真の健康法

天国の福音

『天国の福音』序文 ( 昭和二十二年二月五日)

私の創成した医術によって、何千年間閉されていた神秘の扉は茲に開かれたのである。私は惟(おも)う、神は人間の健康をして本然の姿に立還らしむべく、斯かる大事業の遂行を私に委ね給うたのではなかろうかと!
日々雑感

[日々雑感]三好ドクターが語る、健康イメージの「健康病」(その5)

今の商業主義、営利主義は、売る側の都合のいいことしか言わず、都合の悪いことは公表されないことが多いです。売る側が示すメリットだけを信じて鵜呑みにはできません。
日々雑感

[日々雑感] 三好ドクターが語る栄養成分の「健康病」酢、乳酸菌、サプリ(その4)

善玉菌とか悪玉菌とか区別することがおかしいのであってどちらが多いかはその人の食生活の結果なのです。間違った食生活をしていて腸内細菌の善玉菌だけを増やそうとしてもそんなことはできません。
東方の光

日本医術に依る健康法の提唱(三) (東方の光七号 昭和十年八月十六日)

天地間、森羅万象凡ゆる物の生成化有は陰陽の理に外れるものはない。昼と夜、夏と冬、天と地、火と水、男と女という様な訳であって、食物にも又陰陽があるのである。
日々雑感

[日々雑感] 三好ドクターが語る栄養成分の「健康病」玄米、発芽玄米、粒食文化(その3) 

玄米に限らず食べ物そのものの栄養成分が多いからといって、食べた時も吸収が多いとは言えないのです。
日々雑感

[日々雑感] 三好基晴ドクターが語る「健康病」の蔓延 (その1) 

効果効能の情報に振り回されるのではなく、自分自身の自然治癒力を発揮させるには食べ物を、安全で美味しく、楽しく頂くことが基本となってくるようですね。
日々雑感

[日々雑感] 元気で長生きするための私なりの取り組み。(苦笑)

私は昔から一日の中必ず一回は外出する。雨が降らうが風が吹かうが欠かした事がない。そうして出来るだけ歩くのである。之は老いて益々健康などという人にそういう事をよく聞くのである。
世界救世教早わかり

人は健康の器 (世界救世教早わかり 昭和二十五年十一月二十日)

文化が進歩したと言い乍ら、到る処不幸が充ち満ちている。それらの原因である内面的欠陥、それを吾々は神様から、徹底的に知らされたのである。神様は一日も早く、一人でも多くの人に知らせ、目を醒(さま)させ、本当に幸福になる社会を作れという御思召である
岡田先生療病術講義録

真の健康法/生と死/健康の種類『岡田先生療病術講義録』上巻(三)昭和11(1936)年7月

この理によって、第一種健康者たらんとするには、どうしても浄化作用を充分徹底させなければならない。それは物質の力を借りないで自分自身の自然力即ち霊的療法で以て治す、それより外にないのであります。
アメリカを救う

結論『アメリカを救う』昭和28年1月1日 ※御教え

人間は健康で、休みなく働けるよう神が造られたものであって、これこそ不滅の心理である。それだのに病気に罹り人間の役目が果せないとしたら、それは何処かに不合理な点があるに違いないからで、その点を発見し、それを矯正する事によってのみ治る
観音講座

観音講座  第七講座   病気及絶対健康法の原理

西洋医学の間違い、これを一般に判らせねばならんが、当局者の方では警戒しております。西洋医学の外はなく、これ以外には何物も出ないと定まっているので、我々の主張を入れない。非常にこの点困難だが、そうかといってそれを見ておられない。世間には病気にかゝり財産をなくし家族一般餓(うえ)に泣く有様が現在なのであるから何としてもやらねばならん。
日々雑感

[日々雑感] 2020年コロナ禍の今と、昭和25年の御教え「細菌恐るべき乎」

いくら御浄霊があると言っても、危険な添加物の入ったものや、農薬や化学肥料を使った農作物を常時食していたのでは健康は望めません。無肥料栽培の御論文も順次、掲載していく予定です
第十篇「神示の健康法」

私の健康法 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

以上が私の健康法である。勿論黴菌などには無関心である。故に一般人には反って不養生に見へるが実は之が真の養生法である。何よりも右の方法を実行すれば誰でも健康になる事請合である。
第十篇「神示の健康法」

坊ちゃんを作る健康法 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

現代医学の健康法として言う処は人間は無理をしてはいけない、睡眠不足もいけない、消化の良い物を食え、物をよく咀嚼せよ、寒い思いをするな、腹巻をしないと腹が冷える、外出から帰った時は必ず含嗽をしろ−等々である。処が、仮に右の通りの健康法を実行するとすれば果して健康になり得るであらうかというと私は反対である事を明言する、それは必ず虚弱者になる
第十篇「神示の健康法」

真の健康と擬健康 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

誤謬から出発した医学は、全然病気の真因も健康の要諦も未知であるから、病理の説明などは全然コジツケとしか思えない。即ち漢方医学に於ては、病気とは五臓六腑の不調和からといひ、西洋医学は「黴菌の侵犯である」とされてゐる。
第十篇「神示の健康法」

人間は健康の器 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

よく昔から人は病の器などと謂うが、之ほど間違った話はない、吾等はこれを訂正して人は健康の器なりというのである。前項に述べた如く元々人間は健康に造られたものであるからである。処が実は病なるものは人間に附物で、どうしても解決出来ないのが現実で、やむを得ず宿命として諦めて了ったのである
第十篇「神示の健康法」

序文  自観叢書第十篇 『神示の健康法』昭和二十五年四月二十日

近代文化が驚くべき進歩を遂げ、燦然たる光彩を放ちつつあるに拘はらず、ひとり人間不幸の最大原因である健康に関しては古代人と何等変りがないと言いたいが、実際はマイナスにさえなってゐる事実である。而もこれに対し何人も疑義を起さないばかりか、却って進歩せりとの誤謬に陥ってゐるのは実に大問題である。
文明の創造

『文明の創造』総篇   健康と寿命 ( 昭和二十七年)

現代医学が真の医術であるとすれば、病人は年々減ってゆかなければならない筈(はず)であり、それと共に寿命も漸次(ぜんじ)延びてゆかなければならない道理である
御講話など

御講話 昭和10年4月17日

西洋医学と日本医学とは、ぜんぜん相反するものにして、その差は日の出ずる国と日の沈む国との差あるほどの相違である。
信仰

御講話 昭和10年4月11日

なにが人間は結構であるかというと、まずなによりかより第一番に健康であることは、いつもお話することであります。たとえ、いかなる結構な宗教や救いが出ようとも、人間を健康にする力がなかったら、決して結構な宗教でも救いでもない。