『文明の創造』宗教篇 「唯物医学と宗教医学」昭和27年

 私は、之迄現代医学即ち唯物医学の誤謬(ごびゅう)と宗教医学の透徹した原理をかいて来たが、之を読んだ人で、既成医学に因われていない限り、恐らく理解出来ない人はあるまい。そうして医学本来の目的は、人間の病気を完全に治し、真の健康体を作るにあるとしたら、それが現実に現われなくてはならない事である。今更言う迄もないが、真の健康体とは、一生涯病気の心配から解放される事であって、そういう人間が増えるとしたら、茲に人類の理想である病無き世界が実現するのである。

 従って其理想に一歩々々接近され得る医学こそ真の医学である。右によって今迄私が説いて来た処の、事実を根拠としての理論を精読玩味すれば、何人も首肯(しゅこう)されない筈はないのであるから、此宗教医学こそ、真の医学でなくて何であろう。此意味に於て一日も早く此医学を世界人類に知らせ其恩恵に浴せしむべきではあるまいか。而(しか)も本宗教医学は、独り人間の肉体のみを健康にするばかりでなく、併せて精神をも健全にするのである以上、今日最も人類の悩みとされている貧困も、恐怖の的である戦争も、必ず解決出来るのである。従って之こそ言語に絶する程の、偉大なる福音である事は言う迄もない。それに就て最も困難な問題があるのは、何しろ何世紀の長きに渉って、根強く植付けられて来た現在の唯物医学であって、人類悉くは之に眩惑(げんわく)され、無批判的に信じ切って了(しま)っていて、殆んど信仰的といってもいい位になっている。専門家は固(もと)より、一般人の頭脳もそうである以上、生やさしい方法では、到底目覚めさせる事は不可能である。之が吾々に課せられたる一大難事業であって普通なれば不可能に近いとさえ言えよう。さらばといって、此侭(まま)にしておいたなら、人類の苦悩は益々深まり、遂には文化民族没落という運命に迄及ぶか分らないのである。としたら何が何でも一日も早く、世界人類に知らせなければならないのである。其結果一般人が分ったとしたら、茲に世界的一大センセーションを捲き起すと共に、唯物医学の大革命となるであろう。実に有史以来之程大きな革命は、未だ嘗(かつ)てなかったであろうが、此事は戦争よりも、比較にならない程の重大な問題である。何となれば戦争は、よしんば第三次戦争が起ったとしても限られたる時と、限られたる地域で済むからである。処が医学のそれに至っては、永遠に全人類に関する問題である事である。

 以上の如く、何人も夢想だも出来なかった処の、病無き世界が出現するとしたら、一体人間の寿齢はどうなるであろうか。言う迄もなく、百歳以上は可能となり、茲に人類の理想は実現するのである。然し歴史以前は分りようがないが、歴史に表われているだけでも、一般人が百歳以上の寿齢を保った記緑は、未だ嘗て見当らないのである。というのは災害は別として、殆んどは病の為に斃(たお)れるからで、人間病で死ぬという事は、決して常態ではなく、変態なのである。勿論病で死ぬという事は、自然死ではなく、不自然死であって、若し病なき人間となれば、悉(ことごと)く自然死となるから、百歳以上は、何等不思議はないのである。

 そこでまだ言い足りない事がある。曩に述べた如く、病気の原因は霊の曇りが根本で、曇りの発生源は、人間の罪と薬毒の二つであるばかりではなく、実は此外に今一つの重要な原因がある。それは農作物に施す肥料であって、原始時代は知らないが、相当古い時代から使っていた事は想像出来る。日本に於ては糞尿と近来使い始めた化学肥料とであり、外国に於ても化学肥料と其以前にも何等かの肥料を用いたに違いあるまい。元来人造肥料なるものは、人体に如何に有害であるかは、今日迄全然分らなかった。というのは肥料は農作物が一旦吸収して了(しま)えば、全部有効に働き、何等副作用はないと思い込んで来た事である。恰度(ちょうど)人体に於ける薬と同様、効果のみで余毒など残らないものと思ったのと同様である。処が私は神示によって発見した事は、成程実になる迄に毒分は相当減るには減るが、絶無とはならないのである。之に就ては最近米国の有力な酪農会社々長ロデール氏が、長年の経験によって其結果を発表した処によると、化学肥料で栽培した草で、家畜を育てると健康も悪く、乳も不良であるに反し、堆肥のみで作った草で育てると非常に健康で、乳も優良である事が分ったので、此発見を熱心に宣伝した為、近来各方面に漸く認めらるるに至り、米政府も之を支援する事となったというのである。又各学者の研究も、実際家の実験も之に符合した為、漸く社会的輿論とさえなって来たという事が、最近の米国の専門雑誌に出ており、次で同氏は人間の病気も、化学薬剤を用いるようになってから、悪性な病気が増えたと唱えている。然し右の二つ共、私は二十年以前から唱えて来たが、日本は米国と違い、新しい説は識者は見向きもしない傾向があり、而も私が宗教家なるが故に、テンデ見向きもせず迷信視されて来たのである。勿論斯ういう観方が如何に文化の進歩を妨げているかは、よく曰(い)われる処である。 

 以上によって分ったであろうが、兎に角、罪と薬剤と人造肥料との此三つが病気の根本であるとしたら、此三つの害を除く事こそ、人類救済の第一義であらねばならない。処が薬剤と肥料とは、今日只今からでも廃止する事が出来るが、最も至難であるのは罪の問題である。之だけはどうしても宗教によらなければ、解決出来ないのは勿論である。といっても之が実現の可能性ある宗教は、今日先ず見当らないといってもよかろう。処が此条件に適う宗教こそ、我がメシヤ教であるとしたら私の責任も重且(かつ)大なるものである。此意味に於て私は先づ此著によって、全世界の有識者に向って警鐘を鳴らす所以(ゆえん)である。それに就て前以(もっ)て一つの重大なる一事を知らせなければならないので、それを之からかいてみよう。

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