御教え集25号 昭和二十八年八月五日 ※「医学革命の書」

    昭和二十八年八月御教え

    八月五日                                     

    終戦後封建性が壊れて、今は自由主義になったと言って大変結構としていますが、 誰も気がつかないところに非常な不自由主義があります。そしてこれは解決不可能として誰も関心を持たないのですが、それも無理はないのです。人間はできるだけ自由主義ならよいですが、絶対できない自由主義だから諦らめているよりしようがないのです。ところが私はその自由主義はかえって今の社会的、政治的のそういう自由主義よりもずっと楽に解決できるというわけなのです。それは何かと言いますと、健康自由主義です。今は健康に対する自由がないのです。それを書いてみました。これを読んでみると、なるほどと思うのです。それで救世教の有難い事はこの点に大いにあります。ところがそう言われてみないとちょっと気がつきません。

      「医学革命の書」の本ですが、前に「医学の革命書」と言いましたが、これを「医学革命の書」とします。その中に入れるものです。ですからちょっと分りきったような説明も書いてありますが、そのつもりで聞いてもらいたいと思います。

      御論文  医学革命の書〔⇒健康の自由主義〕                         

      今読んだようなわけで、今の人間が安心して生活できないという事は、何時病気にかかるか分らない、風邪を引いたら大変だ、食い過ぎるとお腹をこわすとか。ともすれば、頭が痛んだり、目がクシャクシャしたり、ヤレ神経痛が起こるとか、どうも体が重いとか、腰がフラフラするとか、何かしらで年中無事息災だという人は殆んどありません。又それだから一生懸命に医学衛生をやるのです。うっかりすると伝染病になるかも分らない、何時赤痢が起こったり、日本脳炎が起こるかも分らない。子供などはうっかりすると寝冷えするとか、アイスキャンデーを食ったので腹を下すとか、ヤレ生水を飲むなとか、親の子供に対する心配は病気だけです。これが年中ピンピンしていれば、子供などは放り出しておいても育つのです。ところがそれではいけないと、頻りに政府始めお医者さんが注意するのですから、今の人間くらい年中ビクビクして生きているものはないと思います。ですから今の人間が一番心配な事は病気なのです。つまり主治医とか言って、今までは少し裕福な人はお医者さんとは親類みたいになってます。現に私が昔はそうだったのです。人間は何時なんどき病気が起こるか分らないから、夜中でも電話一つで飛んで来るようなお医者と懇意にしておかなければいけないというので、親戚みたいにしていたのです。今の家内の仲人はそのお医者さんなのです。ですからそういうような人が沢山あるという事は、私の経験から言っても当り前なのです。そのくらい医学を信じさせられ、病気を怖がらせるという教育を叩き込まれてますから、みんなそうなってます。ですから他の事はどんなに安心ができても、このために人間が心配し苦しんでいる事は大変なものだろうと思います。

    ですから、この事から解放されるという事が幸福のまず第一番のものを握ったわけです。これは別に言う必要はないくらいですが、救世教の信者になると、その点が実によいわけです。反対の考えですから。このノンビリした気持というものこそ本当の自由です。ですから丁度自由主義が生まれ又自由主義が有難いというのは、つまり封建的の政治でいろいろ窮屈な事を上からやられて、そうして苦しんでいた者が、(民主主義ですから国民の方が主人だという事で国民の自由を得て)、非常に恵まれたわけです。ところがそれはそれとしても、今の人は健康の方で何時もおどかされて、そうしてアレを食ってはいけない、これをしてはいけない、あれがどうだと、ビクビクしているわけです。そうしてみると、これは封建制度よりも、むしろ恐ろしいわけです。ところがそれを解放されるとしたら、こんな結構な事はありません。そこで健康の自由主義という事を書いたわけです。けれどもこれはそう言われればなるほどそうだと思いますが、世間一般の人は“そんなうまい事ができるわけはない”と、病気は怖いものではない、病気は浄化作用だから結構だという事は知らないし、又信じないから、大変な医学封建に苦しめられているわけですから、大いに健康の自由主義を世の中の人に知らせなければいけないと思っているのです。

      それから先に話をしようと思っていた事ですが、昭和二十二年八月に私のやる仕事が宗教法人になったのですから、この八月で丁度満六年目になるわけです。六年間でこれだけの仕事が出来た、と言うよりか、これだけの規模になった事ですが、私が自分でやっていながら、振りかえってみると驚きます。というのは、六年間としても、無事で来たわけではないので、いろんな事があったのです。これはみんな知っているとおり、ヤレ脱税問題とか、三年前の静岡の事件では私なども二十二日間暗い所に入れられて、散々苦しみましたが、そのための世間から迫害せられて警戒せられたその打撃というものは非常に大きなものです。この打撃は少なくとも半年や一年では、拭ききれないくらいなものです。そういう事や、又その間にいろいろと新聞などでいろんなデマを書かれました。それからもう一つ大きな事は、私が疥癬になった事です。

     二十二年から約一年くらいの間というものは、寝たり起きたりでした。全く半年くらいは寝たきりだったのですから、何もできなかったのです。勿論信者の面会などもできませんでした。兎に角正味一年くらいは何も活動はできなかったわけです。だから六年としても、一年は駄目として正味は五年くらい働いたわけです。それでこのくらい発展したのです。無論私がやっているのではないので、神様がやっているのですが、この神様の力たるや実に驚くべきものだと思ってます。ですからこれから先五年も過ぎたらどんなになるか見当もつかないと思います。おまけに今度は日本ばかりでなくハワイやアメリカと行きます。樋口さんは今月アメリカに行く事になってますが、ハワイのことは、この次の栄光に出ますが、素晴らしい発展です。とに角相当広い所の支部もできました。向うで宗教法人というような許可も、もうじき下りるらしいのです。そういうようで、とに角ハワイの発展ぶりというのは大変なものです。だからアメリカの方の発展は、国が大きいだけに一層素晴らしいと思います。日本は無論の事ですが、これからはつまり鼠算的にゆきます。たとえば十のものが倍になれば二十で、十増えただけですが、百のものが倍になれば百増えた事になるわけですから、大きくなり出す勢(イキオイ)というものは大変なものです。又そうならなければならないし、神様はそういう予定ですから別に不思議はありませんが、余程腹を大きくしてないと面くらうようになると思います。だから何時も言うとおり、小乗ではいけない大乗でなければいけないと言うのは、腹を大きくするという事です。

    ですから凡て、物事の解釈にも、全体的に、一番大きな見地から判断してゆくという事が間違いないです。まあ一種の全体主義です。全体的と言うと、世界的という意味です。そういうようで、規模はだんだん大いに大きくなるのです。それには一番の武器は浄霊ですから、そこで病気を治すという事が根本ですから、そのつもりで、だんだん病気についての知識……と言っても、これは医学的でなく、神様の方の病気に対する知識というものを豊富にしなければいけません。何時も言うとおり、急所を見付けるという事は、やはり知識が豊富でないと見当がつかないわけです。ですから病気に対する研究会とか座談会というものもやると結構だと思います。それから又病気に関しての分らない事は、書面でもよいですから聞くようにする事です。というのはつまり本当の医学、霊的医学、新しい医学をつくるようにしなければいけないと思います。それは医学と違って、そう解剖学的に知らなくてもよいのです。勿論、ただ霊的ばかりでも、治るには治るが暇がかかるわけです。同じ浄霊するにもピタッと急所に見当がつけばずっと早く治ります。それを、見当はずれなどをやっていると非常に暇がかかるわけです。だから霊的と体的の両方の事をよく知った方がよいです。時々質問などで、分りきったような事を質問する人があります。この間の質問事項などは、何処の支部長でも分るような事を質問したりしてました。そういうのは“支部長に聞け”という返事をしました。それから又御神書に幾つも書いてある事などを質問するのがあります。それから又あんまり分りきった事、つまり一年生の生徒が質問するような事を質問するのですから、如何に病気に対する頭が貧困かという事が分ります。ですから教師などは病気に対する知識をできるだけ磨くようにしなければいけないと思います。それで今書いている「医学革命の書」は心血をそそいで書いているので暇がかかりますが、これは将来世界的の聖書みたいにするつもりです。つまり医学の革命という事を、現代のどんな人が見ても“なるほど”と思わざるを得ないように徹底的に書こうと思ってます。いろいろな角度から見た批判をしてます。その序文と現代医学論という題のが大体これで出来たので読ませます。

      御論文  医学革命の書〔⇒序文、⇒現代医学論〕

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