御教え *霊と体 物性論 (御教え集26号 昭和28年9月27日)

今度世界の科学者が五十五人ですか日本に集まって、いろんな会をして、それぞれの説唱えていますが、これは非常に結構な事で、とに角日本もその方面では世界的水準になったわけです。それも因は湯川博士がああして名声を博したという事が因ですが、それで又湯川博士の刺激によって日本でも若い科学者が随分できたようですが、非常に結構な事です。それについて私はこれから書こうと思ってますが、それは今の科学界の現状は、何んと言っても物性論が研究の中心になってます。それで物性論というのは素粒子から次に入ったものですが、これはわれわれの方で言うと、そう難かしい事はないので簡単な事なのです。科学者などというのは、簡単な事でもややこしく言って、その方が値打があると思っているのです。簡単に分り易く言えばよさそうなものだが、妙な理屈をつけてやってます。もっともそこまで行ってないからでしょうが、大体素粒子というのは物質の粒子の最も細かいもの、微少なものです。微少ではあるが、物質までにはゆかないものです。つまり物質の少し手前のものです。とに角宇宙線の写真に写ったくらいのものですから、写真に写るだけの一つの個性は持っているのです。ところがそれから先に行くと一つの気体みたいなものになります。分かり易く言うと、人間の病気の因は霊に曇りを生ずる、というその曇りの粒子なのです。それがまだはっきり把握できないために、物性――物の性質というような意味になっているのです。これはこういうふうになるほど粒子は細かくなるのです。けれどもつまりはっきり掴む事はできないが、いろいろな操作によって有るべきはずだというわけです。だから物性論というのは非常に変化があるというのです。いろいろな性質があるというのです。甲の場合の物性論と、乙の場合の物性論とは性格が違うのです。それで所によって性質が違うというので、今度の科学者の会では「場」という事を言ってます。場によって違うという事を言ってます。元は一つですが、或る物を通す時に変化するのです。つまり病気と同じで、医学では病気によって治し方が違ってますが、われわれの方では何病気でも同じ方法です。これ(掌)から出るものは一つで、何病気でもそれで治るというわけです。物性論の研究をみても、これと同じ事になってます。ところが例えそういった粒子を発見しても、それが役に立たなければ何んにもなりません。そこで役に立つという事は、それから発する力です。そこで今度も外人で量子力学という事の講演をしてます。そこで量子力学が結びつかなければならないというのです。ですからやはり浄霊というのも一つの力学です。力です。ただこれだけは知っておかなければなりません。それは、科学で作る力は限度があるのです。幾ら顕微鏡が精巧になっても、一ミリの中に粒子が何万個、何億万個と言っても、そういうように数えられればそれが限度ですから、それだけの力しか出ません。原子爆弾が如何に素晴しい爆発力があっても、それは局部的のもので、地球全体を壊すという事はできません。それは物質で作る力だから有限力なのです。ところが神様が作る力は無限力なのです。最近ロサンゼルスでは素晴しいお蔭話が出たのですが、そうすると私の力がロサンゼルスまで何んでもなく行くのです。これは無限力だからです。この無限力というのは時間空間を超越したもので、それは神様の力です。だから現代の科学というのは結局有限力の研究です。いずれ或る程度まで行けば、頭を下げるよりしょうがないのです。その物性論というのは、霊界と現界、れいたいの丁度中間になっているのです。物性論が進めば要するに科学は宗教に入って来るのです。科学が宗教に入って来ればもう科学ではなくなるのです。私はこれから書こうと思っているが、科学が物性論に入り、その先はどうだ、又その先はどうだ、と何処までも行くと、結局神霊――神様の所に行くわけです。これはなかなか説明し難いのですが、できるだけ書こうと思ってます。とにかく今は科学と宗教の結び目に来ているわけですから、それを予め知っておけば、どんな学者が質問して来ても何んでもありません。だから今の科学は丁度、やっと幼稚園を卒業したくらいのもので、これから小学校に入るというくらいのところです。この間京都での開会式の時に湯川博士が「今の科学界は丁度暗闇の中でみんな
がどっちに行ったらよいかと、これから行く道を見当付けているようなものだ」と言ってますが、うまい言い方だと思って感心しましたが、丁度そういうような状態です。ですから科学者の説によると「これから研究する事が非常に多い」と、これは日本の科学者も言ってます。又他の学者には「そうではない、物性論を進めて行けばよいのだ」と言うのがいますが、これは暗闇の中で見当を付けているのですから分かるわけがありません。だから私はその暗闇の中で探し求めているものはこれだ、と書くには書きますが、しかしあの人達の目や耳に入れるという事は出来ないのです。それは、現代の少し有識者は新宗教というと馬鹿にして、まるで何をたわけた事を言っているかくらいにしか思わないのですから、これは何んにもならないが、とにかく信者さんだけに知らせれば、信者さんは信ずるのだから、将来これが拡がって行けばよいのです。なにしろ私の説く説というのは古往今来ない説ですから、早く分からせようという事は不可能ですが、しかしいずれは分かるに違いありません。幾人かの学者に分かれば、それは燎原りょうげんの火の如くに世界に知れるに違いありません。というのは各国の学者というのはそれを探し求めているのですから。結局そういう具合につきつめてゆくと、宗教と科学とは同じ事です。むしろ科学が求めていたものが宗教という事になります。しかし宗教と言ったところで、今までの宗教ではそこまでは行っておりません。今までの宗教では科学のちょっと先くらいの所です。だからむしろその力によって負けてしまうのです。ですから私の説というのは宗教ではないのです。しかし宗教の分野に入るべきものですから、そこで書くわけです。

タイトルとURLをコピーしました