岡田茂吉 『文明の創造』科学篇「人間と病気」(昭和二十七年)  | 岡田茂吉を学ぶ

『文明の創造』科学篇「人間と病気」(昭和二十七年) 

 近代医学に於ては、病原の殆んどは細菌とされている。従って細菌の伝染さえ防げば、病に罹(かか)らないとする建前になっているが、只それだけでは甚だ浅薄であって、どうしても細菌というものの実体が、明確に判らなければならないのである。というのは仮令(たとえ)黴菌(ばいきん)と雖(いえど)も、何等かの理由によって、何処からか発生されたものである以上、其根本迄突止め、把握しなければ意味をなさない訳である。としたら現在程度の学問では、それが不可能であるから、真の医学の成立などは思いもよらないのである。いくら微小な細菌と雖も、突如として偶然に発生したものでは勿論ない。此原理は後に詳しくかくが、其黴菌が病原となり、其感染によって人間が苦しむとしたら、一体黴菌なる物は何が為、何の必要あって、此世界に存在するものであるかを考うべきである。何となれば森羅万象一切は、悉く人間に必要なもののみであって、不必要なものは一つもないから、若(も)し不必要となれば自然淘汰されて了(しま)うのは歴史に見ても明かである。只其時代に必要である間生存しているだけに過ぎないので人類学上からみても、幾多の実例のある事で、彼の古代に於けるマンモスや恐龍や、名も知れぬ怪獣などの存在していた事も、よくそれを物語っている。としたら黴菌と雖も実在する限り、何等かの役目を有(も)っているに違いないが、今日迄の学問では其処(そこ)迄分なかった為、無暗(むやみ)に恐れていたのである。右によってみる時、造物主即ち神が人間を苦しめ、其生命迄も脅かすような病原菌を作ったという訳は、実は重大な意味が含まれているのであるに拘(かか)わらず、今迄の人間は此点に何等疑問を起さず、全然無関心に過して来た処に問題がある。それというのも学問が其処迄進歩していなかったからで、此意味からいっても、私は此著によって現代文化人に自覚を与え、頭脳を高く引上げなければならないと思うのである。

 茲で、今一つの重要事をかかねばならないが、抑々(そもそも)主神は何故宇宙及び人間を作られたかという事であって、恐らく之以上重要な根本的問題はあるまいと共に、此事程誰もが知りたいと希う事柄も又あるまい。而(しか)も現在に到る迄之に就て何人も異論なく、首肯(しゅこう)すべき程の説明を与えた者はなかったのであるから、それを茲に説いてみるが、本来主神の御目的とは何であるかというと、それは人間世界をして真善美完き理想世界を造り之を無限に向上発達せしめるにあるので、之こそ永遠不滅の真理である。従って今日迄の人智では、到底想像すら出来得ない程の輝しい未来を有っているのであるとしたら、人間は此前途の光明を胸に抱きつつ楽しんで天職使命に尽すべきである。そういう訳で主神の御目的を遂行すべき役目として造られたのが人間である以上、人間は右の使命を真底から自覚すると共に、生命のあらん限り、其線から離れる事なく働くべきである。それには何といっても先ず健康が第一であるべきに拘(かか)わらず、現実は果してどうであろうか。誰も知る如く人間は実に病に犯され易く健康を損う場合が余りに多い事実である。それが為神は不断に健康を保持されるべく、人体に対し健康擁護(ようご)の自然作用を与えられているのである。では其作用とは一体何であるかと言うと、之が意外にも病気と日(い)うものなのであるから何人も驚くであろう。それに就て充分説明してみるが、先ず人間が人間としての役目を果さんとする場合、どうしても全身に汚穢が溜る。之に就ても後に詳しく説くが、兎(と)も角汚穢(おえ)とは霊にあっては曇りであり、肉体にあっては濁血である。処が人体に汚穢が溜り、或限度を越えるや、人間活動に支障を及ぼす事になるので、之が除かれるべく前述の如く、自然作用即ち浄化作用が起るのである。処が此浄化作用の過程が苦痛となる為、此苦痛を病気として、悪い意味に解釈したのが現在迄の考え方であった。そこで人間一度病気に犯されるや、健康を損ねるものと逆に考えるから、生命の危険をも予想し憂慮するのである。其為曩(さき)に説いた如く、其苦痛を消滅或は軽減させようとして、種々の工夫を凝らして出来たものが、現在の如き医療であるから、如何に誤っていたかが判るであろう。

 以上によって考えても分る如く、病気なるものは、実に人間の健康を保持せんが為の、神の最大なる恩恵である事が判るであろう。従って此真理を基本として構成された医学こそ、真の医学と言うべきである。

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