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御教え集23号 昭和二十八年六月七日 「地上天国の模型」完成

    六月七日

      今日は面白い奇蹟がありました。さっきこの人が今日の参拝の人数を報告に来たのですが、その時に五百六十七名というのです。私は何時もそういう数字が出るとよいと思ったが、今までそういう事は一度もないのです。それが今日に限って五百六十七名というのです。その数字が言葉に出た以上は、その後は増えても構わないので、五百六十八でもよいのです。ところが今日その数字が出るところに意味があるのです。

     というのは今度の六月十五日は箱根地上天国の完成記念祭です。ですから此処は、つまり地上天国の模型が出来たわけです。それで地上天国というのはミロクの世ですから、今日ミロクの数字が出るという事はそれに関連した大変な意味になるわけです。それで十五日の意味の原稿を昨夜書いたのですが、それは十五日に読ませますけれども、大体の意味は、まず地上天国の模型が此処に出来たとすれば、これからそれが左進右退によって、だんだん拡がって行くのです。これは何時も言うとおり、「ゴーラ」の「ゴ」というのは「火」です。「ラ」というのは「螺旋」と言って「廻る事」です。それで左進右退に廻っているのです。それで左進右退に廻るのは拡がる事です。右進左退はすぼまる事です。だから「ゴ」「霊」で、霊的に拡がって行くというわけです。霊主体従ですから、霊が先です。此処が先に拡がり出して、体的には熱海ですが、熱海はもう少しですが、とに角この十五日からミロクの世になるわけです。

     尤もこれは小さい型ですが、やがてだんだん拡がって行くわけです。ですからそうなると今度は浄化作用が又本格的になりますから凄い事になります。だから間違った事は全部訂正されてゆくわけです。その代り人間でも、善は残り悪は滅びるという事になります。これが本当の建替え建直しというわけです。今日はこの話はしないわけだったので、十五日にするつもりだったのですが、今日の人数の数字が出たので、もう話をしてもよいわけなので簡単にお話したのです。ですから十五日というのは非常に目出度い日なのです。これは世界の紀元節というわけです。それでそれについてと言うか、関連して、一昨日からこの原稿を読んでいるのですが、もうその時期になったわけです。そのためにこういう原稿ができたのですが、余程重要な意味があります。

      御論文〔⇒最後の審判とは何か〕【註  栄光二一三号】

      つまり神様の方が激しくなるわけです。大本教のお筆先に“神激しくなれば、人民穏やかになるぞよ”というのがありますが、なかなかうまく言ってあります。そういうようなわけで、曖昧(アイマイ)であったのがはっきりしてくるというわけです。だから分る人は救われる人で、分らない人は滅びる人と、こういう工合にだんだん決まってくるのです。ところが分らない人の、滅びる方がずっと多いのです。ですからどんな人でも救われると思う人が、今までは大部分でしたが、そうではないので、救われる人の方が少ないのです。ですから救ってやりたい救ってやりたいと、こっちで思っていても駄目な人は駄目なので、諦らめるという事が肝腎です。それでミロクの世という素晴らしい世の中ですから、あんまり汚ない、訳の分らない人間は、かえって邪魔になるわけです。神様の方では人口を増やすのは何でもないのです。今でも増え過ぎて困るのです。ですから倍くらいにするのは何でもないのです。又、将来その方が有利です。捨てられて滅びる人は実に可哀想なものですが、これはどうも仕方がありません。ですから、その点をよく心得ておくべきです。これは何時も言うとおり、今度の御神業は、人がやるのでなくて、神様がやるのですから、骨を折らなくてできる御神業です。ですから骨の折れるような難かしい事は避けた方がよいです。楽にスラスラと行く事だけをやればよいのです。だからかえって楽で非常によいです。そこが天国を造る宗教としての適ったやり方になるわけです。今までは地獄の中で天国を造ろうとするのですからして、まだまだ天国を造る時が来てないのです。地獄の中で天国を造るのだから、苦心惨憺(サンタン)して非常に骨が折れるのです。人間はそういうのを長い間見て来ましたからどうしても苦しむ事がよいように、つい思うのです。だから今言ったような事を本当に意識するには、なかなか骨が折れますが、その点はよく気がつくように心掛けて居なくてはいけません。

      だから美術館や庭や何かが早く出来たので、信者でない人などが、これほどにするには随分苦心しただろうと言いますが、実は少しも苦心も何もしないのです。楽過ぎるくらい何も考えないで、その都度気の向いた時にちょっと指図するくらいで、それでチャンと出来てしまうのです。やはり苦心して造ったものは、それを見た感じは、やはりその苦心が移りますから、あんまり楽しい良い気持はしないものなのです。こういう事も今まではみんな知らなかったのです。私は展覧会などに行って、いろんな絵を見ますが、非常に嫌な感じがします。というのは、どうかパスされようとして苦心惨憺するのですが、その苦心がチャンと絵に現われているのです。ですからそれから受ける感じは、作者の苦心がこっちに来ますから、少しも良い気持はしません。楽しみ楽しみやった良い作品は、それがやはり移りますから、見ていて楽しい良い気持がします。そういう事も世間にある美術館の人などは知らないのです。要するに霊的智識がないので、形だけに囚(トラ)われているからです。根気良く苦心惨憺(クシンサンタン)して作った物が良いというように思うのです。そこに今までの考え方と余程違う点があります。

      ですからミロクの世というものは、地獄の世界を天国にするのですから、まあ人類肇(ハジ)まって以来の大革命です。これほど大きな革命はないと共に、これほど楽にできる革命はありません。無血革命という事を言うが、無血革命というのは争闘をしない意味ですが、そんなものではないのです。無血革命でなくて、最も楽にできる革命だからして天国的革命とでも言いますか、そういうようなわけです。それが十五日を契機としてだんだんそうなって来るのです。それが霊主体従の法則によって霊界の方がそういうようになって来ます。ですから物質界、現界の方にそのとおりに映って行くというわけです。だからその点においては、傍観していてもよいくらいです。ただ神様から与えられた仕事をすればよいわけです。ぶっつけられた仕事をすればよいわけです。だからその点において、あんまり人間の智慧や考えは出さない方がよいです。たとえば病人が来ますが、この病人を救えばこういうふうになるだろうとか、そういう事は考えない方がよいです。ぶつかって来た人は救えという事なんだから、それはやればよいです。それから嫌ったりする人は、これは神様はお助けにならない人だと考えて追いかけたりしない方がよいです。その方が楽に行きます。それを人間的考え方で、“この人を救えば大変発展する、信者が沢山できる”という事をよく考えますが、それがいけないのです。人間には分るわけがないのです。ですから“こんなつまらない人が”というのが案外役に立ったり、“この人は”と思う人が駄目だったりします。それは人間と神様の考えの違う所です。

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