先生は先生として、立てて行くべき
《お伺い》自己の師事している先生の、御道に対する精進が足りない様に感じられて尊敬の心が起きなくなったり、或は、より以上の立派な先生について、もっと御道の事を深く研究したい――という気持になったりした場合、その御弟子、会員にとっては一応重大な事と存ぜられますが、かかる際御弟子、会員としてはどの様な心構えを持ち、どの様に進退致すべきでしょうか。
《御垂示》これは困るんですね。之は信仰のない人の考えですね。とにかく神様がそうさせたんだからどうする事も出来ませんよ。その先生についたっていうのはそれだけの因縁があって来たんだから、それを人間的にのみ見るからそんな考えになるんです。先生がいいから選ぶなんてのはとんでもない事ですよ。そりゃあ先生がよければいい事が全然ない訳じゃないけど、そんなに影響ありませんよ。偉い画かきだってそうじゃありませんか。その先生よりずっと立派になってるんです。「出藍の誉れ」って言うでしょう?「藍より出でて藍より濃し」ってね。だから、先生は第二、第三の問題ですよ。それよりも自分がどうなんですか、それが第一ですよ。かと言って先生を尊敬しないってのはいけない。やっぱり先生は先生として、立てて行くべきですよ。尊敬出来ないからっていい加減にあしらうというんでは道に外れますよ。そして、この先生はなんだからあっちの先生につく、なんていうのは全然信仰のない人のする事で、全く神様を無視してますよ。それよりもむしろ、先生がどうも面白くないというなら、その先生をよくしてやろう――と念願するのが本当ですよ。先生が気に入らないから変えるなんていう事をしてたら、今にストライキでもやる様になりますよ。
《お伺い》そういう人がだいぶあります。
《御垂示》ええ、随分あるんですよ、そんなのがね。こっちの先生についたかと思うと、またあっちの先生に変えるなんて、一体、何をやってるんだか判りませんよ。(笑声)結局、自分が社会の人、多くの人を助けなくちゃいけないんですよ。そしてもしその先生に判らない事があったら、御伺い事項に出したらいい。その為にこういう質問の道を開いてあるんだから、決して間違う事はないんです。
真面目に働いている人が良い
《お伺い》姓名や家相のよい人と、そういう事は全く知らずに真面目に働いている人とは、どちらが神様の御加護を頂けるものでしょうか。
《御垂示》そりゃあ、真面目に働く人の方ですよ。何故かと言えば、姓名や家相がいいだけでは、社会の為、人の為に利益がないから何にもならないですよ。姓名や何かがいいからって、ぶらぶらしてたんじゃ仕様がないですよ。本当は勿論両方共揃えば一番いいですがね。どっちかって言えば真面目に働いた方がいいですよ。御料理でも献立だけ幾らよくったって食べないんじゃ何にもなりませんよ。(笑声)
浄化が救い
《お伺い》大浄化が迫るにつれて、神様の「裁き」の御働きの方が「救い」の御働きより強くなるのでしょうか。あるいは両方共に同じ様に強まる――と考えさせて頂いて宜しいでしょうか。
《御垂示》これは同じ事ですよ。どっちも平均して来るもんですよ。浄化が救いですからね。病気だとか苦しみだとかいろんな事がありますがね、それが救いなんですよ。要するに苦しみってのは救われる事ですよ。一つの浄化作用ですからね。だから、苦しみは早い方がいいって言うんです。今、毒が固まってて病気にならないと、あとで一ぺんになりますからね。体が救われないで霊だけ救われるって事になるんです。――浄化の力が強くなるって事は救いの力が強くなるって事ですよ。
仏様は神様の化身
《お伺い》観音様が逐次高い御位に御戻りになられるのと同様に、国常立尊も亦、逐次高くなられるのでしょうか。
《御垂示》そうですね。これは確かにこの通りですよ。
《お伺い》そう致しますと、御名前も別になってゆかれるのでしょうか。
《御垂示》これは仏と神様との違いですね。神様の名前は変りませんよ。仏ってのは神様の化身ですからね。いろいろあるんですが、天照大御神ってのは昔も今もその御名前ですよ。仏様の方は神様が一時御働きを変えられているに過ぎないんですから違うんですよ。仏様はこれから神様になるんだから変る訳ですよ。観音様は特に救いの為にいろいろな段階を経られる訳ですね。
真理
《お伺い》真理は発見さるべきでしょうか、発明さるべきでしょうか。
《御垂示》これは問題になりませんね。真理の発明なんてありませんよ。よく、真理の探究って言いますが、あれがいいんで探り究めるんです。真理ってのは永久不変のものです。一万年前だって、十万年前だって変ってませんよ。そしてその真理を探究するってのはいい事ですよ。一つでも余計に知るのは結構ですよ。
ただ気をつけねばいけないのは、真理でないものを真理と間違える事ですよ。一番の真理ってのは太陽が東から出るって事ですよ。これには一点の間違えもありませんからね。人間が生きるってのも真理ですよ。又、眼で物を見、鼻で匂いを嗅ぎ、舌で喋る、これも真理です。こんな事は判り切ってますがね、この判り切った事が真理なんですよ。反対にややっこしい事は真理ではありません。あのマルクスの『資本論』なんてとてつもなくややっこしいもんですがね、あんなものは真理ではありませんよ。ややっこしくするのは真理でないものを真理である様に見せかけようとする技巧ですよ。仏教のお経も、とても長ったらしいややこしいもんですが、あれだって真理は少いんです。そこで「真如」って言うんです。真の如しですからね。真理の様なもんで実は真理じゃないって事ですよ。だから、仮の娑婆、仮の世って言うでしょう。或は、一切空とか空々寂々ってね。そりゃあ真理でなけりぁ空ですよ。(笑声)実相って言うのが本当で、真如ってのは一時的の仮のものですよ。
よく八万四千の経文って言いますがね、あれなんかも真理じゃないんですよ。真理ってのは簡単なもんですよ。御浄霊で病気を治しますね、これは真理ですよ。あらゆるものは火、水、土の力に関係のないものは一つもないんですからね。そしてこの御浄霊は火、水、土の力ですからね。
石油は石炭が地熱によって溶けたもの
《お伺い》石油はいかにして発生したのでしょうか。
《御垂示》これは石炭の溶けたもんですよ。だから戦時中に石炭液化ってのをやったんです。これは石炭から石油を取るんですがね、あれはドイツで発明されたもんでしたっけね。石油は地下にある石炭が溶けたもんです。だからだんだん掘ると出なくなるんです。以前は越後で随分出たもんですがね。今では秋田でやってて秋田の方がずっとありますからね。それで石炭は地熱によって溶けるんです。それじゃ石油のある所とない所のあるのはどうしてかって言うと、地層の表面は岩石なんですが、その岩石に亀裂が出来ててそこから地熱が発散するんです。で、その発散する場所の石炭が溶けて石油が出来るんですよ。地熱っていうのは熱いガスですからね、中へ滲み込むって事はないんです。

