「叡智の光」(1) 地上天国17号 昭和二十五年十月十五日

   ○ 舌 代

  従来本欄を、「妙智の光」と題して、別院で明主様から御解答戴いた御垂示の無数の筆写中より抽出掲載したのであるが、八月一日以降の御伺い事項は本誌上にて御答戴ける事となったので本号から、之を実施し、本欄をそれに充当した訳である。   右念の為。           

                 井  上  生

        【お伺】天津(あまつ)神、国津(くにつ)神の区別についてお教え願います。

    【御垂示】天津神とは天系であり、国津神は地系である。勿論文字通り上下の位である。然し之を詳しくいう事は今は出来ない。神秘があるからである。

        【お伺】正守護神はもっぱら子孫の守護に任じ、ほかの業務はないものでしょうか。

    【御垂示】正守護神とは、人間を守護する場合を言うのである。霊界で、ほかの御役になればその役目の名前がつくのである。

        【お伺】神様は正しいから邪悪に対しては闘うべしとの御教えと、又邪悪も主神の御経綸にして、善悪不二なれば大乗的に之を甘受すべしとの御教えがありましたが、この闘うべき邪悪と甘受すべき邪悪との区別について御教えを御願い申上げます。

    【御垂示】それは、事情によるのである。どっちにも決める事は出来ない。その的確の判断が、叡智の力である。叡智とは、或程度信仰が進み誠の心の持ち主になれば、自から判断がつくものである。

        【お伺】善悪と時節につきましてお伺い申し上げます。時を待てという御論文の中に「神も時節に叶わぬぞよ」と御座いますが、御布教の上におきまして、私共が常識的に考えまして正しい事でも時節に合わぬ為失敗し、間違った事でも神様の御都合上、当分順調に行く場合がある様に考えられます。この点、信者として余程深く考えて現象を判断して行動せぬと、かつての日本政府に対する国民の如き悲哀を味わわされる事もあるやと思われますが、いかがなもので御座いましょうか。また例えば集会所の発展せぬ場合など、何か自分に間違いがあるからではないかと反省し、間違いを発見して行き詰りが打開される場合も御座いますし、うやむやの中に打開される場合、如何なる態度で之に臨むべきか、お教えをお願い申し上げます。

    【御垂示】之は大乗と小乗の相違である。一言にしていえば、小乗の善は大乗の悪であり、小乗の悪は大乗の善である。従って、凡て大乗の考えで進めば必ず発展向上する。大乗小乗については『信仰雑話』に出ているから、よく読みなさい。

       【お伺】お守りの「浄力」を授かりました場合、今迄頂いておりましたお光り様は、どの様に致しましたら宜しいでしょうか。

    【御垂示】御光りのお守りは額になるようになっておるのだから額にするのが一番よい。

タイトルとURLをコピーしました