或る神秘(井上茂登吉先生)  読後のお言葉  (地上天国二十五号  昭和二十六年六月二十五日) 

「地上天国」誌 昭和二十六年二十五日発行

或る神秘    井上茂登吉      『地上天国』25号、昭和26(1951)年6月25日発行
 それは確か昭和六年春(実際は昭和5年12月15日)の出来事だったと思う。既に誌(しる)したごとく、明主様は大森八景園で飛躍の時をお待ちになっておられた頃である。この昭和六、七、八の三年間は、専ら神定の一エポックたる幽界の御経論を成就された時期であって、不思議な霊的事象は毎日のように起っていたし、訪れる人にも一つ一つ御神業の大きい意義を持っていて、明主様以外誰の眼にも解し得ぬ無形の御仕事も多々あられた事と思う。そういえば房州日本寺の御神業もこの期間の六年六月十五日であった。そのような事は私の記憶を辿るといろいろ浮んでくるが、今、弥生の春に因んだ、そして特に強く印象づけられた一つの神秘な出来事を、後日の為にかいておきたいのである。すでに苦しい幾年月を経た今日としては、いささか雲を掴むような曖昧な感もないではないが、大要は間違っていないと思う。
 当時、M町に住んでいた某印刷会社社員で、桜木某と称する、あまり裕福でない子沢山の家庭があった。その家の五、六歳になる末娘は、治癒の望み全く絶たれた生来の小児麻痺症であった。膝が彎曲したまま屈伸出来ず、変形していて、起立も歩行も不能だし、為に成長も後れていた。それは龍神の憑依だったか、転生したものだったかで、明主様はその家にその龍神をお祭り下されると共に、御浄霊の偉大な御力に、終に歩行する事が出来る程治癒せしめられた。この奇蹟に驚歎して一家を挙げて、熱心な信者となったのである。右龍神は「○美(よし)明神」と御命名になられたが、この名はかつて釈迦に封じ込められたと伝えられる八大龍王を意味されたものだと、私は誰かに聞いた事があった。
 却説(さて)、ある朝の事、それは電話が掛って来たのか、桜木氏自身がお訪ねして来たのか覚えていないが、とにかく異状な御報告と御依頼に、明主様は同家へお出でになったようである。そしてお帰りになってから承わった事であるが、その家の七歳になる弥生とよぶ娘が、夜中に腹痛を訴えて苦しみ出した。痛みは最初間歇(かんけつ)的に継続したが、何時間かの後すっかり無痛に返ったが、初め痛みが起ると共に、仰臥して両股をひろげ、時々排尿するのはあり得るとしても、不思議な事には出産陣痛時の羊水のようなものを排出するので、やむなく油紙を腰下に敷き、脱脂綿を用いて処理せざるを得なくなったが、それは全く陣痛と共に出産するそのままの形であって、何か産れたような様子があって、痛みが全く治まりホッとした。実に世にも不思議な出来事であったとの事である。なおその時その娘が何か言った事も今微かに記憶にあるにはあるが、あまりに漠然としているので省略する。
 事実はそれだけであるが、この神秘な出来事について、当時明主様が御解説下された事など記述してみると――
 「これは弥勒仏――即ち応身弥勒であらせらるる観音(あるいは光明如来様であったかもしれない)が、この幼女の胎内をかりて御産れになった」との事であった。勿論それは御霊体で被在(あらせ)らるるが故に、肉眼には拝し得ぬ訳である。由来新しく高貴な神霊が地上に御生誕あらせらるる時、必ずその型を示さるるもののようで、それは今次法難の際にも、その型の示顕されたのは周知の通りであるが、かかる神秘な例説は恐らくないのである。
 そうして、この場合、桜木の姓は、インドという意味になるそうである。元来、日、韓、支を花によって表徴すれば、梅松竹に相応し、インドは桜に相当する。インドに発祥した仏教は法華の言葉が示すごとく華の教であり、しづ心なく散りしく桜の無情をもって諸行を観ずるは、仏教思想を一貫する真諦でありその思想は仏教渡来と共に日本の武士道思想に転化したのであろう。
 又七は土であり、仏教は七の数を多く用い釈迦は土の、七の弥勒であるし、観音の母になる場合のある事は御教えされている所である。
 なおその少女の本名は美枝子とかいったが、この出来事より以前に、父暉一郎氏と共に彌生と御改名下されたのであるが彌生とは彌勒を生むという意だと御垂示いただいている。
 とにかくこの少女は釈迦の型か、釈迦との深い因縁のあるものである事が考えられる次第である。そうして特に驚く事は、仏典に「七歳の女子が彌勒を生む」という、到底あり得べからざる謎としか考えられぬ予言があって、右の出来事は、それが実現せられたものであると承わり、私はあまりの驚異でただ呆然として言葉も出なかった程の深い感銘は、今でも忘れる事が出来ない。何という神秘であろう。この事は数千年以前すでに示されていた、重大な神のプログラムの一齣(こま)であったのだ。まことに神の経綸は、疎なるかにみえて、寸毫の誤りなく厳然たる証しと合理と周到なる用意の裏付のある事が察せられる。この一事にみても、あらゆる宗教に示された最後の審判救世主の降臨、地上天国実現等々の予言の絶対性は、肯かれるのであって、単なる謎でない事が知らるるのである。そして明主様の御仕事は幾千年も前から神示されていた如何に重大なる事であるかを疑う事は出来ない。
 私がかつて承わったお話であるが、それは九州の某地で、十万年前に造られた硯石が発掘された事があり、明主様も御覧になられたそうであるが、それは極めて原始的に造られた瓢(ひさご)型で、その縁の表面に日月星辰の形が浮彫され、その配置は実に来るべき現世界の転換を理想世界出現を単元的に表現されており、すでに十万年以前にそのような神示が存在していた事が判るとの事であった。ここに至って神の経綸の深く遠き、到底想像の及ばぬものであり、恐らく天地創造の時からの神の望みは天国出現にあったであろうし、今やその望みを果さるべき御使命を担わるる明主様の御仕事は、如何に偉大な、讃え奉る言葉なきことである事が知らるるのである。

或る神秘 読後のお言葉            『地上天国』25号、昭和26(1951)年6月25日

 右の井上氏の記事を見て、私はハッキリ判った事だが、何しろ随分時が経った事とて、只桜木氏の女児について、何か神秘のあった事だけは漠然と記憶に残っていたのであったが、今度井上氏の文によって当時の記憶を呼び醒まし、私は喜びに堪えないのである。それで判っただけの、大体の意味を左にかいてみよう。
右は、或朝電話で、急に娘が悪いから来てくれというので、早速出向いた処、頻繁な下痢で仕方がないから、オシメを沢山巻き、股をひろげっ放しで仰臥しているので、妙な格好だと思った。恰度お産をするような形である。最初病室へ通るや、座敷の隅にあった箪笥の上に、小さな台に乗られた一寸八分位の観音様の像が安置してあった。よく見ると六金か九金位のもので、之は戦国時代武士が、御守仏として戦場に赴く際、腕へ巻きつけたもので、よくあるのである。
 そこで数回浄霊をしてやると、数時間後大体治ったが、翌朝電話が掛かったので、訊いてみると、お蔭で殆んど全快したというので私も安心した。そうして其七歳になる彌生女が、最初から時々陣痛のような間隔をおいた痛みで、恰度お産と同じようであったという事を、其日の午後来た時桜木氏から聞いたのである。尚彼は右は如何なる理由であるかを訊ねたので、私は斯う答えた。「彌生ちゃんはお釈迦様になって、観音様を生んだのですよ」と言って、尚私は思った。其子供の名が悪かったので、数ケ月前彌生という名に変えてやったが、それは今度の事の為神様が名を付けられたのである。全く井上氏のいう如く、彌勒を生むという意味である。又小さい観音様があったのは、観音御生誕の型を神様は知らせる為であった。抑々昔印度に於て観音様を生んだお方は、御釈迦様であったからである。又仏法は桜の花になるので、桜木の姓は木はキであり、キは国の霊返しであるから仏法の国という事になる。処で面白いのは、右の電話が掛かるや間もなく、私は牛乳が頻りに呑みたくなった。ハハァー観音様が生れたばかりなので、その型であると思い、早速一杯の牛乳を呑んだのである。又昨年の事件の時、留置所内で、高貴の神様が天降られ、私の腹へ宿られた其翌朝も、食欲皆無となり、只牛乳だけが欲しくなって、呑んだという事をかいたが、それと同じ意味で、之は仏教にある胎蔵彌勒の事である。以上思い出したのを茲に補遺としてかいたのである。

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