御教え集29号  昭和二十八年十二月二十三日  御生誕祭 (昭和二十九年一月十五日)

    十二月二十三日  (御誕生祭御教え)

      私は今日で満七十一歳になります。それで今日は皇太子様の御誕生日にもなるので、余程私と因縁があるように思われます。皇太子様は「明仁(あきひと)」と言って、やはり「明」の字で、私は明主なのですから、これも不思議と思われます。

      御神業の方から言うと、救世教が出来たのが二十五年二月です。それで、あの事件が起きたのが、やっぱりその年の五月二十八日です。それから、決まりがついたのが去年の誕生日の翌日だったのです。そうすると私の満七十歳で「散花結実」――つまり花が散って、去年の十二月二十四日にいよいよ実の点が出来たわけです。そうすると今年で丁度一年で、そうして散った年からですと三年になるわけです。それですからして、五、六、七が済んで八となるので、丁度今年が二十八年ですからして、ミロクが開くという意味になるので、七十で五、六、七と、大体基礎が成ったのです。それからいよいよ開くという形は、今年になってからの御神業の模様もそういうふうになってます。それでこれから七年、つまり私が七十七の時に大体世界的の基礎が出来る事になっているのです。つまり七十七で「成り成る」のです。そういうふうに御神業の方は正確に、しかも早いです。

      それについて考えてみると、地上天国の模型は、箱根は今年でき、これから熱海ですが、来年はメシヤ会館と展望台の水晶殿が出来ます。再来年は美術館が出来るという事になってます。それで美術館が出来ると、あそこは大体完成ですが、それでもまだ神様の方では、あの地上天国はもっと拡げる計画のようです。しかし兎に角、それで大体は出来るのです。そうしますと、出来上った暁(あかつき)は、この間も話したとおり、日本とすれば西は京都・奈良、東は箱根・熱海という事になるだろうという、米国の新聞記者の話で、その人は『ニッポン・タイムズ』の記者をしていて、放送局の英語放送の主任をしているエリス・グリリ氏です。外国の人が日本に来た時にはそういうふうに見るだろうと自分は思うという事も言ってました。それから又こういう事も言ってました。イタリヤのヴァチカンですが、あそこはキリスト教の本山ですが、一方から言うと美術の本山と言ってもよいです。イタリヤの大美術館です。それと匹敵するように見ておりました。又フランスではルーヴルとも比べておりました。結局そういう事になるのは間違いないと思います。そうすると、ただ、その早さは驚くべきものです。なにしろ京都・奈良は千年以上たってます。奈良にしても千二、三百年たってます。それで、多くの人間……仏教が主ですが、その間いろいろな美術家だとか、とにかく千年以上、大勢の人がやって拵えたものと、私の方はまず十年でしょう。大体宗教になったのが二十二年八月ですから、十年とすると三十二年八月で丸十年という事になるわけです。それで完成するには、熱海の美術館が出来るのが再来年とすると、三十年です。それから又京都にも出来ましょうが、とにかく十年で、それも私が設計までやったのです。西の方は千年以上で、こっちは年限が短いですから、ああいうような細かい、いろいろなそういう事は無理ですが、とにかく、一つの、人間の目を楽しませ、又一つの魅力と言いますか、そういった見方で同格に思われるという事は、その早さにおいて大変なものだろうと思います。これは私が自惚れているわけではないので、神様の腕前の素晴しい事には私自身が驚いているのです。そういうようなわけですから、そういった文化財的のものばかりでなく、あらゆる面にわたる救い、世界的の救世の事業も、その割でゆけば別にそう難かしい事ではないと思います。例えて言えば、キリスト教は二千年、仏教は二千五、六百年ぐらいになりますが、そういうように二千年以上かかる宗教的事業を、救世教の方の神様――と言うと変ですが、他の宗教の神様の総取締りーー親玉みたいなものですが――その神様がやるのですから、おそらく釈迦、キリストが二千年以上かかってやった事の何倍何十層倍のもので、まず二十年か三十年でやれます。それは間違いないです。私にはよく分かるので、それはお知らせというのでなく、それ以上の確実な事が分かってます。それはどういう訳だと言いますと、これは何時も言ってますが、今までの宗教でも何んでも全部月の力なのです。これは夜の世界のためですが、夜の世界は月が支配したのですからして月の力です。そうすると太陽の光はその六十倍ですから、そこで私の振う力というものは太陽の力ですから、今までの最高のものよりか六十倍の力です。だから私の弟子がキリストと同じくらいの事が出来るという事はそういうわけです。要するに力なのです。その力が今までは弱いために、つまり悪魔に負けるのです。それともう一つは霊界が暗かったからで、丁度夜、物を見るようなもので、はっきりしなかったのです。それだから今まで説いたいろいろなものがはっきりしないのです。バイブルでも経文でもはっきりしないのです。だからそれを読んだ人でも、つまり想像です。「オレはこう思う」「貴様はそう思うだろう」というような事で、まちまちなのです。ですから本当にバイブルや経文を読んでも、分かる人はおそらくないです。というのは、夜、物を見ようとするようなものだからです。ところが救世教の方ははっきりしているのです。私は書くものにしてもはっきり書いているのです。少しでも迷いがなく、解釈の仕方が一つよりできないように書いてあります。そこが、昼間の明かりで物を見るというように思えばよく分かります。だからすべて早いのです。夜ですと探り探り、見当をつけてやるのですから、たまには間違ったり、やり損(そこ)なったりする事がありますが、昼間は遠くまで見通しがつきますから、そういう事はないのです。ですからして、これからは一層早くなります。それで、今年一年でも随分早いです。知らるるとおりハワイに三月から手をつけて、もう相当立派な本部が出来てしまっているのです。それも、別にこっちから金を出したわけでなく、先方で半年ばかりで作った信者が金を出して本部を造るというのですから、これもおそらく破天荒な話です。それで、来年は米国の方も相当活躍しますから、これも又予想もつかないほどの収穫を上げるでしょう。それから又熱海の地上天国が出来ると、これは又とにかく日本中の評判になりますから、大変に大きな刺激を与えるだろうと思います。

      私の方で一番困るのは、救世教はやっぱり今流行の新宗教だ。それで、新宗教の中では少しは頭角を抜いているようだが、結局○○会だとか、○○○○教だとか、○○○○とか、そういったように他の新宗教並に見られる事が非常に困るのです。ですからむしろ救世教の発展を一番妨害しているのは新宗教なのです。そこで世間に沢山ある新宗教と救世教とは違う、断然別のものだ、というように世の中の人に認識させるという事が一番肝腎なのです。その点において、箱根はそうでもありませんが、熱海が出来あがったらびっくりします。それもありますし、それから自然農法も、今年で余程認める人が多くなったようですが、この方も来年の収穫で、これなら否応(いやおう)なしだと思います。それらの点において、他の新宗教とは違う、救世教は特別だというような認識をされれば、それは素晴しい発展をします。今まで知った人はよく分かりますが、中に入らないで外から見ている人は、どうも新宗教並に見るという、そういったような事が大変に発展を阻害(そがい)しているわけです。それで、そういう見方、観念を破るには、今度の熱海の地上天国が出来るという事が最も効果があると思います。

      それでこれはまだ、なにしろ未完成だから分からなかったのですが、漸く会館の形だけは出来、これから展望台にかかりますが、さっき言ったとおりここは水晶殿とつけました。英国に水晶宮というガラスの家があるそうですが、「宮」ではあんまり大袈裟(おおげさ)過ぎるのです。「ガラスの家」と言うと安ッポイですから、やっぱり「水晶」という名が一番よいですが、「水晶何々」と言っても、他に適当なのがないので「水晶殿」としましたが、「水晶殿」でも少し大袈裟過ぎますが、他にないのでそうしました。それで、この水晶殿が出来、美術館も箱根より大きさも倍以上あり、凡ての点において無論世界一と言ってもさし支えないです。それで、外国の人などは、箱根でさえ、大きさはもっと大きいのがあるが、内容においては世界的レベルと少しも劣らない、という事を言っているくらいですから、今度熱海に出来る美術館は世界一と言ってもさし支えないものです。それで、美術館と、それから今言った水晶殿と、それだけでもとにかく日本の国の誇りというくらいに認めるだろうと思います。おそらく開闢(かいびゃく)以来これだけのものを造った人はないし、計画した人もないのですから、そこで救世教に対する見方というものがまるっきり違うだろうと思ってます。今の泥だらけになっている所を信者さんが見て、それほどとは思わないでしょうが、出来上がれば信者さんでも開いた口がすぼまらない、というように驚くだろうと思ってます。そういうようなわけで、あれだけのものが十年そこそこで出来てしまうという、その早さ、素晴しさというものは驚くのみだろうと思います。そうして、なにしろ私が箱根、熱海に来たのが昭和十九年ですから、まだ十年にはなっていないので、来年で十年になります。その時は、それこそ茫々(ぼうぼう)たるもので、最初箱根に買った神山荘は十六万円で買ったのですが、私が持っている金がやっと五、六万円だったのですが、十万円というものはその時の信者さんの有力な人が作った金なのです。それから熱海の東山荘を買って出て来るというようなわけで、今の事を考えたら夢です。そういうようなわけで、仮に美術品にしろ、日本では一番とされてますが、浮世絵なども私があれだけは一年かからない内に集まってしまったのです。これを道具屋が不思議だと言ってます。それで私は、これは神様が大いに集められたのだなと思って、私はただ神様の事務執行者みたいなものです。神様が方々からいろいろ寄せて来る、それをただ取扱っているだけのものです。その代わり神様の方は楽はさせません。というのは、いろいろな良い物は沢山来ますが、買う金には年中苦しんでいます。その代り又必ずキチキチとして、手も足も出ないようにはされないのです。そういうようで、浮世絵も僅かな間に集まって、今は日本一になってます。来年の三月に三越で浮世絵の大展覧会をやりますが、これは毎日新聞社の企画です。それで、箱根美術館出張展覧会と言いますか、そこは適当な名前をつけるでしょうが、そういうような具合で、これも今までお寺は随分デパートに出しましたが、美術館として出すのは初めてです。これは大阪、九州などにも続いてやる計画です。その浮世絵が、そのくらいの僅かの間に認められるほど集まったという事は素晴しいものです。それで、浮世絵以外の美術品も、いろんな計画で、展覧会をやるというような考えも、毎日新聞社で考えているとかいう話を聞きましたが、無論そういう事になりましょう。

  そこで、近頃美術という事に対する社会的の関心を非常に持たれて来ました。だから新聞で美術とか美術展覧会とかを扱わなければならないようになって来たようです。そういうような具合で、とにかく美術熱というものが非常に高まって来てます。これは日本ばかりでなく世界的で、外国でも非常に美術熱が高まって来て、特に米国などは非常なものです。それで私は将来米国で東洋美術、特に日本美術を紹介しようと思って、その方法を考えています。それには、何んでも来年あたりロックフェラーなどが来るかもしれないという事を言ってましたが、そうしたら箱根美術館も見せて、私が話をしようと思ってますが、あの人が力を入れると、金は幾らでも出しますし、又非常に美術が好きだそうで、特に日本美術は好きなのですから、いずれは日本美術を主にしたものを、と思ってます。今年米国でやりましたが、あれはどっちかと言うと、国宝的、仏教的の物を主にしてあるのですから、どっちかと言うと官僚的美術品です。私はそうでなく、つまり民衆的美術品というものの展覧会を米国でやれば、非常によいと思います。それは私の手でも出来ない事はないのです。というのは今年アメリカでやったのは、一口に言えば堅すぎるのです。とにかく大体藤原以前あたりの物が非常に多いのです。足利、桃山、元禄あたりの物は、ごく少ないのです。民衆の芸術は、元禄以後なのです。それまではその時代の権力者が楽しんだ美術品なのです。漸く徳川中期から人民が楽しむという美術が出来たので、それが非常に華やかだったのが元禄なのですから、つまり元禄以後の民衆芸術というものを大いに世界的に知らせる必要があるのです。ところが今までは本当の浮世絵だけだったのです。これは逸早(いちはや)くヨーロッパあたりまで行ったのですが、他の物は殆んど行かなかったのです。というのは大名などの方面に秘蔵されていたのです。それが終戦このかた散らばって出て来たために私なども手に入れる事ができたのですが、そういうようで、日本美術の、古代美術でなく中世紀以後の物を相当集めて多くの人に見せるという必要があるのです。そういうような意味で、救世教もそういう事が一番手っ取り早いですから、その面から世界的になるわけです。そうして他の方面の救いの方は、とに角余程、何んと言うか、一つの比較、つまり美術の方面でも大したものだという事の信用を得て他の救いの方をした方が、つまり導きよいと言いますか、仮に医学の方でも、農業なら農業の方で自然栽培が日本中に知れ渡るようになれば、そこで救世教は大したものだという事になり、そこで「薬は毒だ」という事が耳に入りやすくなるのです。これは万事神様がやっているのですから、別にそういうふうに考える事は要らないのですが、救世教が美術に非常に力を入れているという事もそういうような訳です。このやり方は、やはり救世教ばかりでなく、例えてみれば聖徳太子が仏教を開いた時もやっぱりそのやり方です。それによって奈良というああいう仏教美術の都市が出来たわけですが、これは聖徳太子がとにかく仏教を弘(ひろ)めるについてそういうやり方をしたわけです。それが又日本の美術に対する大きな功績になったわけです。とにかく日本のあらゆるもの――そういった美術ばかりでなく、音曲でも舞踊でも、結局仏教から出てます。つまり仏教が極楽浄土の形を現わすという事が芸術を作った始まりです。それで歌舞音曲(かぶおんぎょく)というのは極楽の相です。そこで法隆寺というのは七堂伽藍(しちどうがらん)を写したものです。それから祇園精舎という事は、一つの天国の、芸術――歌舞音曲といったものを現わしたものです。それはむしろ藤原期以後京都を主にして始まったのですが、それも結局、因(もと)はと言えば聖徳太子の仏教芸術が発展したものです。それからヨーロッパでもそうで、何んと言っても、さっき言ったイタリヤのヴァチカンのローマの文化というものは、キリスト教を主にして出来上ったものです。例えてみれば、奈良の大仏にしても、もし信仰の力が無かったらあれほどの物は出来ません。それから支那においてもそうです。支那の最初の始まりは三千数百年前の殷(いん)で、それから商(しょう)、周(しゅう)という具合に発展して来ましたが、その時代の物を見るとみんな仏器です。つまり仏様にあげる香炉(こうろ)とか花活(はないけ)とか、いろいろな器物がそういった道具で、それから発達しているのです。それで一番盛んになったのが魏(ぎ)の時代――つまり六朝時代(りくちょうじだい)ですが、この時仏教芸術が非常に盛んになったのです。ですから支那の仏教芸術というものはみんな魏の時代の物です。それから、その後の唐時代から陶器が非常に盛んになりましたが、それはみんな銅器が基本になっているのです。ですからやはり仏に関係したものです。そういう具合で、芸術というものはやはり宗教から出ているものです。だから救世教が美術に対して非常に関心を持っているという事は、古い時代からそうなっているのです。それで芸術というものはやはり天国を現わすものなのですからして、宗教が基礎になるという事は当り前なのです。それでただ、その時代々々によってやり方が違うだけです。それで私がやっている事は二十世紀の時代に合っているわけです。ですから今まであったのは、古い時代の何百何千年前のやり方です。ところが新しい時代、要するに科学文化の時代にはそういった宗教的の物は未だ何も出来てないのです。そこに救世教が率先してやったわけです。そこで箱根・熱海の地上天国がそういった新しい時代のやり方、形式、そういうものを表現したわけです。ですから今日でも宗教建築というと、おそろしく古い時代のものをやり、みんなそういった頭になってますから、救世教のようなああいったハイカラな物――ガラス造りの家を拵(こしら)えるという事などおおよそ無いのですが、これは出来て当り前です。ただ救世教が先鞭(せんべん)をつけたというわけです。ですから、これからやはり、それと、救世教は宗教ばかりでなく、世界的に地上天国を造るというのですからして、その規模、計画なりが、今までのものより大きいのです。一宗とか一国だけというものではないわけです。しかしそれも計画だけではないので、実際に造るわけです。ですから神様の方では地上天国というものを世界中に造られるわけです。これは救世教だけがやるのでなくて、その国の人が造るわけなのです。これは将来の話ですが、とにかくこれからそういうふうにいろいろな事がいろいろな国にだんだん繋がって発展して行くのですが、これは今はそうなっておりませんが、霊界においては殆んど出来上っているくらいなものなのです。だからだんだん……時です。それで、スピードというものはだんだん早くなり、大きくもなるものです。ですからこれから非常に面白く、張り合いがあるわけです。

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