箱根地上天国完成記念祭御教え (御教え集23号 昭和二十八年六月十五日 )

六月十五日 (箱根地上天国完成記念祭御教え)
いよいよ地上天国の模型が完成したので、その「記念祝典」という意味ですが、つまり真善美のうちの美の型が出来たわけです。ところで昔からいろいろな宗教がありましたが、真善はあったが美は作らなかったのです。何故美を作らなかったかというと、本当の天国の宗教でなかったからです。時期が夜の世界のために天国を造る事ができなかったのです。そこで美が欠けていたというわけです。それについて書きましたから、今読ませます。

御論文「神仙郷地上天国の大いなる意義」【註 栄光二一六号】


この終わりの所にあった事が大変なのです。以前も言った事がありますが、「ゴーラ」というのは「ゴ」は「火」です。それで「ゴー」と引っ張るのはパッとした火でなく、持続的な火です。「ラ」は「螺旋」と言って渦巻く働きです。火は左進右退ですから、これから左進右退のリズムが霊界に始まるのです。そうすると霊気というのは、太陽の霊気は火素だからして、この渦巻きの中にある汚いものはみんな整理されるわけです。今までは霊界があべこべの右進左退の渦巻きだったのです。そしてこれは月の精のリズムですから、言わばごく弱かったのです。つまり夜の世界のリズムだったのです。だから汚ないものや間違ったもの、悪に相当するものは或る程度は許されていたのです。しかし今度の太陽の世界は、昼間の光線と同じですから、どんなものでも分かってしまうから、汚いものはみんな御取り払いになるわけです。このことは、汚いものにとっては怖い事です。しかしきれいなものは、あべこべに有難いのです。それが最後の審判なのです。ですから今日を契機(けいき)としていよいよ最後の審判にはいって行くのです。だからだんだんそれが形に現われて行きますから、よく分かります。それと共に、どうしても救世教にお辞儀しなかったら、つまり生きて行けない事になるわけです。随分バタバタする者が沢山できるでしょうが、これは神様がやっている事で、私がやるのでないから、どうも仕方がありません。その前に一応は知らせなければならないというので、それが『聖書』にある「(あまね)く天国の福音を宣べ伝えらるべし、しかる後末期到る」というこれです。そこで“天国の福音を普く宣べ伝えられる”という事は、『アメリカを救う』はそのごく最初の一段ですが、今度『世界救世教奇蹟集』が出、その次には『医学の革命書』が出ますが、これはみんな英文にして世界中に配るわけです。それから最後に『文明の創造』が出るわけですが、これらが天国の福音となって、世界中に読ませるわけですが、これを全部読ませるまでに行くか、それとも、『医学の革命書』だけは充分ですが、『文明の創造』が間に合うかどうかという事は、ちょっと分かりません。そういうわけで、いよいよ霊界が一大転換をするのです。それが現界に写るからして、そのつもりで居なければなりません。

それで、「力」という事について話をしますが、今までの世界は本当の力というものが出なかったのです。「力」と言っても、それはいろいろあります。人間の力の「腕力」。それから兇器を使ったりして大いに暴れるのは「暴力」。それから馬の力の「馬力」。それから今は「機械力」で、これが非常な活動をして世界的にいろんな文化を進歩させていますが、これも結構です。ところが現代の宗教のような力は「微力」と言います。甚だ弱い力です。それから人間を大いに自由にしているのが「政治力」。それから「金力」ですが、この「金力」というのがなかなか恐ろしいものです。この金力を善が握れば結構ですが、今までの金力は悪の方が多いのです。善もありますが悪の方が量が多かったのです。この金力に私なども随分いじめられました。それからいろいろ問題にされたり裁判所に引っ張られたり、言論機関が大いに圧迫したりするのは「権力」。それから「経済力」というこれも、今までは良い方より悪い方に使った方が多いです。そこで「金力」は「経済力」に付随してますが、「金力」というの、大変な力を持っているのです。ソ連が共産主義によって世界の覇権を握ろうとし、朝鮮戦争を起して、それをアメリカがくい止めましたが、アメリカの何の力がくい止めたかというと「金力」です。それは他にもいろいろありますが、その最も根本的力と言いますか、それは「金力」で止めていたと言うか、「金力」で平和を維持したというわけです。だから今までの世界では「金力」が一番力があったわけです。それから戦争をやるのは「戦力」。その戦力を行使すると「破壊力」。それから又文化の力というものには、学問の力の「学力」。その学んだ結果の智恵の「智力」。智恵にもいろいろありますが、これは前にも言ったから、今は言いません。それから「智力」を応用して考える「思考力」。それから「筆力」。筆の力ですが、これが又恐ろしいのです。今の世界は「金力」が主で、「筆力」がその次と言ってもよいと思います。それから「宣伝力」。これも大変な力があるものです。それから引く力の「引力」。押さえる「圧力」。まだまだ沢山ありますが、大体そのくらいで分カると思います。ただ、今までなかったのは神の力の、「神力」です。全然ない事はないが、薄かったのです。強く発揮ができなかったのです。というのは夜の世界のため、つまり月の光は、光から言っても太陽の六十分の一ですから、余程弱かったのです。それがいよいよ時期が来て、今度は火の力、太陽の力になって来たのです。それが昼間の世界と言うのです。それで浄霊して病気が治るという事は太陽の力だからです。今までは、救世教のように病気を治すという力はなかったのです。というのは月の力だからして、見らるるとおり、本当に病気を治す力はないし、それから又病気というものの根本は何かという事も発見されていなかったという事は、力もないし光も薄いから、つまり見得る事ができなかったのです。

 それが根本だから、それが分かれば浄霊で病気が治るという事は、訳なく分かるわけです。それで救世教の信者はキリストと同じような奇蹟は毎日のようにやっているという事だけでも、その力たるや大変なものです。それで今までは、宗教が本当に救う事はできなかったのです。現在救われているのは各宗の教団の方です。仏教にしても、仏教がその信者を救っているのではなくて、その本尊が信者から救われているのです。これは別に悪口を言うわけではないので、事実を言っているのです。というのは闇の世ですと月の光だけでも結構なのです。だから闇の夜道を歩いている人は、月の光によって、とに角安全に歩けるというわけです。そこにだんだん太陽が出て来ると、月の光は薄れて来、ついには無くなるというようなわけですから、そこで霊界では非常に明るくなって来ているから、月の光というものがもう駄目になったというわけで、それが現われているわけです。だからして結局火の力を行使する事は、私という者が出て、初めてその力を与えられたのです。つまり「力」です。ところが「力」というものと「光」というものとは同じなのです。つまり「火」と「水」の密合したものが「光」であり又「力」なのです。だから「力」という字はよくできてます。経と緯、火と水が十の字に組むのです。そうするとそこにズーッと曲線がつながって、跳ね返ってますが、とに角文字というものは神様が造ったのですが、実によくできてます。ですから文字と言霊が分かれば、宇宙のいろいろな神秘は分かるわけです。私はそういった事を書こうと思ってますが、どうしても書けないのです。やっぱり神様はどうしても、それを分からしてはいけない事があると見えます。そこで経が先で緯が来て結ばり、曲って、跳ね返っているが、これは左進右退のリズムが現われてます。ですからさっき言ったとおり、この地上天国の模型が中心になって、左進右退的活動が始まるという事は、これが真の力なのであります。つまり救世教というものは力の宗教と言ってもよいのです。この力が本当の神力です。経緯結んだ火と水の力です。「カ」は「火」で、「ミ」は「水」ですから、「カミ」の力です。この力を行使したという人は世界肇って以来ないのです。それで言霊から言うと「シン」の霊返しは「ス」になりますから「神力」は「主の力」とも言えます。それで何時も⦿(ス)は丸にゝと書きますが、チョンが火で、丸が水になります。太陽の黒点はチョンになります。学者はあの黒点を研究してますが、それは今言った事なのですから、こっちは別に研究の必要はありません。この太陽の黒点のチョンが大変なものです。つまり宇宙の魂です。果物なら種です。それで今までの世界はチョンがなかったのです。丸だけだったのです。要するに空(から)だったのです。それでいよいよ私が世界にチョンを入れるわけです。この神仙郷はチョンなのです。ゝ(ポチ)なのです。その意味において非常に重要なわけなのです。その始まりの今日は非常な意味があります。

 それから六月十五日というのは天照大御神様の誕生日になりますが、誕生日という事は日が出るわけです。これは私の本にあります。前に房州の日本寺に行った時が昭和六年六月十五日ですが、これがつまり日本の日の出になるわけです。そしてそれが世界の黎明です。その時もいろいろな神秘な事がありました。それから三月と三日たった九月十八日に満洲事変が起りましたが、この満洲事変という事が大変な意味があるのですが、これについてもそのうちに書きます。それから日本寺という寺の名前も、これは日の本で、あそこから日が出たのですから、寺の名前も、日本寺となっており、この名前は外にありません。おまけに乾坤山というのですが、乾坤という文字は「天地」という事ですから、あの寺というのは大変な意味だったのです。そこで非常に神秘な事がありました。これはまだ書いてありませんが、もうそろそろ書いてよい時期ですから、もうじき書きます。

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