『天国の福音』序文 ( 昭和二十二年二月五日)

抑々全人類が要望する最大にして最後の目標は何であるか、それは一言にしていえば幸福そのものであろう。之に対し否定する者は一人もあるまい。然し乍(なが)ら幸福を獲んとする者も、既に幸福を得てそれ以上を持続せんと欲する者も切離す事の出来ないものは、何といっても「身体の健康」であろう。ナザレの聖者基督は曰った。『爾(なんじ)、世界を得るとも生命を失わば何の益かあらん』と、宜(むべ)なる哉である。

 此事の為に人類は数千年来医学なるものを創成し進歩し発展させつつ今日に到った。然し乍ら悲しい哉、それ等の努力は無に等しいものである。否現実は逆効果さえ示している。その何よりの証左は文化民族全体の人口増加率逓減という悲しむべき一大事実である。
 
 そうして以上の如き逆効果は如何なる原因に由るのであろうか、医学はそれ等に解答を与えない。否与え得ないのである。見よ英国を初め各国為政者の此問題に対する憂慮は益々深刻になりつつある事実である。

 然るに私は数十年来此問題に没頭研鑽し、医学によらざる特殊的研究によって、その根原を突き止め得たのである。それは医学そのものの根本に一大誤謬が伏在する事である。そうして人間から病苦を除去し、溌剌(はつらつ)たる健康人たらしめ、その結果として寿齢の延長可能に成功したのである。実に全人類が何千年来翹望(ぎょうぼう)して熄(や)まなかった処の大理想が茲に実現したのである。

 人間生命の延長というが如きは痴人の夢でしかないと誰もが想っていた。此意味に於て斯(かか)る偉大なる発見は人類史を通じて、その価値に於て恐らく他に比肩すべきものは絶無であらろう。故に此新医術が全人類に及ぶ時こそ、世界は一大革命を起さない訳にはゆかない事を確信する。然し読者よ、驚くには当らない。それは過去に於けるが如き血腥(ちなまぐさ)いものや憎悪に満ちた革命のそれとは雲泥の相違であり、実に歓喜と光明に輝く処のものである。又之によって永遠の平和の基礎は確立さるるであろう。

 私の言分はあまり大胆過ぎるかも知れない。然し読者よ、此書を熟読玩味しその内容を検討し、そうして実施するに於て些(いささ)かの詐(いつわ)りのない事を認識するであろう事を私は信ずるのである。

 抑々文化の進歩とは何を意味するか。言う迄もなく人類一人一人がより福祉を増す事にある。而もその基調としては何よりも人間の健康と生命の延長とであらねばならない。今日迄の人類は医学の進歩によってのみ達せらるべきものと信じ、凡ゆる努力を傾倒し来った事は何人も知る通りである。

 一切の科学は日進月歩の進歩を遂げつつあるに拘わらず、最も重要であるべき人間生命の科学のみは一歩の前進だもないというのは一体如何なる訳であろうか。成程医学と雖も他の科学に劣らざる絢爛(けんらん)たる外容は調えている。大病院に於ける手術室、無数の薬剤、顕微鏡装置、レントゲン、ラジウム、種々の光線放射設備等々は固より、微に入り細に渉って学理を探究し、頻々(ひんぴん)たる新発見、新学説の発表等を観る時人間は幻惑されてしまう。之によって終には凡ゆる病気は解決され得ると思惟するのも無理からぬ事である。然るにも拘わらず、その目標は余りにも遠くして何れの日に捉え得るかその日を知らない現状である。

 私は徒(いたず)らに医学を誹謗するものではない。ただ余りにも医学の真目的と背反する方向に進みつつある現実に対し警告を発するのである。

 そうして医学の最後の目的とは人間を無病者たらしむる事である。如何に大衆の眼を驚かすべき様相と雖も、右の目的に一歩一歩接近しつつないならば医学は科学の分野に於ける無用の存在でしかない。

 然し乍ら医学にも功績はあった。それは解剖と分析によって人体機能の詳細なる説明であって、之は一応感謝に価いすべきである。

 斯様な医学の誤謬に何故人類は永い間気づかなかったのであろうか。実に世界の奇蹟である。

 私の創成した医術によって、何千年間閉されていた神秘の扉は茲に開かれたのである。私は惟(おも)う、神は人間の健康をして本然の姿に立還らしむべく、斯かる大事業の遂行を私に委ね給うたのではなかろうかと!
      (西暦1945年11月 著者識)
   

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