御教え集13号 昭和二十七年八月二十六日 ※九分九厘と一厘

      それから九分九厘と一厘という事を始終言つてますが、九分九厘と一厘に就いて出来る丈解り易く書いたのです。

      御論文「⇒⦿(ス)の文化」【註  栄光一七三号】

      丁度医学に世界中塗りつぶされた様なものですが、そこに私が段々九分九厘の医学をやっつけて行くのです。で、九分九厘と一厘という事で一番の問題は医学なのです。之さえ本当になれば、無論貧乏も無くなりますから、戦争なんかも無くなるのです。医学と言つても、問題は薬なのです。人間の身体から薬を抜けば全然病気をしなくなるから、貧乏もなくなるし、争いを嫌いになるから戦争も無くなる、という事ですから、九分九厘と一厘という事の一番重要な根本は医学の革命なのです。之でミロクの世が出来るのです。では何故にそういつた医学にしろ薬にしろ、そういつた間違ったものがあるかという事と、それに対して神様との関係は何うだ、という疑問が起りますが、それを今「文明の創造」の中に書いてあるのを読ませますが、それですっかり分るわけです。面白いのは、今迄の宗教は残らず悪を非常に非難したり、排撃している。そうして善一方で説いているのです。之は宗教に限らず、道徳でも何んでもそうなつてます。処が今度私が説くのは、悪も肯定し悪は必要だつたという事と、薬は神様が人間を瞞まして飲ませたのだという事を書いてあるのです。之が大乗の説き方なのです。それは何ういうわけかと言いますと、今迄は主の神様の教えは説かなかったのです。主の神様が善と悪と両方拵えて闘わせて文化というものが今日のように発達したのです。今迄の宗教の開祖なんかは全部善の棒の神様なのです。それから色んな悪の方の、悪魔はこつちの棒なのです。之が始終闘つていた。闘っているので文化が発達して来た。之が闘わないで善ばかりだと、人類は原始時代と同じで少しも発達が無かつた。其為に主神は両方作つて闘わしたのです。それで今迄の宗教は善の神様だから、こつち(悪の棒)を悪く――徹頭徹尾非難したのです。処が主の神様の教え――私の教えは両方説くのです。処が之(悪)も必要だつた。大変な良い働きをしたのです。然し何時迄も斯うしていると、ミロクの世――理想世界は出来ないのです。今度は――悪の方は全然無くなるのではないが、斯う(善の棒が悪より一寸上に)なるのです。斯う(善の方がずつと上に)なるのはずつと先です。今迄は斯う(悪の棒が上に)なつていたのが、善の一寸下になる。之で良いのです。之で立派にミロクの世になるのです。善が勝てば良いのです。之(悪)が斯う(善)追抜くから、人間に苦しみや不幸やいろんな禍が出来るのです。斯う(善が上に)なると、之(善)で止めて了います。本守護神と副守護神があると、本守護神が勝てば良いのです。副守護神の方は間違つた事や悪い事ばかりさせ様として色んな策略をするのです。そこで本守護神が負けるからそうなるので、本守護神が勝てば良い。或程度迄行くとキユツと押えつけるのです。だから善の方が悪より幾らか勝てば良いのです。世の中も、今言つた様に善の方が勝つとなれば良いのです。そうすると争いは無くなるのです。善の方は争いを抑えますから――。今迄は悪の方が争いをやっていたのです。又、悪の方は大いに貧乏にしようと思つてます。然し、悪の方が負ける期限が来たのです。悪の方の任期は終つたのです。今迄は悪とか医学とか言うのは必要だつたのです。然しもう必要が無くなつたのです。それを根本に説いてあるのです。その内の薬と悪ですが、それに就いての一節ですが今読ませます。

      御論文「文明の創造  ⇒九分九厘と一厘」

      之は一寸面白いと思いますから読ませます。

      御論文「⇒悪の追放」【註  栄光一七三号】

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