≪『出雲支部』発会式挨拶≫ 集大成されて導こうとされる御論文『文明の創造』 メシヤ教代表 楳木和麿      

<前略>

メシヤ教への入会は転会することではない
 さて、既に皆様から本部の方へ「入会お願い書」が届けられ、本日も御神前へ捧げられております。そこで初めに、入会の概念についてお話しておきたいと思います。お集まりの皆さんは、大半の方々が東方之光教団所属でしたので、メシヤ教に入会するというと、“転会”するという意味合いをお持ちになるのではないかと推測されます。そういうことではない、ということをまずお伝えしておきます。
 メシヤ様御昇天後、「世界救世(メシヤ)教」から「世界救世(きゅうせい)教」へ呼称を変更して、メシヤ様が本来進められようとされた御神業から離れたものになってしまいました。私は、そのことを憂い、「世界救世(メシヤ)教」を復興して、メシヤ様が示された本来の御神業を推進させていただこう、と考えたのです。そして、メシヤ教としてその取り組みを進めさせていただいているのです。ですから、入会というのはメシヤ様が推進されようとした本来の御神業を担わせていただく、という志を持つということなのです。
 ですから今回、出雲支部を発会させていただいたのですが、東方之光教団からメシヤ教に移る、という概念ではないのです。本来の「世界救世(メシヤ)教」という取り組みを進めるということで、偶々(たまたま)現在のところメシヤ教出雲支部となった訳なのです。これをいきなり「世界救世(メシヤ)教」とすると、対立関係が生じたりしかねませんからね。
 そういうことで、メシヤ様が願われた本来の「世界救世(メシヤ)教」の取り組みを進めることに参加するということなんだ、というように理解していただきたいと思います。 しつこいようですが、移籍とか転会とか、ということではないのです。
 本来メシヤ様が進めようとなされた取り組みに高まっていくということなんだ、と申した方が相応しいかも知れません。偶々(たまたま)お世話上、メシヤ教がその取り組みをお世話するということです。「世界救世(メシヤ)教」時代でも通称は「メシヤ教」だった訳ですから、私は通称を使っていることになりますが、本来は「世界救世(メシヤ)教」の御神業推進ということです。
 そういう構造になっているのですから、意味合いからすると、どの教団に所属していても良い訳です。本来の「世界救世(メシヤ)教」をやってゆく訳ですから・・・・・。しかしながら、そういうことを考えると、今までの取り組み自体が怪訝(けげん)に思えてくるのではないかと思います。いや、情けなくなってきませんか、指導などを聞いていると・・・・・。
 先月お配りした御論文『文明の創造』を改めて拝読させていただきつつ、御創業時からの御教え全てと対比しますと、「世界救世(メシヤ)教」開教が如何に大きな分岐点となったかが拝察されます。皆さんもご承知のように、終戦までは官憲の弾圧を避け歯に衣着せぬ表現を控えられて御執筆になられていました。また、神観についての御記述では、皇室に御配慮されて御論文を御執筆になられていました。それはともすると、真実を覆い隠す部分も存在することになりました。
 しかし、信教の自由が保障され、表現の自由も保障され、メシヤ様は教団体制を整えるべく「世界救世(メシヤ)教」の開教に踏み切られたのです。それは明らかに本来進められようとされた御神業を本格的に推進する御意図の表れであります。そして、それまで御発表になられた御論文も、御神業の本格化に併せて真実を明らかにするべく集大成されようとなされた、と拝察されるのです。
 ですから、このような説明を重ねさせていただくと、皆さんにとっては、これまでの所属教団の動きに対して情けないお気持ちになられることと思います。こんな素晴らしい御教えをですね、メシヤ様は集大成してくださっているのに、これを除(の)けておいて運営しようとしている訳ですから・・・・・。

      メシヤ様が示された道を日々歩む生活に
 では、これから出雲支部を中心にしてどのような取り組みをさせていただくか、と申しますと・・・・・。先程、「入会というのはメシヤ様が推進されようとした本来の御神業を担わせていただく、という志を持つということなのです。」とお伝えいたしましたが、その志に基づいて具体的に行動するということなのです。
 具体的とは、まず想念の問題です。メシヤ様の御神格を明確に認識し、直に太くメシヤ様に繋がらせていただく想念を確立する取り組みが第一にあります。皆さんは長い信仰歴をお持ちですが、組織論に翻弄されてきた面がおありです。そうであるからこそ、メシヤ様に直結することの重要性にもお気付きになり、こうして支部発会に賛同されたのです。
 しかしながら、無意識のうちに過去の指導内容に引きずられることも生じます。どうか、意識して、日々心を新たにして、メシヤ様へ直に太く繋がる想念をお持ちいただきたい、と願っております。
 そして次に、メシヤ様が信者の課題としてお示しになられている
 『信者たる者、常に魂を磨き、言葉を練り、上魂の人間たることを心掛けるべきである。』
というお言葉の実践です。
 これが、組織論に翻弄された過去の精神の癖から脱却できる道であります。これも日々心新たに意識しながら生活していただきたく願っております。
 メシヤ様の御存在に対する認識が明確になれば、浄霊力は自然に強化されますので、ご縁のある方々へ救いの手を差し伸べて差し上げてください。
 また、先程から度重ねて申しているように、メシヤ様が本来進められようとされた御神業に身を捧げようとされた時に、そのことを阻むものを改革してゆく必要があります。

御教えの拝読に深みを、そして時代に即した受け止め方を
 それがそのまま教団紛争の終結に対する姿勢でもあります。何故教団浄化が続くかと申しますと、メシヤ様が本来進められようとする御神業に到達していないからなのです。これは、当然のことながら和解が成就できないということも、御心に適うところまで今一歩という状態なのです。人間的な問題に目を奪われ、御教えの受け止め方にも全くの勘違いがあるということなのです。
 メシヤ様は今月の「メシヤ講座」に掲載されている『文明の創造』において『医学を全面的に批判解剖してみる』と記述されています。
 この一文を拝読した際に、『夜の時代』の癖で理解しようとすると対立的に捉えてしまいます。つまり医学を全面的に否定している、と解釈してしまいます。そういうレベルではないのです。「地上天国祭」で頒布した『文明の創造(二・下)』では、種痘を評価しています。それは、その時代の人々が、その時点での不幸を免れることに寄与した、という意味において評価したのです。
 しかし、それはその時代だからであって、その後本来の「抵抗力」の概念をお示しになり、予防接種について考え方を正しておられます。
 その論理の根底は何かと言いますと、人類の幸福を希(こいねが)うということにあるのです。この願いの下に『医学を全面的に批判解剖してみる』のだということなのです。ですから、対立的な考え方ではないのです。本来『医学とはこうあるべきだ』ということで、導こうとされたのです。そこのところを勘違いすると、医者と対立することを生み医療拒否のような問題が生じます。また、その反対に医療容認という姿勢から薬併用の浄霊という馬鹿げた在り方を生んでもしまいます。
 そういうレベルではないのです。創造主の御存在からお示しいただいた内容が御教え、ということが重要なのです。これはどういうことかと申しますと、病理学、生理学、薬理学などが解明する内容というものは、創造主の仕組まれた様々な作用の裏付けをしているという部分が含まれている、という認識です。そうした考え方を持つということなのです。

 前回もお話しましたが、血圧について考えればよく理解できます。昨日初めてのコマーシャルを見たのですが、サプリメント販売のために高血圧の数値を130として脅かし始めています。恐怖心を煽るのが邪神界の常套手段でありますので、「早めに心掛けましょう」と優しく言いながら、そこはかとない不安感を植え付けているのです。ついでながら、邪神界の常套手段は和を乱すということもありますので、この機会に心に留めておいていただければ幸いです。
 高血圧が何故起きるかということは、「メシヤ講座」で再三取り上げてきました。腎臓のろ過機能が低下すると、血圧上昇を促すホルモンが腎臓から分泌され、それが心臓に届くと血圧を上げます。血液の流れに勢いがつくと、ろ過能力がアップするからです。対症療法的には、そのホルモンの分泌をブロックすれば血圧は上がらないという点に目を付けます。ですから、血圧降下剤はホルモンの分泌をブロックするものなのです。高血圧の原因を改善することではないのです。
 血圧降下剤を服用すると血圧は下がりますが、ろ過能力が低下したままなので夜寝ている間も腎臓は働き続けなければなりません。すると、腎臓は更に疲れてしまい、血液のろ過をしきれなくなります。そうなってくると、体を正常に保つため血液を薄めようとします。尿の水分を再度血液に取り込み、糖分や塩分の濃度を保ち、老廃物や毒素も薄めようとします。これが浮腫みを生み、排尿量が減少するという症状を招きます。
 こうなってくると、患者は心配になり「オシッコが出ませんので、何とかしてください」と医者に訴えます。医者は利尿剤を処方します。尿が出ると心理的には安心を得ますが、体が良くなっている訳ではないのです。それは、利尿剤は血液への水分の補給をブロックするものだからです。水分補給が断たれた結果どうなるかと言いますと、血液中の糖分や塩分の濃度、老廃物や毒素の量が異常になり、脳の病気を併発するようなことに繋がるのです。
 こうしたことを知ると、血圧降下剤を服用しつつ浄霊をするというのは、如何にもナンセンスなのです。腎臓を浄霊すれば済むことだからです。そして、腎臓を疲れさせる生活習慣を改めるようにすれば、血圧が再び上がるということは避けられるのです。それを薬に頼ると、結果的に大きい病気を誘発してしまうのです。メシヤ様の医療に対する概念を取り違えると、大変な問題を生むのです。

      批判のための批判ではない、教団改革のためのもの
 繰り返しになりますが、そうしたことが先程拝読していただいた御論文の冒頭の受け止め方に繋がってまいります。『医学を全面的に批判解剖してみる』という御記述を目にすると、医学と対立的に写ると受け止める人もいますが、そうした短絡的な御精神ではないのです。そうかと言って、先程のように薬併用の浄霊を容認することでもないのです。
 メシヤ様は人類救済のために、考え方を引き上げるために批判解剖しているのです。ですから、「地上天国祭」で取り上げたように、種痘の発見を評価している訳ですし、抵抗力の考え方に覚醒を促されてもいるのです。そうしたメシヤ様の論立てを拝察する努力を重ねる姿勢を持たねば、結果的に低レベルの取り組みになってしまうのです。
 私が今、東方之光教団に対して批判的なことを申し上げるのは、取り組んでいる皆さんがメシヤ様の御意図に反する取り組みであるということを感じつつも、『素直が一等』というお言葉を使用されての取り次ぎに惑わされて動いている現状について、覚醒していただきたいからなのです。
 間違えている最たるものは、先程から説明しておりますように薬理学の捉え方です。生理学上の仕組みの解明は評価すべきなのです。つまり症状が治まるように感じる作用を生むシステムを参考にしてメシヤ様の御教えの裏付けに繋げる作業が必要なのです。先程の高血圧の仕組みが解明されたのですから、腎臓を重点的に浄霊することを導き出す、という姿勢です。
 そして、ここに『人間が間違った事さへしなければ、百二十歳は普通である』とお書きになっておられます。メシヤ様がこの御論文をお書きになられたのは昭和27年です。昭和27年と現代を比べた時に「間違ったこと」の違いは何かということを提示してゆくのが教団側の役割なのです。
 こうした話を重ねると、信仰歴の長い皆さんは「心言行」、「衣食住」を見つめて整理できることと思います。
 そのことが、御教えを拝読しつつ生活を整えてゆく、という信仰生活なのです。

      支部へのご参拝で心掛けていただきたいこと
 そこで、出雲支部を通して信仰生活を送る根底に参拝ということがありますので、主神様の御神名をお唱えさせていただくことの意義というものを最後にお話しさせていただきます。
 天津祝詞、善言讃詞の奏上における意義、意味については、長い信仰生活において身につけられてきた思います。メシヤ様は、主神様という御存在について『表現し奉る言辞もなく、文字もなく、ただ無限絶対の力徳の中心であり、一切の根源であると申すよりほかはないのである』と述べられております。その御存在に対してご参拝させていただきますので、今一度参拝姿勢について触れさせていただきます。
 まずもって、『尊い御神名をお唱えすると、御神格の高さに応じて光がいただける』ということがあります。
 主神様は、一切の創造主であられ主宰神であられる訳ですから、その御神名を唱えるだけで絶大なる御光を賜わります。
 ですから、もう主神様にはお願いすることはないですからね、ただただ感謝申し上げるという姿勢ですね。主神様の御神名をお唱えする前に「この世で最も尊い御神名を唱えさせていただきます」という想念で「主之大御神守給へ幸倍給へ(すのおおみかみまもりたまえさきはえたまえ)」 と、一呼吸置いてお祈りさせていただきたいと思います。この御神名を唱えることが如何に有り難いかということです。そういう気持ちを膨らませて御神名を唱えさせていただきます。
 そして、「御神名を唱えさせていただき感謝申し上げます」という気持ちで「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはえませ)」とお唱えさせていただきます。「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはえませ)」の場合は、メシヤ様はこの角度で私共の腹を見られている訳です。
 本当に惟神(かむながら)なのか、ですね。「神様の御心のまにまに」というのが惟神(かむながら)ですから、「御神意のまにまに生活させていただきます」という決意を膨らませて「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはえませ)」と唱えれば良いのですね。それを参拝の度に自らに質(ただ)してゆくと存分に光を注いでくださいます。つまり、「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはえませ)」を叶えていただけるのです。魂を太く大きくしていただき、幸せを倍増していただけるのです。
 メシヤ様は御名の通り救世主であられますので、救いに関する具体的なお願いをメシヤ様へさせていただきます。月次祭の時などでは、前もって具体的なお祈りを捧げてください。自らが救済に動く際には「御力をください」とお願い申し上げます。また、困った時には『私の名前を呼びなさい』と仰ってくださっておりますので、日々心掛けていただければ大変有り難いことになります。
 それで、御神格の高い神様と低い神様の参拝の仕方は異なります。御神格が低いと、より具体的になってくる訳です。そういう意味では、大黒様は人格神として身近なお祈りで良いです。毎回「お金を運んでください」と直接ハッキリとお願いしてください。(笑い)
 しかし、主之大御神様は宇宙をお創りになられた御存在で、地球を創られた御存在ですから、具体的なお祈りではない訳です。ただただ御神名をお唱えすることが相応しい訳です。そういう差が出てきます。そういう姿勢で支部へ来た時にお参りしてくだされば幸いです。これからどうぞ宜しくお願いいたします。
 本日は誠におめでとうございました。(要旨)

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