岡田茂吉 動脈硬化及び高血圧症『アメリカを救う』昭和28年1月1日※御蔭話(2) | 岡田茂吉を学ぶ

動脈硬化及び高血圧症『アメリカを救う』昭和28年1月1日※御蔭話(2)


 高血圧及び動脈硬化症は中風に間接的に関係があるから、中風についての三例を挿入する事とした。

脳溢血僅か二カ月余で起つ

   静岡県   T.R (60)


 私は昭和二十二年十二月入信させて戴きましてより数々の御守護を頂いて参りましたが、この度脳溢血の御浄化を戴き、僅か六十日余で起上る事が出来ましたので御報告申し上げます。

 去る一月二十四日、教会の自然栽培の座談会に出席のため、朝元気一杯自転車で教会へ伺いお参りを終りました途端前後不覚となり、自分の身体の仆(タオ)れるのを半ば意識しながら御神前にたおれて終いました。

 ちょうど同席された会長先生の御浄霊をいただき、一時間余にて意識回復しました。今更ながら御浄霊の有難さを痛感致しております。お蔭様で心も落着き、オート三輪に乗せられ一里余の田舎道を我家に帰りましたが、大した疲労もなく床につきました。その後は一意光明如来様にお縋り申し上げ、教会の先生方はじめ信者の皆様の御浄霊をいただきまして「幾年かかるか判らない」との近所の噂をよそに、日一日と快方に向いまして、全く薄紙をはぐごとく便秘もなおり、多量の鼻血が出ましてからは非常に楽になりまして、不明瞭な発音も目に見えてはっきりして参り、発病以来四十日目に床の上に起き上り坐る事が出来ました。更に五十日目には物につかまって歩行出来る様になり、ただ今は六十日余でありますが、不随となった右半身は感覚も整い、手足の運動も順調となりまして、食事は家人と共に楽しくおいしく戴けるようになりました。

 全く夢のような二カ月前を想い出し、もしもあの時、一時間否十分早く倒れたら一体どうなっていたかと思うとゾッと致します。教会の御神前で倒れ、直ちに会長先生の御浄霊をいただく事が出来た私は何という幸福者だったでしょうか。これもひとえに明主様の御守護と絶対の御力の賜物と存じます時、ただただ感涙がこみ上げます。

 明主様有難うございました。朝に夕に幸福感を味あわせていただいております。
     (昭和二十七年四月六日)

脳溢血で不自由の身を短時間に救わる

静岡県    S.K (55)


 この度大変御守護を戴きましたので、簡単ながら御報告申し上げ、あわせて御礼申し上げます。

 私は三月六日に突然脳溢血をおこし、全身不自由な体となりまして両手両足がきかず、十四、五日位は食事も家族に食べさせて貰う状態で、全身が痛み、自分でどうなるのか分らぬ位でしたが、近所の御熱心な信者さんが毎日御浄霊をして下さいましたので、二十三日目には立てるようになりました。その時の嬉しさは忘れられません。主人を始め家族一同「有難い」と喜んでおります。

 立てるようになりましてはじめの三日間は杖を頼りに立つよぅに致しておりましたが、四日目からは杖なしでも歩けるようになりました。それからは一日毎に目に見えてよくなりまして、今では杖なしで外に出られるようになりました。

 私があまり早く治りましたので、近所の人達もピックリして、「どんなよい薬をのんだか、どんな注射をしたか」などと、尋ねる様な状態でございます。家ではまだ子供が小さいので、私が寝込んでおりましたら本当に暗闇でしたが、神様の広大無辺なる御守護により、こんなにも早く起きられお救い賜わりまして、明主様ほんとうに有難うございました。厚く御礼申し上げます。
            (昭和二十七年八月十七日)


八年間のが一時間の御浄霊で起上がる

秋田県   S.Y (19)


 暗黒無明の地獄よりお救い頂き、一家歓喜の家庭にならせて頂きました。この偉大な又深遠なる明主様の大御恵は筆や言葉には現わし得ませんが、私共と同じ病貧争に悩みおられる世の人々に、一日も早く一人でも多く、救世主であられる明主様の出現を御伝えさして頂き、そしてお救い頂ければ幸と思い、ここにその一端を申し述べさせていただきます。

 想えば今から十年前の昭和十七年二月のことでありました。この時より、幸福でありました我家に無慈悲な病魔が舞込んだのでありました。母が出産致してより産後の肥立ちが悪く入院致し、十一月に至るも何の効果もなく、下半身が不自由で起上る事が出来ずそのまま退院いたしました。それからというものは次から次と医者を替えて、あらゆる医療を尽しましたが遂に起上る事が出来ず、暗黒の中に呻吟する事四年、戦争は益々激しくなりF町の実家に疎開致しました。

 私達兄弟三人は学校から帰ってまいりましても、母が暗い顔で床の中で休んでおられる姿を見ると胸がふさがるような気持で、楽しく遊ぶことも出来ませんでした。祖母は心配の余りとうとう亡くなられました。「何と言う不幸でしょう。これが生きながらの地獄というものかしら」と母は毎日床の中で泣き暮したのでありました。

 父が朝早く起き、馴れぬ手つきで食事の支度をする姿を見る時、私達はどんなに悲しかったかわかりません。友達の何の心配も無く遊んでいる姿を見て、どんなにうらやましく思った事でございましょう。

 川崎から疎開してまいりました叔母も、又子供達も次から次と重病にかかり、全くお医者さんと親戚のようなものでした。それが大光明如来様にお縋りしてまず手の施しようもない重症と言われた叔母の子宮痛が癒り、子供の骨膜炎も癒りましたので、叔母は母の病気も治したいものと一生懸命御浄霊をして下さいましたのが二十四年九月の事でした。一週間致しましても何の効果もございませんでした。足掛八年間の業病がそんなに簡単に治るはずもないのでありますが、あらゆる治療に手を焼いた母は、もうすっかりあきらめ切っていたし、治療に対しては自暴自棄的な心情でいたのでございました。でも奇蹟的に自分の重病をお救い頂きました叔母は、何とかして母をお救い戴きたいと、一心にお念じさせて頂いておりました。その一念が通じたものか御浄霊を始めて八日目の朝ひょっこりとN先生が訪ねて来て下さいました。叔母は自分が御浄霊を頂きたかったのを後まわしにして私の母を治して下さるように頼んで下さいました。その内時間も来ましたので私達は学校に行ってしまいました。学校から帰ってまいりましたら、母が立って歩いているではありませんか。信じ切れずに、夢かとばかり驚いたのでございます。叔母から色々とお話を聞かして頂き、目に見えざる霊のため八年の長い間母が苦しめられていた事がわかったのでございます。その霊とは、実家の四代前の方で、母には曾祖母に当る方でした。二十歳で祖父を生み産後死亡したそうで、これが血の池地獄と言う所で百年近い長年月苦しまれておられたそうでございます。実家では仏壇もよくまつり、供養もよくやっていながら救われずにそれ程苦しまれるとは、今までの宗教では、とても霊の救いは出来なかったのでございましようか。宗教的知識のない私には分りませんが、八年の業病が霊界で苦しんでいられる霊の救いを求める姿であった事をきかされ、百年の苦しみをただ祝詞三回でお救い頂いた事実をきかされ、その結果として母は目の前で起ち上ったのでございます。何という偉大なる御力でございましよう。いかに科学が進歩しましても手の施しようもなきこの霊的な病気を、一時間で解決して下されました大神力には御礼のことばもございません。

 八年間寝た儘の母は、足もなえ果てて全く小児のごとく細くなっており、膝頭が油の切れたような調子でカチカチして思うように歩く事が出来ませんでしたが、一週間目には汽車に乗ってO町の教会まで御守様をお受けしに行く約束をしたのでした。父や叔父達は、「そんな無茶な事をするな」と大反対致しました。N先生から「神様に御救いを求めて行くのに、どんな困難な事がございましても絶対御守護を下される」とのお言葉を頂いているので、母と叔母は行かねばならないとどこまでも頑張り、喧嘩の様な有様でございました。しかしこの時もまた霊が憑り、教修を頂く事の意義をさとして下さいました。これは祖母の霊でしたが、可愛いい自分の娘である母をお救い下さるため霊界から愛の御手を差しのべて下さったのです。この事実を目のあたりに見ました父もO町行を許して下さいました。

 三日間の教修も終り、元気で帰って参りました。それから一週間目に外へ一人で出て歩けるようになりました。なお一カ月目には一里もある所に遊びに行けるようになりました。それから間もなく妊娠致し、二十五年の十二月可愛いい弟が生まれました。何という有難い事でしょう。八年間の業病がいやされ、かつ子宝まで頂くとは、近代科学では考えられぬ大奇蹟であります。 

 その後私も入信さして頂き、今はなんの心配もなく過させて頂いております。

「その頃を顧みすれば恐ろしも闇路杖なく彷ひし吾」

の御讃歌が御座いますが、そのままの私達でございます。尊い御神恩に何をもってお報い出来ましょうや、凡人の私共には報恩の術も知らぬ有様でございます。世の人々にこの大奇蹟の事実をお伝えさせて頂き、尊いこのお道に、大神様の大愛に、お救い頂けるように念願するものでございます。
             (昭和二十七年八月五日)

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