霊界

御垂示録2号 

*然毒、本尊様、親鸞、歯ぎしり、肥え 御垂示録2号  昭和二十六年九月八日 ⑨

然毒は種痘以前からあったと言う様な事を聞きましたが。 《御垂示》勿論です。薬を飲み始めてからです。
大経綸

御教え集2号 昭和二十六年九月一日 ※人類破滅の前に(再掲)

そうするより外に物質文化は発達する事が出来なかつた。今からは、それが続いて行くと人類破滅の結果になる。だから、ここ迄来たので正神は止めて、本当の経綸をされるんです。
天国の福音

霊層界 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

霊界は、天国・八衢(やちまた)・地獄の三段階になっている事は既説の通りであるが、これが人間の運命と密接な関係を有っている事を説いてみよう。
天国の福音

顕幽不離 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

これによってみても人間はいかなる苦悩に遇うも自殺は決して為すべからざるものである事を識(し)るべきである。
天国の福音

霊界の構成 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

霊界は天国、八衢、地獄の九段階になっており、その段階の差別は何によるかというと光と熱である。即ち最上段階は光と熱が最も強く、最低段階の地獄は、暗黒と無熱の世界であり、八衢はその中間で現界に相当する
天国の福音

霊界の審判 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

この理によって親に孝を竭(つく)し、夫に貞節を捧げる等は、現世よりもむしろ死後における方がより大きな意味となるので、慰霊祭などは霊は非常に喜ぶのである。
天国の福音

幽霊はあるか (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

昔からたまたま幽霊を見る人があるが、これら多くは死後短時日を経た霊である。新しい死霊は霊細胞が濃度であるから人の眼に映ずるのである。彼のキリストが復活昇天した姿を拝したものは相当あったという事は不思議ではなく、有り得べきはずである
天国の福音

未知の世界 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

逾(いよい)よ近き将来に於ては未知の世界は有知の世界となり、月光世界は太陽世界即ち大光明世界となるのである。その結果一切の秘密も偽りも誤謬も、白日下に暴露されるのである。この意味に於てまず私によって既存医学の誤謬発見となったのである。
天国の福音

神仏はあるか (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

私がこの偉大なる医術を発見し得たという事は、霊の実在を知り得た事がその動機である。即ち霊を治療する事によって体の病気が治るという原理であるがこれは、将来の文化に対する一大示唆と観ねばなるまい。実に科学の一大革命である
教えの光

霊問答は必要か、霊界の夜と薬 、二枚舌の患者、八重歯は治るか 『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日)

    【御垂示】霊界からかえされることは本当にあるが、薬師如来というのは観音様の別名で観音様は薬をのまして病気を治された。これは霊界が夜だったから、溶かすより固めたほうが早く効果があったからで、昼の世界になると反対に火素の量が多くなるから、溶かすほうが早い。私の行わせる浄霊はそれである。『釈迦も薬草為本』という経文を作って病気は薬で治せと説いたのである。
教えの光

霊界における年齢、霊視能力について、人霊の分霊『教えの光』(3. 霊及び霊界の問題)昭和二十六年五月二十日 

総て霊視能力は憑霊のためで、そのほとんどは狐霊である。狐が憑ると霊が見えたり声が聞こえるの
霊界

東洋と西洋の霊界、宗教人と無信仰者 宗祖、開祖の死後『教えの光』(3. 霊及び霊界の問題)昭和二十六年五月二十日

宗教家の罪のほうが重い。すべてその人の位や役柄の高いほど神の咎めは重く、霊界において許されるにも長くかかる。鳥が神社の屋根へ糞をたれてもお咎めないが、人間がそんなことをすればたいへんだ。霊を信じない人が霊界へ行くと非常に驚愕するとともに、しばらくは痴呆症のようになるものである。
教えの光

幽世の大神とは、昼夜転換による地獄の変化『教えの光』(3. 霊及び霊界の問題)昭和二十六年五月二十日

国常立尊様で、この神様は数十年前に大国主命に幽界の主宰を委ねられ、今は現界でお働きになっている。私を守っている。私はなにか分からないことがあるときは、国常立尊様にお伺いするが、すこぶる簡単に教えてくださる。力のある神様で、どんな邪神でもこの神様にはかなわぬ。観音力とは国常立尊様のお力が元である。また審判(さばき)の神様でもある。
地上天国

「叡智の光」 (5)地上天国17号 昭和二十五年十月十五日 ※ほくろ、土葬

ほくろは場所によって、よい意味と悪い意味とあるから場所を知らせなさい。又ほくろはその人の幸不幸の前世の因縁による現世へ
お蔭話

霊界は在りや (栄光 百二十二号 昭和二十六年九月十九日)※体験談 ”昏睡して一度は霊界へ赴き新たな生命給わる”

本教信者なら、霊界の有無など問題ではない。有るに決っている位の事は、誰も知っているが、然し乍らヤハリ体験者の話を、一回でも余計聞いた方が、それだけ信じ方が深くなるのは勿論である。殊に信者未信者を問わず、疑いのある人には最もいい参考となると思う
観音講座

『観音講座』第五講座  善悪の真諦と光明世界の建設

霊界において現界に相応するのは八衢(やちまた)である。天国、地獄の中間に位する所なのである。現在の世間はこの八衢であるのがよく現われている。天国は上に行く程綺麗になり立派になって行く。
観音講座

『観音講座』 第四講座   「神幽現三界の実相」

仏界は追々となくなり、仏が神界へお帰りになる。これにより仏滅となる。八段地獄ということを日蓮上人は言ったが、九段地獄が本当である。これでやはりみろくである。
第九篇  「光への道」

死線を越えた話 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

右は全く一時霊が脱出して天国へ赴き、霊体の罪穢を払拭されたのである事は勿論である。そこは第二天国の仏界である。
御教え集

御教え集32号 昭和二十九年三月二十六日春季大祭(美術品が集まる霊界の働き)

芸術家の方は、昔からの名人や美術を愛好した人の霊が、救世教の美術館に品物を納めたいというので非常に骨 折っているのです。一品でも美術館に納めると、霊界の地位が上がるのです。
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[日々雑感] 今の世で、目が離せないのはメシヤ様の霊的なお話・・?

御浄化に入られるギリギリまで、霊的なお話に半分ぐらいの時間を割かれていたことが私には意外でした。何故なら、私は長い信仰生活の中で、霊的なことはあまり学んできていないのです。
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霊主体従 (結核の革命的療法  昭和二十六年八月十五日)

無機質界と人間の病気との関係をかいてみるが、即ち無機質界とは吾々のいう霊界である。そうして人間は体と霊との密合一致によって成立っているものであって、言う迄もなく体とは眼に見ゆる物質で誰にも判るが、霊は眼には見えないが、立派に存在している一種のエーテルの如きものであって
第三篇「霊界叢談」 

広吉の霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

私は霊的研究と治病の実験を併せ行はふとした最初の頃である。それは十九歳になる肺患三期の娘を浄霊した。二回の浄霊で些か効果が見え第三回目の時であった。私が浄霊にかかると側に見てゐた娘の母親であるM夫人(五十歳位)が突然起上って
第三篇「霊界叢談」 

霊界と現界(自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

そもそも人間とは肉体と霊体との二原素から成立っており、人間が死するや霊肉離脱し霊は直ちに霊界に入り霊界生活が始まるが、離脱の場合極善者は額から、極悪者は蹠(あし)の爪先から、一般人は腹部の中央臍部辺から霊は脱出するのであって、
第三篇「霊界叢談」 

霊界の存在(自観叢書第3篇『霊界叢談』昭和二十四年八月二十五日)

人間は何がためにこの世に生まれて来たものであろうか。この事をまず認識せねばならない。それは神は地上経綸の目的たる理想世界を建設せんがため人間を造り、それぞれの使命を与え、神の意図のままに活動させ給うのである。原始時代から今日のごとき絢爛(けんらん)たる文化時代に進展せしめたのも、現代のごとき人間智能の発達もそれがために外ならない。
第三篇「霊界叢談」 

自観叢書第3篇『霊界叢談』序文 昭和24年8月25日発行

そもそも今日学問も人智も進歩したというが、それは形而下の進歩であって、形而上の進歩は洵(まこと)に遅々たるものである。文化の進歩とは形而上も形而下も歩調を揃えて進みゆくところに真の価値があるのである。文化が素晴しい進歩を遂げつつあるに拘わらず、人間の幸福がそれに伴わないという事は、その主因たるや前述のごとく跛行的進歩であるからである。これを言い換えれば体的文化のみ進んで、霊的文化が遅れていたからである。