本教の強味 (栄光128号 昭和二十六年十月三十一日)

 標題のごとく、他のいかなる宗教にも見られない強味を、本教は有(も)っている事で、それを今ここにかいてみよう。というその主なる点は経済面である。普通宗教と言えば、昔からその宗派なり団体なりを維持運営する為の費用は、全信徒からの寄付によるのはもちろんであり、神社や寺院によっては、参詣者の賽銭によるのもある。その様な訳だが、特に新宗教にあっては、積極的運営が殆んどである以上、建物を始めとし、何や彼やその費額は、案外多く要るものであるから、遂無理をしてでもやらなければならない事になり、宗教によっては、少し熱心な信者となると、献金々々に追われ通しで、年々貧乏になってゆき、古い信者になると、飴の吸殻しの様になってしまう者さえよく見るのであって、これが新宗教を警戒したり、敬遠したりする原因ともなっているようである。これらもいつもいう通り、霊的には救われても、体的には救われていないのである。

 ところが本教においては、病貧争絶無の世界を作るのがその建前となっている以上、健康を解決すると共に、貧乏も解決しなければならない訳で、この点においても神様は大きな恵を下さるのである。何よりも本教信者になるや、最初は貧困に苦しんでいた者でも段々改善され、一、二年も経つと金銭の心配など全く解消してしまうのである。もちろんこれには立派な根拠がある。というのは、入信するや、その日からでも人の病気を治す力を与えられるから、どんな人でも入信後数カ月も経つと、博士の見離した病人や、死の宣告を受けた患者も、全治快復させる事ができるので、大きな御利益を頂いたからには、謝礼をしなければ気が済まない事になり、そういう収入が漸次増えてゆき、ついには生活費を差引いても、金が余る位になる人も多いので、神様へ奉謝すべく本部へ献金するのである。従って本教においては、他宗教では到底真似のできない程の、大規模な経営を行う事ができるので、世間の注目を引くのである。

 その結果、メシヤ教はドエライ収入があるとか、これこれの財産があるなどといって、馬鹿々々しいような数字を、よく新聞や雑誌に出しているが、前述のような訳で、そう見られるのも致し方ないともいえる。

 今一つ、これも他では全然見られない強味というのは、本教信者になると、病気の心配がなくなってしまう。しかも本人のみではなく、家族の者迄病気に罹っても御手前ものの浄霊で、雑作なく治るので、医師も薬も必要なくなると共に長患いなどする者もないから、これが経済面及び精神上に及ぼす御蔭は大変なもので、病気で休む者など殆んどなくなるから、能率の上からいっても、その利益は莫大なものである。全く世界広しといえども、このような宗教も、団体も決してありはしないであろう。ところがまだある。それは不正をする者がない事である。それが為会計上の事は、帳簿や受取などの必要もなく、ただ税務署に関する事だけの帳簿を備えておけばいいのである。という訳で七面倒臭い事は一切ないから、手数もかからず、気持もよいので、この御蔭は筆や言葉には表わせない程である。そうして一切万事信者がやっているので、誠意をもって無駄な事や、不利益な事は、できるだけ行らないように心掛けているので、凡て簡単にスムーズにゆく、例の造営の土木事業にしても、半分以上は奉仕者であるから、銘々が食糧持ち無賃金で、誠と熱で骨折るのだから、その能率の上がる事は驚く程で、言わば速くて良くできるという訳である。もっとも最初雇い入れた労務者も、いつかしら信者になってしまうので、今日は全員信者といってもいい位である。何よりも本教造営の捗(はかど)り方の速いのと、でき栄えの素晴しい事であって、見る人ことごとくが驚嘆するところである。こういうような訳だから、世間で見るような仕事の上の監督者などは、全然要らない。時々私がちょっと指図する位であるから、殆んど自由であっても、怠けたりサボる者など、薬にしたくもないのである。もっともこういう点は他の宗教にもあるにはあるが、ただ曩'(さき)にかいたごとく、本教独特の強味である信者が宗教活動をしながら、相当の収入がある事、病気に罹る事は殆んどない事、不正者がない為、安心して任す事ができる事等である。としたら本教が今迄に類例のない程の、発展振りをみても判るはずである。

 これについていつも思う事は、今日社会における凡ゆる階級の、邪悪分子の多い事である。従って、もし官吏、会社員、労働階級、その他凡ゆる従業員ことごとくが、メシヤ教信者になるとしたらどうであろう。実に想像もできない程の、素晴しい能力が上がり、幸福を得られる事となり、恐らく日本は世界の模範国家となるのは、太鼓判を捺(お)しても間違いないのである。 

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