『文明の創造』宗教篇「最後の審判」 (昭和二十七年)

 私は之迄、現代医学の誤謬と、真の医学の在り方とを、微に入り細に亘(わた)って、徹底的にかいて来たので、大体分ったであろうが、然(しか)し之だけでは全部ではない。というのは今迄説いて来たものは、体的即ち唯物面の方を主としたのであるから、謂わば半分である。従って残りの半分の面が、根本的に分らなければ、真の医学としての全部は分らないのである。

 尤(もっと)も今迄説いた中にも、霊の実在と霊の本質と、霊の作用影響等は、相当かいたつもりであるが、それは病気そのものに就(つい)ての直接的解説であって、之から説く処のものは人体の内面である霊に関する一切である。従って宗教とは離れられない霊に関する以上、結局は宗教に迄発展し、神霊の本体に迄及ぶのである。

 然し此所説が最後に到って、宗教とはなるが、既成宗教のそれの如き、信仰一点張りの独善的のものではない。言う迄もなく経文、聖書、御筆先の如き、神秘幽幻な説き方ではない。飽(あ)く迄論理的、実證的であって、寧(むし)ろ科学的、哲学的といってもいい程のものであるから、現代人と雖(いえど)も之を精読すれば、理解し共鳴しない訳はあるまい。換言すれば今日迄何人も説き得なかった処の、高遠にして人間が触るる事を恐れていた、深い微妙なる謎の本体とも言うべきものであって、之を徹底的に開明するのである。というのは現在迄の世界は宗教的、形而上的の殆(ほと)んどは神秘の幕に閉され、其実体が明かにされなかったからで、それが為神というものの本質は分り得ない為、神の実在なども一部の人を除いては、信ずる者が殆んどなかったのである。其結果唯物科学が絶対的信仰の的となり、遂に真理ならざるものを真理と錯覚して了い、物の正邪の区別さえ分らなくなり、折角苦心して成し遂げた人類の幸福に役立つ処の、発見発明と雖(いえど)も邪神に利用され、本来の目的とは反対に不幸を生むべき道具にされて了ったのである。其結果病気の氾濫となり、経済的苦悩を生み、戦争の原因を作ったのであるから、斯うみて来ると、此苦難に充ちた世界人類を救おうとするには、何よりも先ず可笑しな言い方だが本当の真理を開明し、世界人類特に文化民族の知識人に、自覚させなければならないのである。之が真文明を生むべき根本要素であって、之以外決してない事を私は断言するのである。此意味に於て、私は先ず医学の誤謬から明白にすべく、真理の鏡に照して、鏡面に映るままの真実をかくのであるから、絶対誤りはないのであって、私としても別段医学に対し、怨恨(えんこん)などある訳はないが、人類救済の必要上、止む事を得ないのである。従ってよしんば私が之を行わないとしても、誰かが神命によって行うのは当然である。というのは再三言う通り、時期の到来と共に、主神(エホバ)の神意の発動は、之以上の遷延(せんえん)は許されないからであり、最後の審判は目睫(もくしょう)に迫りつつあるからである。そこで神は先ず第一番に医学に対し、審判を開始されたのであって、此事が先ず私に命ぜられた使命である。というのは曩に述べた如く人間生命の解決こそ、文明の根本条件であるからである。従って此問題を解らせる為には、今日の人間に解し得らるべく、現代即応の説き方でなければならないのである。而も前人未開の真理であってみれば、猶更(なおさら)そうでなければならないので、之を以てみても此著は、有史以来の偉大なる文献であって、此大任を負わされた私としても、責任の重大なる到底筆舌に表わす事は出来ないのである。

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