御教え集32号 昭和二十九年三月二十六日春季大祭(美術品が集まる霊界の働き)

      今の話は霊界の宗教家の主だった人達の話ですが、一方芸術家の方は、昔からの名人や美術を愛好した人の霊が、救世教の美術館に品物を納めたいというので非常に骨 折っているのです。一品でも美術館に納めると、霊界の地位が上がるのです。地獄……と言っても、あんまりひどい地獄の霊はそういう事ができないが、上層に居る霊はそういう事ができるからそうすると、八衢に上がれるし、八衢にも上中下があるが、上段には行けるのです。又八衢に居た霊は天国の下の段に上がれるという工合で、その手柄によって大いに救われるのです。それから又救われた霊の近親者も段階が上がりますから、そういうわけで、今は霊界で、良い物をこっちに納めようとして競走でやっているのです。その現われとして、私が欲しいと思うような物は何時か入って来るのです。到底売りそうもない物を、ヒョッと売るのです。しかも非常に安く手に入るのです。よく道具屋も喫驚しているのです。“そんな値段で先が売る事はない”という事がよくあります。とに角ああいう美術品が集まるのも、殆んど奇蹟によって集まって来るわけです。そういうようなわけで、面白いと言えば、随分面白いわけで、まあ楽です。ただ思えばよいのです。ああ欲しいなと思えば、何時か入って来るというわけです。これが如意の働きというのです。如意宝珠とか、よく禅宗の坊さんが如意というものを持ってますが、あれもそういう意味なのです。それで、禅宗の大僧正があれを持って“かつ”という事を言いますが、あれは、これ(如意)によって言う事を聞かせるという意味なのです。如意輪観音というのもそういうわけです。私は今如意輪観音の働きをしているわけです。

      来月九日から箱根美術館主催の浮世絵展覧会をやりますが、これは「肉筆浮世絵名作展」というのです。この肉筆の展覧会というのは初めてなのです。浮世絵展は今まで方々で何十回とやりましたが、みんな版画なのです。肉筆展というのは今回が初めてなのです。その肉筆が数十幅出ますが、それはみんな一級品ばかりです。今日本では私の所が一番だそうです。それらも霊の働きが根本です。というのは、八十何幅という肉筆ばかりを買ったのですが、非常に安いのです。これは有名な以前の成金ですが、その人は余程前に亡くなったのです。その霊が、どうか救世教の美術館に出してもらいたいというので働いたわけです。働くとどうするかというと、其処の子孫、現在持っている人が金に困るようにするのです。霊界の祖霊が損をかけるとか、或いは大いに金を使わせるとかして貧乏にするわけです。そうすればいやでも売りますから、つまりそういうようなやり方が主なやり方なのです。そのためにどうしても売らないわけにはゆかないというわけで、手放すわけです。しかしそうすると、祖先とも言われるものが子孫を貧乏にするというのは随分ひどいと思うでしょうが、しかしそれがためにその後に大きなお蔭をいただいて、大変に結構になり、幸福になるわけです。今金に困るのは一時的ですから、やっぱり祖霊はそういう事を知ってます。深い考えでやるわけです。結構なわけです。どんな良い物でも物質はしれたものです。形ある宝を失なって、無限の形なき宝をいただくわけですから、非常によいわけです。功徳をするわけです。そういうようなわけで、とても素晴しい美術品が入って来るのです。熱海の美術館が出来るようになると、みんな驚くだろうと思います。それで、こっちに入って来る品物は大抵半分値以下で入って来ます。道具屋は年中“不思議だ不思議だ”と言ってますが、全くそうみえます。“お売りになったらよいでしょう”とか、“今このくらいなら売れるから買いたい”とか、よく言いますが、そういうわけで道具屋の腹の中では、オレ達よりずっと金儲けがうまいと思っているらしいです。ですからよく笑う事がありますが、“僕が道具屋になったら随分儲けるが、君達は下手だな”と言うのです。

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