岡田茂吉 [ミニ体験談]私の医学革命その1《無知すぎてまな板の鯉状態》 | 岡田茂吉を学ぶ

[ミニ体験談]私の医学革命その1”無知すぎてまな板の鯉状態”

 今回、浜六郎先生の薬についてのお話を掲載せさせていただきましたがいかがでしたでしょうか?
 私は家族が高い熱を出した経験があまりないのですが、子供が40度を越えた時が一度ありとても心配したことがあります。また、知り合いの方が高い熱が出たりすると心配だったのですが、以前先生のお話を聞き、医学的にも熱はあまり心配しなくても良いのだと思いホッとしました。みんなにも浜先生の薬についてのお話を知って欲しいと思い今回掲載させて貰いました。
今回のコロナの件でお医者さんがテレビによく出てこられますが、中にはハッキリと「風邪では私は薬は飲みません。熱が高くなると、熱と闘う力が体にでてくるから・」確か「咳なども悪いものを出すから止めない」などとうる覚えですみませんが言われたお医者さんの話を2回ぐらい聞きました。一緒に見ていた子供が、お母さんと同じ事を言ってるお医者さんがいるよと言ってくれるのですが、中々、ハッキリとそのように言ってくださるドクターは少ないです。
コロナの薬はまだないので、咳を止めたり、熱を下げたりなど対処療法しかできないなどと話されるお医者さんがほとんどです。今はアビガンを相当量処方されたりしているみたいですが、それで本当に大丈夫なのでしょうか・・・?
その対処療法自体も、悪い結果を誘引しているのではありませんか?と、お聞きしたいぐらいです。では、まず私が一番お医者さんにお世話になった出産での無知加減を書きます。
 

3回の出産、無知のまま臨んだ失敗!

 実際におバカな失敗例を挙げると、まず、3人の子供を出産したのですが、妊娠中は大変順調に経過し、3人とも実家へ帰りそれぞれ違う病院で出産しました。母子ともに特になんの問題もなく出産に臨んだのですが、出産は病院によって3種3様となりました。
 一人目は町の総合病院でしたが、祭日に産気づき病院にいきましたが、最初の出産なので、午後から少しずつ陣痛がしている状態でした。ところが、少し間隔が長いと見られたのか、なんか、点滴がはじまり、頭が出てきたら引っ張って出してあげるからねと、優しい先生の声です。少しづつ陣痛も強くなってきているのに、もっと早く出さなくちゃいけないのかなと、ほんと無知な私はしたこともない点滴をされ、子供は吸引されて頭が尖って生まれ、小さい頭には包帯が巻かれていました。結局点滴は人工促進剤だったのでしょう。出産は潮の満ち引きのようなものだからと聞いていたのに、点滴のお陰で不規則に陣痛が急に強くなり、すそは破れて何針か縫うことになりました。😓 全然普通分娩で行けたのに、無知とは恐ろしい、主治医に言われたまま、勿体ない出産をしてしまいました。
 二人目は勧められるまま、個人病院で産んだのですが、陣痛の間隔は長かったですが普通に分娩しました。ところが、産んですぐ一錠の薬を飲むように持ってこられました。薬を飲んだ事のない私は、8杯も水を飲んで漸く一錠の薬を呑み込みました。そして一階で分娩して、その後しばらく休んで、2階の病室へ歩いて行きました。そして次の日から何故か二階の病室から、毎日一階の診察室まで下りて行き、注射をしてもらいました。なぜ毎日注射をしなければいけなかったのか、何故、出産後すぐから毎日階段の昇り降りをしなくていけなかったのか未だわかりません。(汗)
 そして、3番目は地域では一番大きい総合病院で出産しました。どんな事になるのかなと少し心配していましたが、全くの自然分娩でした。薬も全く出ませんでした。ただ、産後お尻が痛くて子供を抱っこしていると落としそうでチョット怖かったです。
 自然分娩なのにどうしてこう3箇所とも違う出産になるのか、あの点滴、注射、薬は必要なかったと思います。あまりにも無知だった私が馬鹿でした。
  実のところ私はお医者さんにかかったことが殆どない上に、医学的知識も大変乏しく、医者に見てもらうのは、まな板の鯉状態だなとつい思ってしまうのが現状です。

意外にも娘が助産院で安全な出産をする事に。

 一年前、長女が第2子を出産しましたが、ネットで助産院をみつけてきて、助産院で出産しました。近所の助産院を探したこともありますが、近くの助産院は近年次々閉鎖されてありませんでした。少し離れてはいますが、第一子の産婦人科の病院での出産の時とは随分違って、とてもいろんな面で良くなって、びっくりしました。
 そちらの助産院の助産師さんは出産前から出産が軽く自然分娩できるようにしっかりしたアドバイスをして下さり、助産院の建物も木で作られた、ゆったりできるステキな空間です。 ベッドでないので、赤ちゃんをそばに寝かせて授乳したりでき、その上なんとお食事が自然食で娘は美味しかったととても喜んでいました。産後もきめ細かに、できるだけ薬に頼らない育て方をサポートして下さったり、私も助産院で出産したかったなとつくづく思いました。こんな助産院があるなんてとても有り難かったです。
 出産は助産院がお勧めではないかと思います。

母に付き添って薬剤の怖さを知る!相変わらず無知の私。

 話はだいぶ前にもどりますが、実家とは遠く離れて暮らしていましたが、母が亡くなる時、1・2ヶ月病院で付き添いました。母はもともと腎臓が悪く、亡くなる少し前にネフローゼを発症して病院に一年ぐらい通っていたのですが、大腸ガンの末期がみつかり入院することになったようです。ネフローゼで一年ぐらい投薬が続いていたのですが、弟がお医者さんと薬を使わないように話をつめてくれていて、私が付き添った時は全く薬を使っていませんでした。ただ、ネフローゼがあるためか、寝たままでしたが、食事も少しづつですが食べれていました。どこか痛くないかと母に何度聞いても、「どこも痛くない」と言います。御浄霊させてもらうと、薄っすら頬に赤みがさし、いつも少し汗ばんで来ていました。
 亡くなる2週間ぐらい前、担当医からもうそろそろ口から食べるのは止めましょう。(誤飲しないように?)と言われ、そしてもう、利尿剤を使いましょう(母は大変浮腫んでいたので当然かと思った)と言われ、利尿剤が少し出るようになりました。利尿剤は弱い薬だと勝手に思いこんでいたのですが。利尿剤が出るようになってからは、ピタッと汗をかくことはなくなり、びっくりしました。浄化力が止まってしまったのです(浄化停止)。大腸癌ということで胃の下の大腸の所に大きなしこりがあったのですが、毎日御浄霊させてもらっているうちに、自力で排泄して、癌のしこりも消えましたが、母は全く痛みもなく亡くなっていきました。
 その頃、腎臓浄霊と言って、私は、弟もだと思うのですが、横腎臓ばかりしていたので背面腎臓をしなかったのは馬鹿だったなと自分ながら悔やまれます。しかし、もっと馬鹿だったなと思うのは、母の死期が近いからしょうがないのだと思い、お医者さんの指示に対して、食事のことでも、薬の事でも、病状などとうとう、何も尋ねずじまいだったことです。私は医療のことが全く分からないので、尋ねたところでどうにもできないと思い込んでしまっていたのだと思いますが、あの時もっとちゃんと、聞きたいことは聞いておけば良かったと、今でも後悔しています。

 今回、”私の医学革命”という素晴らしい大きな題をつけましたが、”その1”は無知なための失敗談で終わってすみません。”その2”はちょっとだけ進めるかもです。長くなるので2回に分けました。”その2”も近日中アップしますのでよろしくお願いいたします。
 なんで医学的知識もなく、経験もない私が「医学革命」などと大それた事を云うのか?多分いろいろ知識や経験のある方はあきれていらっしゃるでしょう。
私は大変微力です。でも、立派な理論があっても結果がなければ世の中には受け入れられない。自分の立ち位置でそれぞれが、岡田茂吉教祖のみ教えを実践し、実際に健康な個人、家庭を作っていく、それを世に出して行く。それなくして「医学革命」は為し得ないだろうと思うからです。世界のどこかで、コツコツと「医学革命」に取り組む人が増えて行くことを願って、今、自分の身の丈で「医学革命」の取り組みでできたこと、失敗したことをそのまま書きます。参考にしてもらえる人があれば幸いです。

 勿論、びっくりするような、いろんな奇跡も載せていきたいとは思っています。

 

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