『自観叢書』第3篇 「霊界叢談」 を掲載しています。 ▶️

霊と体など (基本)  昭和9年(?)論文

森羅万象如何なる物と雖も、霊と体とから成立ってゐるのである。生物でない、茲にある此火鉢でも、座蒲団でも霊があるのであって、もし、霊が分離すれば、その物は直ちに崩壊するのである。故に凡有るものは、霊によってその形体を保ってゐるので、その一例として、生石と死石といふ事がよくあるが、死石といふのは、霊が極稀薄になって、形体を保ち難くボロボロ欠けるのである。又魚や野菜が、時間が経つに従って腐敗したり、味が無くなったりするのは、霊が漸次放出するからである。たゞ、斉(ヒト)しく霊といっても、物質の霊は霊であって、生物の霊は精霊と名付けられてゐる。
  現界と霊界 (医試 昭和十四年)

凡ゆる一切の物に霊があるが、然らば、霊と物質とに就ての関係を瞭かにしよふ。それは、眼に見えない無にも斉しい霊が主であって、物質は従といふ事である。従而、霊が物質を支配してゐるのであるから、人類社会に於ける如何なる事でも霊の作用であって、霊界に起る事象がそのまゝ現界へ移り、霊が動けばそのまま物質が動くのであって、恰度人間が手足や舌を動かす場合、それは手足や舌が先へ動くのではなくて、心が動き、後に手足が動くので、ただ霊主に対して起る物従の遅速はあるものであるが、多くの場合、非常に速いものである。
  霊主物従 (医試 昭和十四年)

此無と想へる霊、即ち、霊素なるものが物質を自由自在に左右するのみならず、万物を生成化育し、生物の死生も自由にし、人の運命も国家の興亡も社会の変転も、世界の争乱もその尽くの根源が、之によるといふ事を識る時、実に驚歎の外はないのである。故に人は、霊の存在及び霊界の実体を知識する事によって、人生観は一変して真の幸福の第一歩を踏み出す事になるといふ事も過言ではないのである。何となれば、人生の幸福の最大条件たる健康の真諦を、根本的に把握し得られるからである。
  霊と体 (医試 昭和十四年)

無形の霊の形態は、人体そのままで、此霊素が肉体と分離する事を死といふのである。何故に分離するかといへば、肉体が老衰、病気、負傷、大出血等によって、使用に堪えざる状態、それがある基準を超えたる刹那、分離せざるを得ない法則であるからである。そうして、死と共に、忽ち体温が冷却し、血液は或一部に凝結するといふ事は、霊素即ち火素が無になるから、冷却する為である。然らば、此霊素はどうなるかといふと、人体の形状の儘、霊界なる別の世界に入るのである。  
   死とは何ぞや (医試 昭和十四年)



 抑々、人間なるものの構成から述べてみよふ。人間は、科学者がいふ肉体なる物質のみではない。前に述べたやふな霊(火素)と肉体との両原素から成立ってゐるので、肉体の原素としては、水素と土素との両物質であって、此両物質だけでは、生物としての活動は起らない。之に霊魂なる即ち無形の霊素が加はって、初めて活動が起るのである。
   死とは何ぞや (医試 昭和十四年)

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