序文  自観叢書第十篇 『神示の健康法』昭和二十五年四月二十日

私は弐十数年前から人類救済の聖業に従事しつつあるが、勿論私の意識的に創(ハジ)めたものでもなく、企画したものでもない、神が私といふ人間を選ばれ、文化の凡ゆる面に於る過誤、不正、蒙眛の根本義を開示され一切の是正を行はしめ給ふのである。
近代文化が驚くべき進歩を遂げ、燦然たる光彩を放ちつつあるに拘はらず、ひとり人間不幸の最大原因である健康に関しては古代人と何等変りがないと言いたいが、実際はマイナスにさえなってゐる事実である。而もこれに対し何人も疑義を起さないばかりか、却って進歩せりとの誤謬に陥ってゐるのは実に大問題である。
視よ、結核も伝染病も虚弱児童も精神病も小児麻痺も寄生虫も、神経衰弱等々、凡ゆる病気は依然として氾濫し、その種類も年々増加の傾向にあり、病院の不足を告げつつあるという事は何処に医学の進歩ありやと問ひたいのである。これを本当からいえば、病気の種類が年々減り病院は入院患者が減少して経営困難となり、薬剤の売高も漸減するという事こそ、真に医学が進歩しつつある訳である。然るにそのような事実は片鱗だも見られない。否寧ろその逆でさえあるとすれば、進歩と思はれるのは錯覚でしかない事にならう。而もそれに伴い一般健康者の増加の傾向はあっても減少の傾向は見るを得ない事実である。
これによって慎重に考えてみれば、医学の進歩とは実は外面的末梢的であって、その外装の善美に眩惑されてゐたまでで、前述の如く其根本から遠ざかる事千里である。何よりも医学上対症療法という言葉がある。これは発熱すれば氷で冷し、痛苦があれば麻痺剤で一時緩和させ、疾患のある臓器を手術によって除去するという方法で、何れも間に合せ以外の何物でもない事で全く真の病原が不明であるからである。
吾等からいえば如何なる病患と雖も発生すべき原因があって発生するのである以上、その原因の発見こそ医学の本領であるべきに拘はらず、未発見の為やむを得ず疾患の臓器除去というが如き野蛮的手段を採らざるを得ないのであらう。とすればそれは医術ではない、単なる一時的苦痛緩和法である。随而天与の臓器を些かも毀損する事なく原形のままにし、病気そのものだけを除去する方法こそ真の医学である。

然るに私は右の如き夢にも等しき真の医術の発見に成功したばかりか、現に着々成
果を挙げつつあるのである。
此著は右の意味によって、真の健康法を説諭したもので、勿論神の啓示によるので
ある。

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