岡田茂吉 [ミニ体験談]私の医学革命その2 脳内出血で海外で緊急入院! | 岡田茂吉を学ぶ

[ミニ体験談]私の医学革命その2 ”脳内出血で海外で入院!”

 主人はお酒が好きで、交際範囲も広く、毎日のように外で飲んで帰ってきていました。接待の時はまだしも、それ以外はあまりお金をかけないで安い酒に安いつまみで呑んでいたのではと想像します。人間ドックの検査結果はいつもあまりよくありません。その内もともとあったらしい不整脈から血栓が飛んで薬を飲まなくてはいけなくなり、海外出張も多く海外暮らしの方が多いぐらいになっていました。私も昔は毎日させてもらっていた御浄霊のお取次も、グッと少なくなっており、それではいけなかったのですが、今回は詳細は割愛させていただきます。

主人がタイで脳幹の橋に大量出血で緊急入院。病院へ駆けつける

 60代半ば頃、タイへの出張が多くなり、仕事もかなり忙しいらしく、日本への帰省もままならない状態でした。漸くゆっくり帰省することになっていた予定日のちょっと前に、出先のホテルで脳幹の”橋”出血で倒れ、病院に運ばれました。その時も偶然とは思えない大変有難いご守護を頂き、お世話になった皆さんのお陰で、日本にいる私たちにもいち早く連絡を頂くことができ、倒れて24時間以内に主人が運ばれた病院に、娘と駆けつけることがことができました。それから一ヶ月間タイの病院のICUに入院することになるのですが、タイでお世話になった皆さんにはなんとお礼を申し上げて良いやら、本当にありがたかったです。
 主人が入院していた病院は大変綺麗でそれも紹介して下さった主人のご友人のお陰だったのですが、お医者さんや看護婦さんもこちらのお願いなども結構受け入れてくださり助かりました。何より、面会時間が一日3回、全部で4時間あり、ICUに入ることができたので御浄霊を取り次ぐことができ、お医者さん達がいるカウンターの真前ではありますが、大変助かりました。

 主人は最初、眠っている時間が多かったですが、目が覚めたときは意識はしっかりしているようでした。橋の半分以上が出血で埋まっていて、これほどの出血で良くなった人は見た事がない、殆どの場合はすぐに亡くなるということでした。実際、入院しているうちに主人と同じ病気で倒れられた方が、一日ぐらいで亡くなられたと主人のお友達に聞きしました。病院ではタイの風習もあって、頭だけでなく体も冷やされていましたが、冷やさないようにお願いしたら、38度を超えると脳に影響があるので、38度までは冷やすのを止めていただけましたし、薬も帰国が決まるまではほとんどなく、こちらのできるだけ薬を使いたくない意向をかなり受け入れてくださいました。
 何年かに渡って心房細動のため、血が固まりにくいワーファリンを服用していたため、橋の出血が止まりにくくなっていて、血を固めるため最初にプラチナという薬を使ったとの事でした。担当医以外にもお医者さんが集まり、どうして出血したか話し合っていました。タバコを吸っていましたか?と聞かれ、そういえば、タバコはもう止めて随分経つのですが、タイで最近吸い出していたようでしたので、吸っていると答えたら、出血はタバコの原因も大きいのですといっていました。のちに浜六郎先生に直接お聞きしたか、先生の本を読んで知ったか忘れたのですが、ワーファリンとコレステロールを下げる薬を併用すると脳出血しやすいということを知って、倒れる前にかかっていた病院の領収書を探してみると、主人がタイへ行くようになって間も無くタイでは薬が3分の1になったと喜んでいたのですが、倒れる4ヶ月ぐらい前から、心房細動の薬に加わえ、高脂血症の薬が増えていて、浜先生のおっしゃっている通りだと感心しました。
 主人は体は思うように動かせませんが手足もいくらか動かしてジャンケンなどをするようになったりもして、頭はしっかりしている感じだったので、何とか回復して欲しいと思い、面会時間にお見舞いのお客さんもよく来ていただきましたが、必死で御浄霊のお取次をさせて頂きました。初めわからなかったのですが、耳が大変腫れているのです。象さんの耳とまでは言いませんが、耳から首肩まで凄い腫れで、右なら右を朝しっかり御浄霊させて頂くと、お昼に面会に行った時にはだいぶん腫れが引き出していて、夜にはきれいになるので次の日は左をしっかりさせて頂くとまた引くけど、また、右の耳から首がボーンと腫れ出すという繰り返しでした。頭の毒血がどんどん下に降りてきていたのだと思います。楳木先生にへその近くを太い大動脈と大静脈が通っているから、頭の病気にはそこをするようにとお聞きしたので、へその右側と左側10センチぐらいづつを前からしっかりさせて頂きました。橋の出血がほとんど引き丁度1ヶ月で日本に帰ってくることができました。

帰国し、日本での治療始まる。

 帰国後は日本でも循環器で有名な国立病院に入らせて貰えたのですが、タイの頃より入院しているうちに主人は大分弱ってきた感じでした。入院にあたり、カンファレンスというのでしょうか、お医者さんとしっかりお話しする機会があり、薬をできるだけ使いたくないとお伝えしましたが、病気が病気なだけに先生も困っていらしたようでした。癌だったら、投薬無しということもわからないではないが・。主人の容態ではとても薬なしでは無理という事でできるだけ弱い薬にしますのでと言うことで10錠以上出ていました。その他にもチョコチョコ増えて、日本に戻ったら、薬漬けになったという感じがしました。日本のお医者さんも看護婦さんも忙しすぎて大変だなーという感じがしました。先生と話す機会も中々なく、医療の壁は高いなと思いました。入院して間もなく主人が何かに感染しているらしく、タイの病院で抗生物質を使いませんでしたか?と聞かれました。使った薬などは、申し送りされているとばかり思っていましたし、抗生物質は日本ではよく使われるありふれた薬だと思うのに、どうして聞かれるのか不思議でした。タイでは目に何回か抗生物質が使われたのは知っていたので話しましたが目は関係ないということでした。
 実はリハビリテーション病院に移ってからも、主治医の先生が真剣な顔をして、前の病院で抗生物質を使いませんでしたか?と聞いてきたのです。主人は感染症にかかっていたためのようです。私はなんでそのような事を患者に聞くのかと思ったのですが、今回投稿のために自分たちの記録を見直していたら、日本に帰ってきてすぐに軽い肺炎を起こしているからと抗生剤を投与を何日かしたという記録が出てきました。うっかりしていました。しかし、今後この抗生剤が、怖い働きをしたのだろうということが、今になってようやくわかりました。私としては、抗生剤の怖さをだいぶ前から聞いていて、アメリカなど裁判で訴えられていると、アメリカ帰りの人から聞いたことがありました。でも、日本では一般によく使われているように聞くので、どうして病院が変わるたびに聞かれるのかが不思議でした。

リハビリ病院で回復を願う!

 国立病院では減薬が難しかったので、リハビリテーションの病院へ移ったら、また、先生にしっかりお願いしようと思っていました。しかし、私は過労のためか
暫く寝込んでしまい、転院の時は子供たちが動いてくれ、私はドクターに伝える機会がありませんでした。主人の看護に携わる職員の方が一同に集まるカンファレンスの時も、私の代わりに子供たちが出席してできるだけ薬を使いたくないということを伝えて来れました。しかし、10種類以上の薬がいつも出ていました。リハビリテーション病院はとても綺麗で、皆さん優しく快適で主人のリハビリも積極的に取り組んでくださりとっても良かったのですが、医療にほとんどかかった事がなく、経験不足な私は、ただただ、医療現場の威圧感におされ、キチンとした知識もなく睡眠を止めて貰ってみたりしてもその結果が芳しくなく、”奥さんのせいで主人が苦しんでいる”見たいな雰囲気を強く感じていました。

 医学の知識が乏しい私はを全部やめても大丈夫なのだろうか?念書を書くといっても家族を説得できるだろうか?と。
目の前に立ちはだかる医学の壁が、気が遠くなるほど高く厚く思えていました。
医療現場からは、これ以上減らせるはないとキッパリ言われ、鉄壁のようにも思えた医療の壁でした。
 その間、毎月のメシヤ講座で楳木代表のお話を何回か聞かせていただきました。
楳木代表はメシヤ様を習い、上意下達でご指導される事は極力さけられ、参加者がなんとか覚り、向上を許されるようにメシヤ講座で話してくださっていました。はっきり言って私の御霊にはちょっと高過ぎるお話もあり、分かったかどうか良く分からないような状態で必死にお話についていこうとしていました。それが、メシヤ様の言われるように、「人を救いたいなら自分が向上することだ」という事だと、今になって良く分かります。高い視座のメシヤ講座で引っ張っていって下さった事で、自分の魂も目覚め反省し向上も許されたし、頑張れたと思います。実際に途方に暮れた中から道も開け、今更ながら楳木代表に感謝しています。
想念のまだまだ低い私にはポカンと口を開けて聞いているような恥ずかしい内容なのですが、参考になることもあると思うので、関心のある方は最後にその頃の講座の一部にリンクを貼りましたのでその時のメシヤ講座読んでみて下さい。(笑)

医療の壁の高さに絶望!メシヤ講座の学びからセカンドオピニオンをお願いする。


 11月のメシヤ講座での学びは私の『神意の発動』と云う思いが弱かったということを反省させられました。そのために判断を遅らせてしまい、主人には申し訳なかったと思っています。自分が出来ないならできないなりに、言い訳ばかり並べないで、まずは神様にお詫びしなければならなかったのです。
 12月に楳木代表の「極まればほどける。」というお話をお聞きして、“もしかしたら、ほどけて今の窮地が開けるということがあるのではないか”と思いました。
主人は、主治医にも薬剤師にも減らせる薬は全くないと念をおされショックを受けていたのですが、大阪に住んでいらっしゃる浜六郎先生にセカンドオピニオンをお願いするしかないという思いに至りました。またそのすぐ後に、たまたま内海聡先生の講演を初めて聞くことができ、その中でも陰陽五行の説明があり、陰が極まれば陽に転ずるという話をグラフでして下さり、“もしかしてこの窮地を脱することができるかもしれない”とまた思いました。
 浜先生にお伺いしてセカンドオピニオンをお願いし、また、お正月に子供たちが集まった時に婿さんや嫁さんも含めて、浜先生にセカンドオピニオンをお願いした事、その事をリハビリ病院に話す事を伝えました。婿さんや嫁さんたちも賛成してくださり、息子は少し違う考えのようでもありましたが、結局家族の賛成をもらって病院へ浜先生の話を伝えることになりました。
 そうこうしているうちに主人は血圧が低くなり過ぎて、リハビリもままならなくなり、浜先生のセカンド・オピニオンの文書を待たずに、家族が責任を持つので二種の降圧剤を減らしてもらえるように主治医に手紙を書き、2、3日後に娘と浜先生の文書を持って主治医と話をしました。

 実際降圧剤を三種類減らした段階でも主人の血圧は上が100から120台と大変低めで、何のために降圧剤を飲む必要があったのかと思いました。全部減らして140から150台の状態です。たぶん御浄霊もずっと御取り次ぎさせていただいているのもあると思います。そもそも浜先生は年齢からも血圧は160ぐらいはないといけないと言っていたのですが、薬でこんなにも血圧を下げるなんて、全く今の医療はどうなっているのかなと思います。

 どんなことになるのか私も家族も心配し大変不安でしたが、今回は、主治医はすぐに浜先生の減薬の提案を取り入れて下さり、四種類出ていた降圧剤を段階的に全部減らしていくこと、胃の薬など十三種あった薬を最終的には四種まで減らしてもらいました。主人は左まぶたも閉じにくく持病もあり難しいのではと思っていたのですが、主治医の先生は人が変わったように話しやすい感じで、先生の方から退院までにほとんどの薬を外していただけました。退院を控え責任も無くなるからかなーとも思いましたが、それだけでは無かったようです。
鉄壁とも思た医療の壁は気がついたら無くなっていました。
 浜先生にも「入院中は薬を減らすことはなかなか難しいよ。」と言われていましたが、“本当に極まるとほどけるんだな”と学ばせていただきました。

 主人は元気を取り戻してきました。
御浄霊ももちろん最初からずっと欠かすことなくお取次ぎさせいただき、お取次ぎさせて頂いた後は、大変穏やかな表情になり、浄霊の素晴らしさに感謝させていただく日々でした。
しかし、半年以上に及ぶ、過度な医療体制の中にいた主人は、人間にあるべきはずの大事な菌などが体内から消えうせてしまっていたようです。

3度目の転院、再びセカンドオピニオンをお願いする

 2月半ばに転院したのですが、転院先の病院はリハビリ病院とは随分違っていました。重症の患者さんも多かったように思います。院長先生はこちらの意向も良く受入れて下さるので有り難かったですが、転院してすぐ次の日ぐらいから高熱を出すようになりました。環境が変わったことや薬がかなり減って浄化力が出てきたのかもしれません。ただ、熱が出るとリハビリが出来なくなります。解熱剤を極力使わないように冷やさないようにお願いして、一応聞き入れてくださるのですが、あまりに高くなると、看護婦さんも見ていられないといった感じで解熱剤など打たれましたが、かなり、融通を利かせて頂けたと思います。でもヤッパリ子供たちとも話し合い解熱剤は使わないで欲しいと思い再び、浜先生にセカンドオピニオンをお願いしました。

 浜先生のお話は大変わかりやすく、熱が高いと血圧が高くなると思うかもしれないがそういう訳でもない。熱は上がっても41度か42度ぐらいまでしか上がらない。熱が上がったからと解熱剤で無理に下げると逆に体が熱を元に戻そうとするので、血圧は逆に上がるんですよと言うことでした。
 それを聞いて安心して、病院に伝え、受け入れてもらえました。次の日の朝、心配で病院に電話してみたら、血圧は上がっていませんでした。でも、なんかチョット低すぎる気がして早めに病院に行ってみました。主人の顔を見て間も無く、血圧が低すぎて、病院が大騒ぎになりました。応急処置をして下さっていましたが、延命治療はお願いしていなかったので、それから子供たちと話し合い、主人の意向も聞いていましたので延命処置は行わないことをお願いし、主人は夜半に亡くなりました。

 転院した時ににベッドの近くの机にカバンを置いていたのですが、家に帰ったらポツンポツンと汚れているので一生懸命拭いても取れません。アア、これは消毒液で脱色したのだと思いました。痰吸入かなんかの時に使われる液がカバンに飛び散ったのだと思います。こんなものが一日に何回も肺に入れられていたら、良い菌も皆死んでしまうなと思いました。主人の肺はMRSA(黄色ブドウ球菌)が広がって、他の良い菌も悪い菌も全部なくなっていたようです。黄色ブドウ球菌は誰でも持っている弱い菌ですが、抵抗力のある普通の人は大丈夫ですが、抗生剤などで、他の菌がなくなると重症で抵抗力のない場合は、耐性遺伝子をもっていて、効く薬がないようです。

 肢体不自由な状態でしたが、左手足が多少動かせたので、何とか自分で動けるようになって欲しいと思い、家族で励まし、孫が見舞いに来ると余計にリハビリも頑張ったりしていましたが、その願いは無理だったのだと思います。

 主人も重い病状の状態で、これ以上生き続けることを望んでいないことをハッキリと二度も伝えてきていました。
薬を止めることで死に行く力を与えてもらったのかなと思っています。

 セカンド・オピニオンをお願いした浜六郎先生のお話は、本当に納得のいく内容で、大変勉強になりました。そして力をいただいたと思います。
御浄霊をお取次ぎさせていただく中での学びも大きく、何とか、今回学んだ事をできれば多くの方にお伝えしたいと思いました。

 大変長くなってすみません。
実は今回体験談を出そうと思ったきっかけがかけていません。全く違う展開で”その3”をアップします。少しあとになるかもしれませんが是非読んでください。

その頃のメシヤ講座の一部

浄化は自分の精神革命をさせて頂ける良い機会  2016年8月⑥

『神意の発動』を担う決心について 2016年11月⑨

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