岡田茂吉 東洋と西洋 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) | 岡田茂吉を学ぶ

東洋と西洋 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

天地間凡ゆる物に、陰と陽のある事は誰知らぬ者もない。そうして私は此陰陽を経緯(タテヨコ)に別けてみるが、陽は経であり、陰は緯である。この経緯を左に分類してみよう。

経−−日、火、東洋、霊、男、仏教、 赤、山、昼
緯−−月、水、西洋、体、女、基(キリスト)教、白、海、夜

  以上は概略で、之を解説してみるが、右の如く凡ゆるものに経緯がある。例えば東洋は経であるから祖先崇拝であり、忠孝を貴び、子孫に美田を買ひ、厳然たる階級制度であるに反し、緯の西洋は夫婦愛が基調で隣人愛となり、終には人類愛にまで発展するというように、緯への無限の拡がりである。又東洋では男子の絶対権を認め、女性は男子に追随するものとされてゐるが、西洋は女子の権利を認め、男女同権が当然とされてゐる。

右の如く、今日迄は東洋は経の線を固持し、西洋は緯の線に満足してゐた。然し乍ら何れの日か此経緯(タテヨコ)の線が結んで十字の形にならなければならない。といふのは東洋の精神文明と西洋の物質文明との結合である。この結ぶ事によって、世界人類は初めて理想の文化時代に入るのである。キリスト教の十字架はそれの暗示であり、仏教の卍も同様の意味であらう。

そうして経は霊で、緯は体であるから、之が結んで力の発生となる。チカラのチは血で、霊であり、血は人体を経に昇降してゐるが、カラは殻で体であり、霊の容れ物である。故に血である霊が脱出すれば、体は空となるからナキガラといひ、肉体をカラダといふ。又人(ヒト)とは言霊学上ヒは霊であり、トは止であるから、霊が止ってヒトとなり、人といふのである。人間が生きてゐる間は立体であるのは、経である霊の物質化である血が通ってゐるからで、死と共に横体になるのは霊が脱出して、緯である体のみになるからである。又人間立体の時は温く、横臥すれば寒く、夜着を着なければならないのは、霊界に於ては火素が経に昇降し、水素が緯に流れてゐるからである。

 茲で、十字形に就て述べたい事がある。それは終戦前までの日本は封建制によってあまりに経となり、階級制が甚しかった結果、戦争の原因ともなり、人民大衆の苦悩の原因ともなってゐた。そこで神様は日本人を民主主義といふ緯の力によって救うべくなされたのであるが、之を判り易くいえば、経の棒である日本へ、緯の棒である米国式を採入れ給うた。即ち経と緯が結んで、是に十字形の文化が呱々の声を挙げたのである。此事が判れば今度の敗戦は喜ぶべき事であって、実に有難い国になったのであるから、日本人もそのつもりで、将来を楽しみに、世界から仰がれるような立派な国にならなければならないと、私は思ふのである。

タイトルとURLをコピーしました