「お金に不自由をしない御守り」・・・?

昨日(令和元年12月6日)、アップさせていただいた「 御講話 昭和10(1935)年5月11日」で理解できにくいところがあるとコメントを残しましたが、それは下記の部分です。

いずれお金に不自由をしない御守りもできます。その御守りをかけると、お金に不自由をしない。つまり貧をなくすることになります。それも時機が来ればお渡しすることになります。

 これはどういうふうにお金が入るかというと、その人相応に入るんであります。なぜならば、人間は生まれながらに持って生まれただけの徳分があります。その徳分いっぱいに入るんであります。いまは徳分だけのものも入ってこないんですが、その御守りによって徳分だけのものは入ってくるんですが、生活問題、農村問題など起ると、これによって解決するんであります。

 観音会にお入りになれば、遠からずそういう御守りがいただけるんでありますから。いまから前祝いは早すぎますが・・・・・・

 浅学な私が云うのも申し訳ないと思うのですが、全体的にわかりにくいと云うか、第二次世界対戦が勃発するちょっと前なので、メシヤ様もカムフラージュをおかけになりながら種々述べられたのではないかなと私的には拝察しました。
 それにしても「いずれお金に不自由をしない御守りもできます」とおっしゃっていらっしゃるけど、そんなお守りがでたって聞いたことがないよなー?、お守りを二つぶら下げると云うこと・?などと未熟ながらお言葉に疑問を持ったのですが、ふと、気がついたのです。
 光は段々強くなっているので、最初の方は「御手代であります。扇子に字の書いたもの」という様にまだ、お光がそんなに強くなっていないので、扇子のようなものもつかっていらしたようで、お守りも光が強くなるに連れて、変わって来た経緯がありますし、浄霊の仕方もどんどん変わってきて、光が強くなるにつれ、手なども離して浄霊する様にとその方が光がでるから等と変遷して来ているので、不勉強で、開教当初、どのような方法で浄霊されていたのか、詳しく知らないのですが、できればまた、詳細お知らせしたいと思いますが、私が知っている頃はすでに四角いセルロイドに入った結構大きなお守りを首にかけ、シャツなどに、お守りを入れる袋を付けて、それに入れていました。結構目立つし、人が下げていないものをいつも首から下げている訳で、内心ちょっと気恥ずかしい気がしていました。また、学校で予防接種などがあって、みんなが受けていても受けないし、小学校で配られる肝油などもたべては行けなかったし、お医者さんにかかったこともないし、色のついたウインナーや、特にガムなどは一切食べては行けなかったので、友達などと違う事が色々あって、子供ながらに、気後れするというか、肩身が狭いというか、そんな思いが少しありました。今になって思うと大変有難いことだったのですが・・・笑い
 話がそれましたが、そいう昭和の頃を思い出しますと、確かに信者さん方は、確実に豊かになってきている感じで、病気も無くなってくるし、私の家族はお医者さんにかかることもなく、日々元気に暮らしているので、浄霊で治らないものはないと思っていました。また、18歳で東京に出ましたが、東京の信者さんたちも他の人が”金持ち宗教”かねと言うぐらい、何か豊そうな方が多いように感じました。
 そんな事を思い出して、”お金に困らないお守り”とはそういうお守りを別に出すというのではなく、メシヤ様がお述べになっている通り
 「やはりそれも時期で、時期が来なくては出せないのであります。ちょうど、日の上るようなもので、だんだん日の光が強くなるので、強くなるに従って、そういうようなことが出てくるのであります。」とおっしゃられているように、光が段々強くなってからいただいた御守りは、病気だけではなく、有り難くも「病貧争」をなくしてくださる、光の強いお守りになってきていたという事なのだと、お恥ずかしながら、私はようやくそのような理解に達しました。
また、フリーメーソンのことについては、この時期だからこそ、はっきりとお書きになれたのかな?・・・と感じました。
 

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