御教え *有限力と無限力(御教え集27号 昭和28年10月5日②)

『救世教奇蹟集』出版と御論文「台風禍」

 それから今度『救世教奇蹟集』                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              という本を出すべく新聞広告をしょうと思ってますが、その広告文は外の人ではどうも書けないから私が作りました。大きさは、普通の新聞は全部で十五段になってますが、その三分の一の五段二つ割にしょうと思います。普通は四つ割りにしますが、それではどうも貧弱ですから、二つ割りが大々的で一番よいです。〔⇒世界救世教奇蹟集  広告文〕

 今年の台風はなかなか猛威をふるって大損害を与えましたが、これについては前にも書いたから分かってはいるでしょうが、又見方を違えて書いてみました。早く台風を無くする一つの警告というわけです
御論文「台風禍」

有限力と無限力

 医学と浄霊の原理をはっきり分からせるには有限力と無限力という事を説くと一番よく分かると思います。というのは、病気の原因というものは無限的なのであって、有限的の性質のものではないのです。ところが医学の方の顕微鏡で見た黴菌というものは――つまり細かい粒子です。そうしてだんだん細かいものが見えるようになって――今日ではウィルスとなってます。ところがウィルスよりもまだまだ細かいものが発見されます。それは、科学の方で中間子とか素粒子と言うのは、やはり粒子です。そういうようで、結局科学の進歩というのは、細かいものが見えるというだけのものです。ところがどんな細かいもの、例えば一ミリの中に一千万個、一億万個と数えますが、数えるとそれで限度があります。無限ではありません。ところが一ミリの間に一億万個から十億万個となると、どのくらい小さくなるか分からないが、それでも十億という数があるのだから有限です。ところが実は病気は有限なものではないのです。肺病なら肺病でも、これだけの黴菌は何億万個という事が分かったとして、それを殺菌しますが、それで治るかというと治りません。なぜ治らないかと言うと、そのできた黴菌だけ殺しても、後から後から出て来るからです。伝染発生にしても自然発生にしても、黴菌が何億万個という事が数えられたとしても、それだけでおしまいなら、みんな殺してしまえばよいですが、大体できるという事は、何処かから発生したもので漠然とできるものではないから、そうすると発生原というものは科学でも分からないのです。それは何かと言うと無限的だからです。ですから無限の病原をり去るとしたら、やはり無限の力でなければ駄目なのです。そこで浄霊とは無限力になるのです。だから原子爆弾は決して恐れるほどのものではないのです。というのは有限力だからです。あれ一つで地球全部が破壊できるものではありません。何キロ何十キロと限度があるものです。又水素爆弾ができたとしても、日本全体を焼き切る事はできないし、東洋全体を焼き切る事はできません。例え東洋全体を焼き切る事ができたとしても、世界全部を焼き切る事はできません。というのは有限力だからで、有限力というのは要するに力が弱いわけです。ところがこちらは無限力で、無限力というのは絶対力です。今アメリカのロサンゼルスでずいぶん奇蹟があったりお陰があってますが、そうすると私の霊力がロサンゼルスにも行っているのです。それは無限力だからで、無限力は地球全体に行きます。そのくらい力が違うわけです。有限力では絶対の力がないから、或る限度しか解決できないのです。病気を治すと言っても治り切りには治らないわけです。逆進歩してうまくやったとしても一時的です。ですからこれは時の限度があるわけです。浄霊の方は時の限度もなければ、力の限度もないのだから、そこで病気をすっかり無くしてしまう事ができるのです。これは科学的の説明です。そういうわけで、科学というものは有限力の範囲内が科学です。それで無限力に入れば科学ではないわけで、宗教の方に入るわけです。しかしその無限力の中にも、絶対無限と、ある限度があるものとがあるのです。というのは今までの宗教で病気が治る場合もありますし、奇蹟もありますが、しかしそれは救世教の奇蹟ほど素晴しいものではありません。それは救世教の奇蹟というものは三日の修業でキリストができるのですから、さっき読んだとおり、最早や数十万のキリストができているというわけです。キリストと同じ事ができるのだから少しも間違ってはいないわけです。結局において、有限力と無限力の力比べです。その点が分かれば、今の科学信者にも分かると思います。科学的に説けばそうなります。ですから科学というものが如何に進歩しても限度があるのです。神様の方は無限だという、その点が逆です。それで無限力の中にも上中下があります。それでは今までの宗教で病気が減りそうなものだという理屈になりますが、それは実は徹底するほどの無限力でなく、或る程度の有限力なのです。或る程度の有限力というのは、今まではみんな月の光です。月の光というのは太陽の光の取次とりつぎです。それは科学でも分かってますが、月の光というのは太陽から受け継いだ光なのです。そこで太陽の光を弱めたようなものです。救世教の光というのは太陽直接の光です。そこでここは「日光殿にっこうでん」という名を付けたわけです。太陽の光だから昼間の世界というわけで、月の方はその六十分の一ですから弱いわけです。だから有限力の方に負けるわけです。即ち今までの宗教は科学に押し倒されたわけです。そこで今までの宗教家も、科学にはかなわないと言ってカブトをぬいだというわけで、それがどの宗教でも病院を造っているという事です。それから社会事業などをやっているのは、つまり力が弱いから、科学に負けたわけです。そこで今までは総て有限力でいろいろな事を解決しょうとしていたから、そこで肥料もそういうわけです。さっき言ったとおり、地から放射する地霊というのは無限力であって、肥料というのは有限力です。それで有限力で押えると一時ちょっと良いので、それに迷わされていろんな迷信ができてしまったのです。その無限力を大いに発揮するという事によって、大いに増産になるというわけですから、その点さえ分かれば、別に難かしい事はありません。むしろ有限力で効果を上げれば、それこそ不可解な事です。ですから医療で病気が治れば大奇蹟です。おそらく奇蹟以上の奇蹟です。二、三日前に或る医学博士に遇った時にその話をしたのです。「医療で病気が治れば、これは大問題だ」と言ったら変な顔をしてました。そういうようで、救世教で病気が治るという事は実に簡単明瞭な理屈ですから、何んでもなく分かるのです。若し医学の方で病気が治るとしたら、難かしくて説く事はできません。つまり一般人が分からないという事は、酒を飲んで顔を赤くして「どうだ、このとおり顔色がよいだろう」と言って威張っているようなものです。とに角あべこべなのですから、その頭をちょっと引っ繰り返せばよく分かるのです。それで今の有限力と無限力で説いてゆくと、その頭を引っ繰り返すのに一番効果があります。おまけに今の智識人というのは、近頃はみんな頭が大分進んで来ましたから――と言っても上面うわつらが進んで来たのですが――ですから余程科学的に説明しないと納得しないのです。その場合に今の有限力、無限力でやってゆくと一番分かります。

 それからこの間の学会での物性論なども馬鹿馬鹿しいくらい幼稚なものです。科学者はみんな大したもののように鼻高々とやってますが、子供がオモチャをいじっているとしか思えません。結局あれがだんだん進んで行けば、今の無限境に入って行くに決まっているのです。そこまでで科学はおしまいなのです。つまり科学は必要がなくなるのです。ですから粒子がいくらかでも分かる間は科学が必要だが、その先に行けば必要がないのです。それは無限境に入って行くのだから、科学はおしまいになるのです。ですから科学者というのは技師などになったらよいでしょう。そういった学問というのは必要がなくなって来るのです。それがやっぱり限度というものです。そういうようなわけですから、もう長い事はありません。割合に早いです。というのは私がその理屈を知ってしまいましたから、これをだんだん多くの人に知らせて行くから、そうすれば当然無限力が勝つに決まってますし、それが真理なのです。それをお釈迦さんは知っていたのです。奥までは知らないが、或る程度は知っていたのです。そこで一切「無」或いは「空」と言ったのです。それは間違ってはいません。無限力というのは空です。物質的には分からないのです。ところがもう一層徹底して、今言ったような説き方をすれば、それはずっと分かっていたのですが、時期がそこまで行ってないから、その時にそこまで言ったところで、その時代の人間には分かりようがありません。今日科学が進歩したために分かり易くなったわけですから、その点においては科学の進歩も大いに役に立っているわけです。つまりその理を分からせる手前にまで文化を押し進めて来たという点においては、科学の功績も大したもので、高く評価してもよいわけです。

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