岡田茂吉 喘息 『アメリカを救う』昭和28年1月1日 | 岡田茂吉を学ぶ

 喘息 『アメリカを救う』昭和28年1月1日 ※御教えとお陰話

 これは薬毒が肺の外郭附近に固結したものが浄化されて肺へ浸入する場合、肺から相当間隔のある為と痰が濃厚の為と、肺膜が厚い為とで容易でないので、肺の方から吸引し様と呼吸を大きく強くする。これが喘息であって、発作も又強い咳もその為である。この証拠には痰が出ると一時楽になるにみて明らかである。又肺炎の予後喘息も軽快になるのは、痰が多く排泄されるからで、これも肺炎の特徴である。

 そうして喘息の発作は非常に苦しいもので、今にも息が絶えそうなので、一時的でも楽になりたいと注射をする為、それが中毒となり、最初一週間に一回位で済んだものが、段々増えてしまいには一日数回或は数十回に及ぶ者さえある。こうなると死の一歩手前に来た訳で医療はどうしようもないが、浄霊によれば容易に全治するのである。

十三年間の喘息から救われて

       熊本県   N・M (32)
          

 
 明主様謹んで御守護の御礼を御報告させて頂きます。私は昭和二十五年三月入信させて頂きました者で御座います。十九歳の時から急に気管支喘息にかかり、苦しさのためありとあらゆる治療を致しました。初めの中は薬品又は注射ばかりを使っておりましたが、一時的で何の効果もなく、次には灸が良いと人から聞き、熱いのを辛抱して焼いて貰いましたが、それも大した効果はありませんでした。灸も一年ばかりはして見ましたが少し無理な仕事をするとその翌日より苦しみが起りますので、なんと情ない体だろう、毎日元気で働かれる人の姿を見てはいつもうらやましくて、どうしてでも元の体になりたいとあせっておりましたところ、「神信心の道に入れば必ず元気になる」と聞かされ、今度は不動様へおすがり致す気持になりました。ところがとても難行で一番寒い寒中に、滝場へ行って、お滝を一日に三、四回戴くのですが山の中にある大きな滝でとてもその冷いこと話になりません。今思うと身がゾッと致します。その冷い滝に打たれながら「ナムアミダブツ」の一点張りでうつぶせでおすがりするのですから、顔は腫れ塞がり、実につらい難行をしましたがとうとう救われず、又天理教へ、天台宗へと恥ずかしい程迷って歩きましたが「貴女のは随分しつこい「生霊」「死霊」が憑いているから並大抵の事では治らないから、より以上に神様の御手伝をしなければ」とのおぼしめしに言われるままに考え考えしてみましたが、どうしてもお蔭を頂けませんでした。もう仕方がないと思い最後の手段として咽喉の切開手術を致すべく入院手術を致しましたところ、その後満六カ月というものはどんな無理をしましても風邪を引いてもぜんぜん起らなかったので、これで私も御蔭で元の身体になったと喜んでいた矢先にまたも起り、もう死ぬより外に道はないとそのことばかり考えて日々を暮す様になり、家族の者も心配しておりました。ところがKさんという人が「お守を頂いたら確かによくなると思うが入って見ないか」と奨めて下さいましたが、今まであれやこれや良いと聞いた事はして参りましたのでどうしても信ずる事が出来ませんでした。前記のKさんが私の父と友達の関係で度々遊びに来て「自分も病気がお守のため良くなったからだまされた積りで入信して見ては」と余り熱心にすすめられますので私も心動かされ「もう一度だけだまされて見よう」と思うようになり、このお道に入らせて頂きました。今までの信仰は自力信仰で随分苦労をしましたのに、ただ手をかざして貰うだけでどうしても病気が治る訳はないと思いながら、有難いお話を聞かされるのを疑いながらも毎日浄霊を頂いておりましたが、矢張り前と相変らず一週間ないし十日目には苦しみが起りました。「御浄化だから喜びなさい」とI先生が言って下さいますけれども寝ても起きてもおられぬ苦しみに、喜ぶどころか「又だまされたのだろう、今の中にやめてやろう」と何度考えたか分りませんでした。でも先生から「大抵三カ月位したら治りましよう。薬や注射は出来るだけしない方がよいのです」と聞かされてから、私は言われる通りしなければ気の済まない性質で御座いますから、いくら苦しく共薬や注射はやめて半信半疑で毎日御浄霊を受けていました。その頃から中教会長先生に大概月に一回おいで頂きお話聞いた時は治るような気がしますけれどもお守様を頂く気にはなりませんでした。が日が経つに従って病気の工合も前のようではなくなり、初めてお守様を頂く気になり教修を受けました。先生のお話に「一年もしたら立派に元気になりましょう」と言われた事を楽しみに月日の経つのを指折り数えて過しました。待ちに待った一年はたちましたが御浄化は相変らずで、先生がおいで下さる度ごとに不平不満ばかり申し、自分の罪の深く、曇りの多い事はわからず、神様に不足をこぼした事は今思い出しても恥ずかしく何と御詫び申し上げて良いやらわかりません。何卒御許し下さいませ。ただ今では病気もすっかり良くなり、毎日とても元気でどんな無理を致しましても起りません。これもひとえに明主様の御霊徳の賜物と感謝で胸が一杯で御座います。今後は一日も早く一人でも多くの人々に尊い御道を御伝えさせて頂く積りでございます。この上とも御守護の程御願い申し上げます。
 明主様有難う御座いました。
            (昭和二十七年六月十五日)

喘息八年後の今日

       山口県 Y・M (16)


 明主様日々御守護を戴きまして有難う御座います。私は幼少の頃から喘息で悩んでいたので御座います。喘息が出ると学校にも行けないので、そのために学校も一年間休学しました。いかんともし難い状態で、ただ医薬を友として淋しい毎日を送り、喘息の発作が起る度毎に注射と薬でその度に一時止めをしておりました。遂には注射をするにも両腕共硬くなり、注射針さえ良く通らないほどになりました。その間は人から「なめくじを呑んだら喘息が治る」と聞き、母も「呑んでみなさい」と言いますので呑んで見ましたが、一向に良くなる見込はなく、又灸、とりもち、すもも汁等として見ましたが、これも駄目で御座いました。他人からよいとすすめられるままに色々と参る所へ行って見ましたが、「仏のさわり」と言うだけで「ほかに何もない」と言い、「仏さんを祀りなさい」と言われるので施餓鬼もしたり水施餓鬼もし、仏様の事については私が見ても別に粗末にしているとは思ってはいません。良く仏の供養をしておりましたが私の病気は快復に向いませんので、ただ両親に心配かけるばかりで誠に気の毒でなりませんでした。私の病気でこんなにも心配をかけるのかと思うと私は誠にすまない気がして、早く治って元気な体を父母に見せたい一心で御座いましたが、治らないばっかりにどんなに人知れず淋しい思いをしたか知れませんでした。「最後の手段として手術をして見て、治ったら良いが、もし治らなかったらもう手の施しようがないから、諦めるより致方がない」と父母が言うので、私もそう思い、最初右の方から手術をしました。するとどうでしょう。今まで苦しかったのがピタリと楽になりました。と思うのも束の間、二回目の左側の手術をしますとその晩から急に頭が割れるかと思う程の激痛を感じ苦しみ始めました。母が夜の一時半頃医者を起しに行き診て貰い、その時注射を三本一度にうちましたが、それでも痛むので又トンブクをのまされました。そういう状態が一遇間も続き、少しは楽になりましたので家に帰りましたが、その状態が依然として続きましたので、二日目には又病院へ引返し十五日位入院していました。手術をしても前と同じ様な発作が続き、もうこれ以上は仕方がないからとただ死を待つばかりで諦めておりました。

 ある日近所にいたSさんの小母さんが来て「救世教に入ってお縋りしたらどうかね。Yさんの病気も救われると思うが……」とすすめてくれました。Sさんの小母さんは私に「ちょっと来てごらん」と言い私に向って御浄霊というものをして下さいました。「あんな事で病気が治るのでしょうか」と母は疑っておりましたが、ある日Sの小母さんが「H支部のR先生をお連れした」と言って来られ、先生の熱心なおすすめにより「一度だまされたと思って浄霊を受けて見よう……」という気になり、一カ月程H町の教会に行って御浄霊を戴く事になりました。御浄霊戴く内に気分も安らかになり、いつしか御浄霊中に眠る事すらありました。入信をする時は父は反対で「そんな事で治るものか。だまされるな」と言って聞きませんでしたが、その反対を押切って、母は昨年九月に入信致し、その後毎日母に御浄霊をして戴いているうちに私も御浄化を戴くようになり、その度に少しずつ楽にして戴きました。今年の一月には私もA町の中教会本部にお参りをさせて戴き、会長先生から直接有難い御守様を拝受する光栄に浴し、日々感謝の日を送らせて戴いております。六月に入って急に腹が痛くなり下痢をし、便所に一日十四、五回行きましたが、それが治る頃になって又血便が三日程出ました。すると腹が良く確り御飯もおいしくなり益々元気にさせて戴きました。今でも五、六、七日にはきまって御浄化戴き、その度毎に薬毒を出させて戴いております。最近では、あれほど死まで思った喘息も全然出なくなり、本当に救われたと喜んでおります。この私の救われた状態を見ているにもかかわらず、父はいまだに頑固に反対をしておりますが、時々蕁麻疹が出て私が御浄霊をしますと、かゆみが治りお蔭は戴いておりますので、いずれ時期を見て入信させて戴ける日も近いことと思っております。
 明主様有難う御座いました。          (昭和二十七年七月十六日)

長崎県  N・Y

                 
 私事二十八歳の十月より突然喘息に苦しみ、あらゆる薬、注射、神様等の療法を試みましたが一向に効果がないのみか、発病当時は一年に一、二回の発作が注射服薬を重ねるにつれて、一時は治まりましても次第に回数を増して、昭和二十六年頃には会社を一カ月も二カ月も休む様になりました。又当時十二歳になる長男も三歳頃より同じ喘息で、私が起きれば子供が寝る。子供が起きれば私が寝るで経済的にも相当苦しく、笑声の絶えた家庭は全く真暗でございました。

 ちょうどその頃、同じ会社のT様より救世教の有難いお話を承り、半信半疑乍らS様の月並祭に御参拝さして戴き、F先生より色々と有難いお話を承り、又御浄霊も戴き、帰宅致しますと翌日より腹がはり下痢をし、又二、三日後には喘息の発作が有りましたが、御浄化のお詰も色々聞いておりましたので薬も注射も用いず頑張り続けました。

 発作が治まった後、とても体の調子がよろしゅうございましたので、家内に教修を戴かせ入信させて戴きました。

 それよりは毎日朝夕家内より御浄霊を戴き、又時々先生より御浄霊を戴いておりました。その間発熱、下痢、喘息、発作等種々御浄化を戴き、その度毎に体が軽くなって大変喜んでおりました。十一月十二日も軽い喘息発作で休んでおりますと、午後三時頃急に物凄い発作のため全身冷汗にまみれ、手足の爪も紫色になりましたので、一時はビックリ致しました。が、かねて家内も大浄化のお話も承っておりましたので、早速御出張を御願い致しまして御浄霊を戴きますと、さしもの大浄化も瞬時にして治まり、帰られる頃には笑って御挨拶できるまでにして戴きました。思えばこの時が私の御浄化の大峠でございましたのでしょう。それよりは御浄化も目に見えて軽くならせて戴きました。

 この間子供も度々御浄化を戴きながらも一回毎に良くなり、元気に通学致しておりました。すると今度は二十七年の正月より家内が「ひょうそ」の御浄化を戴きました。何分右手中指のこととて朝夕の炊事にも事欠く様になりました。すると今度は私の十六年もの喘息が綺麗に拭って取ったように良くなりまして、厳寒時にもかかわらず毎朝五時より起きて炊事も致しましたが何ともありません。余り不思議なので御伺い致しますと「それは主人に余り御浄化があっては困るから、家人に御浄化の振替えがあったのでしょう」と言うことを聞きまして、今更ながら明主様の御守護の偉大さに感泣致しました。家内の「ひょうそ」もただ今では仕事には差支えない程に治して戴きました。唯この上は微力ながら御神業の一端に尽させて戴きたいと思っております。

 明主様有難うございました。謹んで御礼申し上げます。
            (昭和二十七年九月三日)

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