるから、霊を浄める事によって、病気は根本的に
治る。それで浄霊というのである。其理を知らない医学は、霊を無視し、体のみを治
そうとするのである。従而、何程進歩したと言っても、一時的治癒でしかない。何よ
りも事実をみればよく判る如く、医療は根治が出来ない。一旦治っても殆んど再発す
る。例えば盲腸炎の場合、患部を剔出するので、盲腸炎は起らないとしても盲腸に近
接している腹膜炎や、腎臓病が起り易くなる。之は全く霊の曇りがそのまま残ってい
るからで、再び濁血が作られ、位置を変えて集溜するからである。
そうして濁血の変化であるが、濁血が不断の浄化によって、一層濃度化するや、血
粒は漸次白色化する。之が膿である。よく血膿と言って膿と血液とが混合しているも
のは変化の中途である。尚進むと全部膿化する。よく結核の喀痰が血液の混っている
ものと、そうでないものとがあるのは、右によって判るであろう。又医学に於ける赤
血球と白血球というのもそれであって、それを食菌作用と医学は言うのである。
以上によって、霊体の関係は判ったであろうが、愈々黴菌の発生源に移るとしよ
う。

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