岡田茂吉 病気の真因 (天国の福音 昭和二十二年二月五日) | 岡田茂吉を学ぶ

病気の真因 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

      凡そ人間が此世に生を享くるや、遺伝黴毒や最初に述べた天然痘毒素が主なるものとして種々の毒素を保有してゐる事は前項に述べた通りである。そうして之等の毒素の支障によって健康が完全に保持出来得ないから、生理的に体外に排泄せらるべく、断えず自然浄化作用が行はれるやう造られてゐるのが人体である。然し乍ら自然浄化作用が行はれる場合或程度の苦痛が伴ふので、その苦痛過程を称して病気といふのである。此例を説明するに当って一般的に最も多い病気即ち感冒を採上げてみよう。感冒だけは如何なる人と雖も体験しない者はないであらうからである。然るに感冒は今以て医学上原因不明とされてゐるが、私の発見によれば之は最も簡単なる浄化作用の一種に過ぎないのである。それは先づ感冒に罹るとすると、発熱、頭痛、咳嗽、喀痰、鼻汁、食欲不振、発汗、倦怠感、節々の痛苦等が伴ふのである。之等に就て詳細説明するについて-

      先づ浄化作用とは如何なるものであるか、私は之を大別して第一と第二に分類する。第一浄化作用とは血液中にある種々の毒素が身体各局所に集溜固結するのである。集溜すべき局所としては、凡て神経を集注する局所及び人体静止の場合の下部である。そうして集溜毒素は時日を経るに従ひ、漸次硬化する。俗に凝りと名づくるのもそれである。此場合苦痛は全然無い事もあり、ありとするも肩の凝り位の程度である。

      次に、第二浄化作用であるが、之は第一浄化作用である固結が或程度を超ゆる場合、自然排除作用が発生する。その際排除し易からしめんが為液体化せんとする作用が即ち発熱である。発熱の高下は固結の毒素の性質と硬軟と量と患者の体質とに因るのである。よく運動後疲労の結果往々発熱するのは、運動が浄化促進の役目をするからである。そうして液体化した毒素は、発汗、喀痰、鼻汁等によって体外へ排泄さるるのである。此場合の咳嗽は喀痰を排泄せんが為のいはば喞筒(ポンプ)作用ともいふべきものであり、又鼻汁を排泄せんが為の嚔(クサメ)である。故に咳嗽の後は必ず吐痰があり、嚔の後は必ず鼻汁が出るにみても明らかである。又食欲不振は発熱と吐痰と服

薬の為である。頭痛及び節々の痛苦は、その部に固結する毒素が溶解し、液体となって排除されようとしての運動が神経を刺戟するからであり、咽喉部の痛みは喀痰中に含まれてゐる毒素が粘膜に触れる為、粘膜を刺戟し加答児を起すからで、声が嗄れるのも右の理によって声帯に加答児を起すからである。

      以上の如きものが感冒であるから、何等の手当を施さず服薬もせず放置しておけば順調に浄化作用が行はれる故、短時日に治癒するのである。此様に自然治癒であれば保有毒素が軽減するを以て、それだけ健康の度を増すのである。右の如く感冒は最も簡単な浄化作用であるから大いに推奨すべきに拘はらず、世人は感冒を恐れ、感冒に罹らぬ事を医学は第一条件としてゐるが、それは如何に誤謬であるかを知るであらう。昔から感冒は万病の基などと謂ふが、実は感冒こそは万病を免れ得る唯一の手段である事を首肯すべきである。

      感冒の原因に不明である医学は、罹病の場合種々の方法を行ふ。その方法とは徹頭徹尾浄化作用停止である。それは先づ発熱に対し解熱剤を与へ氷冷や湿布法を行ふ。

      之は折角発生した第二浄化作用を第一浄化作用の状態にまで還元せしめようとする。即ち溶解し始めた毒素を再び固結せしめんとする手段である。従而固結するだけは解熱、喀痰、鼻汁其他の痛苦は軽減するから病気軽快と錯覚し、それが全く固結した場合、医師も患者も治癒したと思ふのであるが、何ぞ知らん実は第二浄化作用発生以前の状態に還元したまでであるから再発するのが当然である。そうして茲に注意すべきは、還元治療による薬剤使用と氷冷、湿布等の浄化停止方法が、次の罹病に対しより増悪の原因となる事である。故に大患の原因は小浄化作用発生の場合、その都度薬毒等によって度々停止する以上、その毒素が累加し増大され、一時に大浄化作用発生となる為である。

      右の如くである以上、今日医学が進歩したといふのは浄化停止方法が進歩したまでで、実際は病気を治癒させる進歩ではなく、病気を治癒させない進歩といふ事になる。即ち小患で済むべきものを大患にまで発展させるのである。此様な誤謬を進歩と錯覚し、貴重な生命と健康を害(ソコナ)ふ現代人は、寔に哀れむべきであると私は思ふのである。

      次に、第二の人口増加率逓減と死亡率減少と並行するといふ事は如何なる訳かを説明する。先ず欧洲文明国に於て、近年伝染病や肺結核が著減したといふ事を以て社会衛生の進歩に因るものと一般は信じてゐるがそれは一部の理由とはなるが、真の理由ではない。勿論衛生施設の完備が或程度の効果はあるが、それよりも大きな原因は体

    力低下の為である。体力低下が伝染病減少の原因になるとは読者は不思議に想ふであらうが、真相は次の如きものである。

      元来、伝染病や結核等は体力旺盛による強力浄化の為であるから、体力低下の民族は浄化不発生又は微弱であるのは当然である。劣等民族に伝染病が多いといふ事は、衛生に無関心である事よりも体力強盛に因る事の方が有力な原因である。

      右の理論を判り易くする為人間の健康を三種に分けてみよう。即ち第一種の人は完全健康体で無毒であるから、浄化作用即ち罹病する事はないが、斯ういふ人は極稀である。次に第二種の人は有毒者にして体力強盛なるが為浄化作用が起り易く、小患又は大患に時折罹る。先づ此種の人が大多数である。次に第三種の人で有毒者でありながら、体力劣弱なる為浄化作用が発(オコ)り得ない。起っても微弱である。ただ此種の人は運動等によって体力が多少強盛になった場合起るのである。故に斯ういふ人の場合は早速薬を用ひて安静にすれば還元するから一時恢復する。故に之等の人は過労を避けようと努めるのである。

      然るに今日の医学は、第二種の人を第三種にする事を治療道と考へ努力する。その例として都会児童や医師の子女即ち最も医師に触れる機会の多い者及び今日の医学衛生の理論を忠実に守る人程虚弱者であるといふ事実がそれを物語ってゐる。然し乍ら第二種の人を第一種に改善しようとしても、現代医学では到底不可能である。

      そうして死とは如何なる理由によるのであるかといふと、世人は病気の為と思ってゐるが、実は病気に因る死は極稀であって、その大部分は衰弱の為である。それは病気即浄化作用を抑圧するからである。何となれば曩に説いた如く医学は浄化停止を行ふに対し、肉体は浄化を反撥するといふ訳で相剋的に苦痛が増加する。それが為衰弱は加増し、終に死の転機に及ぶのである。

      医学によって体位低下せる文化民族は浄化微弱によって強烈なる浄化が起り得ない理由によって大患が少なく、それが死の機会を延期する。即ち弱体乍らに漸く生命を保ちつつ生存するといふ訳である。然るに今日の文化民族が未だ体力旺盛であった時代は、強烈なる浄化即ち大患に罹り易い。医療はそれを強圧する為摩擦する-衰弱する-死ぬ-といふ訳である。その證左として死亡率の高い時代ほど人口増加も亦高いといふ統計が表はれるのであって、之が人口問題第二の謎の解説である。

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