龍神はある?(栄光143号 昭和27年2月13日)《お陰話》

 本教は龍神というものは、この世の中に確かに存在しているという事を以前から唱えているが、今の人は仲々信じられない。まず昔蒙昧もうまい時代の産物位にしか思っていないが、之も無理はない。何しろ話だけで、目に見えないから致し方なかった。処が本教信者になると、まざまざと目に見せられるので、文句は言えなくなる。それも一人だけなら其人の潜在意識の為と想われるが、同時に幾人もの人の眼に映るのだから、どう否定のしようもないのである。下記のお蔭話は其事が実にハッキリしているので、之を読んで尚疑う人があるとすれば、其人はどうにも救えない科学迷信者である。

龍神此眼で見たり

   『栄光』143号、昭和27(1952)年2月13日発行

   埼玉県 S.M(62)


 御明主様がいつも申されます霊界には龍神界が実在するとの御言葉通り、私外六名が絵にあるごとき龍神をまざまざと見せられた体験をここに御報告させて戴きます。
 
 八月のある夕暮の事でした。以前より神経麻痺にて両足がブラブラになって悩んでいた、M(23歳)さんより出張を頼まれ毎日出張して御浄霊をさせて戴いておりましたが今一息というところで中々はかどりません。月並祭の時会長先生にお伺い致しますと「龍神に何か関係あるかも知れませんね」と申されましたので、早速Mさんに聞いてみますと「明治四十三年の洪水の時に埋まってそのままになっている古井戸があります」との事なので、夕暮ではありましたが家人に案内させそこを見せて戴きますと、現在の井戸より約二米程離れた所で、今では物置小屋の土台の下に成り相当不浄になっておりますので、綺麗に掃除をさせ、龍神に御無礼を御詫び申し上げ、新しい井戸に御移り下さいますよう御願いして、新しい方の井戸に御供え物をして一緒に来た信者さんや家族の人々と祝詞を奏上しながら、フト井戸の中を見ますと、古井戸に面した隅の方に五寸位の銀色に光るものが浮いて参りました。私はこれはと思い、傍にいる人々に指で井戸の中を指差しました。

 全員祝詞奏上しながら見守っておりますと、それが段々大きくなり、一尺程に延び驚きました。ちょうど絵や彫刻でみます龍の顔ではありませんか、長い髭までも見えるようになり、遂に胴体も現わしまして、龍神の姿は井戸一杯に延び泳いでいるようにみえ、水面は小波立ち、小さな波の音すら聞えるような気が致しました。

 その状はあたかも夜空に輝く天の川か、大海に朝日が昇る時のように何と言うか、筆舌には現わしようが有りません。祝詞を三回奏上致し、龍神にただ今迄の御無礼を御詫び申し上げ、娘の病気が早く全快するよう御願い致しますと、スーッと姿は消えて元の真暗な井戸になりました。その頃は辺りもトップリと日が暮れておりました。

 家人が夕飯の用意が出来ておりますからとのこと故座敷に通り、膳に向いますと驚きました。膳にのっている海苔巻寿司がちょうど蛇の胴切りにした様に見え、中の干瓢が骨のように見え、海苔が蛇の鱗の様に見えます。これはいかん、こっちの奴と赤いでんぶのついた握り寿司の方に箸を向けると蛇の切身の血の滴るように見えますので、寿司の方は断念して胡瓜もみなら大丈夫とおもい一箸口に入れてみますと、口の中が生臭くなり、ナメクジでも噛むように感じたのですぐ吐き出してしまいましたが、口中に残った臭が中々取れませんので、お茶を飲みますとそのお茶も同様の感じがしますので、これも吐き出してしまいました。うどんも出たのですが全部蛇の子のように見えてしまいました。これは私一人でなく皆そう見えるのでしょう。せっかくの御馳走を誰も手をつけるものはありません。仕方無く何も戴かずに帰途に就きましたが、途中生唾を吐き通しです。余り気持が悪いので氷水でも飲んではと思い氷屋に飛込み二杯程飲んでみましたが、やはり止りません。ほうほうの態で家に着き、大光明如来様に御守護御願い申し上げますと、さしも執念深い生唾も止りました。

 「龍なんてそんなものはこの世にあるものか」と一口に言う無神論の方には、この事実をなんとお思いになる事でしょう。私一人ならいざ知らず、六人もの人がはっきりと見えたのですから事実は否定出来ません。ちなみにMさんの娘さんはそれから急に良くなり、ただ今では少しずつ歩けるようになりました。

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