岡田茂吉 結核(1)『アメリカを救う』昭和28年1月1日発行 | 岡田茂吉を学ぶ

結核(1)『アメリカを救う』昭和28年1月1日発行

 この病気も全く医学が作るものであって、先にもかいた如く、薬毒が体内各局部に集溜固結し、その浄化作用として感冒が起り、熱によって溶解した液体毒素は、痰となって肺臓を通って出ようとする。という訳で肺とは喀痰排泄の為の通過路の駅ともいうべきものであるから、痰は一旦肺臓内に溜まり、咳というポンプ作用によって咽喉を通って出るので、咳と痰が出れば出る程よく浄化される訳である。処がそれを逆解した医学は、咳と痰を極力停めようとするのであるから、実に驚くべき錯誤である。この結果痰は肺臓内に滞留したまま、日を経るに従い漸次固まってしまい、暫くすると再び浄化が起り風邪を引く、その時医師に診て貰うと、発熱と肺臓内にある痰の固結、咳や吐痰、喘音等によって、結核初期と断定する。尚又前の時軽微の肋膜炎もあったので、その固まりが溶けて肺から出ようとする。これを肺浸潤と言い、首肩の凝りが溶解し、肺の上部から進入するのを肺門淋巴腺、又は肺尖加答児というのである。

 右の如き順序を見れば、結核は全く誤れる医療によって作られるものである事がよく分るであろう。これを一言にしていえば、自然浄化によって体内の汚物が出ようとするのを、医療は出さないようにする。勿論服薬も注射も安静も何も彼も悉く固め手段であるから、医学の進歩とは毒素固め方法の進歩でしかない事は余りも明らかである。

 そうして結核菌であるが、これも医学でいう如く伝染するものではなく自然発生である。というのは肺臓内に固めた痰は、日時を経るに従い腐敗する。腐敗すれば微生虫が湧くのは物質の原則であり、しかも体温と言う好条件が拍車をかけるに於ておやである。以上の如く結核は医療が作るとしたら、この事が分らない限り、増えるとも減る筈のないのは断言して憚(ハバカ)らないのである。何よりも事実がよく示している。最近米国でも日本でも、結核の死亡率が大いに減ったと言い乍ら、患者の数は一向減らないと言う矛盾である。これは全く毒を強めた新薬や手術等による浄化停止法が進歩した為で、成程一時的生命は取止め得たとしても、全治ではないから、死にもせず働く事も出来ないと言う宙ブラ人間が益々増えると共に、発病者の数も依然たるものであるから、ベッドが足りないといって悲鳴を挙げている現状は、米国は兎に角日本はよくそれを物語っている。

 茲で結核菌についても徹底的にかいてみるが、近来結核医学は大いに進歩したとされているが、吾々から見れば進歩処か、門口(カドグチ)にも入っていない事実である。というのは医学は菌のみに囚われ、菌さえ殺せば結核は解決出来るものと誤信している事である。しかし菌と雖もまさか偶然空中に発生したものでもなく又人間の体内に理由なく湧いたものでもないのは勿論で、その発生源が必ず何処かにあらねばならない筈である。

 それが愈々私によって発見されたので、以下詳しくかいてみるが、それについて前以て知っておかねばならない事は、人体なるものの構成であって、科学は人体を単なる物質と看做しているが、これが大変な誤りである。何となれば若しそうだとすれば、人間の生死はどう説明していいか分らない事になる。茲で肝腎な事は人間の精神即ち心である。これは目には見えないが科学と雖も否定は出来ないであろう。というのは人間には肉体の外に、肉体と同様な形をしている霊という無に等しき固体が、厳然と存在しているからである。というように霊と体とは密着不離の関係にあり、死とは霊が脱出し、体の活動が休止する事である。そうして心は一秒の休みもなく動いており、人間が何等かの意欲が起るや、間髪を要れず体に移って行動となるので、体が勝手に動くのではない。としたら人間の本体は心、即ち霊にあり、霊こそ支配者であり、体は隷属者であるから霊主体従である。この理によって病と雖も最初霊に発生し、体に移写するので、これが真理である。従って根本は霊を健康にする事である。これを一層詳しく説いてみると、元来霊なるものの本質は無色透明体であって、最初この透明体に曇りが発生する。これが源病であって、科学的にいえば、本来霊の物質化が血液であり、血液の非物質化が霊であるから、霊の曇りが体に映るとその部の血は濁り、濁血が霊に映ればその部が曇る。というように霊体一致ともいえる。

 では霊の曇りの原因は何かというと、宗教的にいえば罪穢の堆積であり、物質的にいえば薬毒の溜積である。そこで一体曇りの本質とは何かというと、これこそ不純水素であって、日を経るに従い漸次濃度を増すと共に縮小する。するとこれにバクテリアが発生する。このバクテリアは、いわば植物性無機質ともいうものであるが、時と共に漸次有機質に変化し動物性となる。これが菌の卵子であって、この卵子が育って固体即ち一人前になったものが、顕微鏡で見得る黴菌であるから、ヴィールスとは右の如く菌の卵子から親になろうとする中間粒子で、顕微鏡には映らないが確かに在るのは、医学でも認めている通りである。これを最も分かり易い譬(タトエ)として、彼の塵溜(ハキダメ)に湧く蛆(ウジ)である。医学は蛆だけを殺そうとして、塵の方に気が附かないと同じである。

 以上の理によって、結核を全滅させるには菌の発生源である霊の曇りを解消する以外絶対ないのである。処が現代医学の研究はそこ迄達していない為、結果である菌のみを対象とし、研究しているので、根本に触れない以上、何程努力しても徒労以外の何者でもないのである。尤も現在の顕微鏡ではヴィールス以上の微粒子を視る事は不可能であるからでもあろう。処が幸いなる哉私によってその根源が発見された以上、もはや結核問題は解決されたのである。

 では霊の曇りは如何にすれば解消出来るかというと、これを説くに当っては、その前に曇りの実質をかかねばならない。前記の如く不純水素というのは水素中に不純分子が含有されており、勿論顕微鏡でも見得ない程の超微粒子であって、この微粒子を消滅させるのが浄霊法である。これによれば右の毒微粒子のみが消尽され、純粋水素は残り病原は全く解消されるのである。そうしてこの施術こそ人間の掌から放射される不可視光線であって、この光線の本質は火素といって火の霊である。即ち火の体は熱であるが、火の霊は熱くはないが、体以上の素晴らしい強力さである。これについて以前から科学では水素を言うが、火素を言わないのは不思議である。では右の火素が何故掌から放射されるかというと、この説明についてはどうしても宗教的でなくてはならないから、読者はその積りで読んで貰いたい。何となれば現代科学は霊を無視し、物質のみを認めている以上、容易に信じられないからである。このように科学は体のみの進歩で、言わば破行的不具的進歩であるから、真の病理の治療法も発見出来ないのは当然である。この意味に於て私は医学は機械的であるが、科学的ではないと常に言っている。その証拠には病気の場合、患者が医師に向って病原を訊いても、曖昧極まる一時のがれの答えしか出来ないのは医師も経験する処であろう。それに引替え吾々の方ではどんなに深く訊かれても、立派に科学的理論を以て堂々答えるから、如何なる患者も納得し安心するのである。

 話は戻るが右の浄化力こそ、神エホバが火素の本源とも言うべき霊光の玉を私に与えられたのであって(これは腹部の中央に直径六糎(センチメートル)位で肉眼で見る人もある)この玉から無限に光波が放射され、その伝達方法として二分の一メートル位の紙片に、墨と筆で光の文字を書いたものを畳んで懐に入れさせる。すると私から出る光波は、霊線を通じて施術者に伝わり、その人の掌から放射される。これが浄霊法である。丁度ラジオの放送局と、アンテナと受信機のようなもので、実例報告中にある御守というのがこれである。では何故神はそういう方法を私に授けられたかというと、これこそ彼のキリストが「天国は近づけり」と予言された処の、紀元的時機が来たからである。その根本としては第一に人類から病を追放する事で、神は病気消滅の方法を私に教え給うたのである。

 右は結核菌とその他についての説明であるが、次に伝染病菌についても聊かかいてみよう。

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