地上天国

御教え集

箱根地上天国完成記念祭御教え (御教え集23号 昭和二十八年六月十五日 )

ところが「力」というものと「光」というものとは同じなのです。つまり「火」と「水」の密合したものが「光」であり又「力」なのです。だから「力」という字はよくできてます。経と緯、火と水が十の字に組むのです
御教え集

御教え集29号  昭和二十八年十二月二十三日  御生誕祭 (昭和二十九年一月十五日)

神様の方では地上天国というものを世界中に造られるわけです。これは救世教だけがやるのでなくて、その国の人が造るわけなのです。これは将来の話ですが、とにかくこれからそういうふうにいろいろな事がいろいろな国にだんだん繋がって発展して行くのですが、これは今はそうなっておりませんが、霊界においては殆んど出来上っているくらいなものなのです
天国の福音

総結論 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

私が提唱する言説と、その実行する処のものは科学にして科学に非ず、宗教にして、宗教に非ずして、実は科学でもあり宗教でもあると共に、政治にも経済にも教育にも道徳にも芸術にも関連しているのである。それ等凡ゆる文化面が夜のそれであったものが、不用なるものは滅ぶべく、有用なるものは残存し、新たなる文化が近く生れんとする事を、私は予言する
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世界的名所としての瑞雲郷 (救世 四十九号 昭和二十五年二月十一日)

右の如き建造物を企画した抑々(そもそも)の目的は、私の常に言う、日本の使命は芸術国家であるとして、日本の自然美と人工美とをタイアップした処の渾然たる一大芸術品を造るにある
栄光

世界画の完成 (栄光 七十五号 昭和二十五年十月二十五日)

私の各論文は前人未説のものが多いが、之は特に破天荒のものであるから、その積りで読まれん事である
その他

『地上天国出来るまで』 昭和二十五年九月二十一日

私自身としても、希望だけは持ってゐたが、実行の段になると、いつも躊躇逡巡した事である。処が、神様の方ではどうしても私に造らせようとなさるのである。之は種々の奇蹟を見せらるると共に、凡ての事情がそうしなければならないような、段取りになってくるので、段々私の考えも変って来てどうやら自信がつき機会を待ってゐた、
地上天国

秋季大祭御言葉 (地上天国十七号 昭和二十五年十月十五日)

キリストは天国は近づけりといい、釈尊はミロクの世が来ると言ったが、どちらも予言であって、御自身が造るとは言はれなかった。処が、私は右の予言を実現すべく、神様から委任せられたのであるから、全く予言者の予言通りの事を具体化し、證明するのである。
出版別御教え

箱根地上天国完成記念祭御詠 昭和二十八年六月十五日

小やかな 型にしあれど天国は いよよ生まれぬ函嶺の上に
大経綸

御教え集23号 昭和二十八年六月十六日※世界にミロクの世が生まれた (昭和二十八年七月十五日)

昭和六年六月十五日に房州の日本寺が始まりですが、あの時は霊界の奥の方、最奥霊界が黎明になったのです。今度は現界の霊界に日が出たのが一昨々年の私が庵原警察の留置所の中で、日が出たと言えばおかしいですが、非常に神秘があったのです。
大経綸

神仙郷地上天国の大いなる意義 (栄光二百十六号 昭和二十八年七月八日)

神の経綸なるものは最初は極く小さく造り、漸次拡がって終には世界大となるという洵に神秘極るものである。これは現界にも当嵌る。
大経綸

開教の辞 世界救世(メシヤ)教の誕生に就て (救世四十八号 昭和二十五年二月四日)

霊界が昼となる以上、之が現界に移写するに於ては、夜の文化は当然不用なものは滅び有用な物のみが残る事となるのは当然である、それのみではない、長年月に渉る暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行はれなくてはならない、右の滅ぶべき不用物とは之を指して言うのである、
信仰雑話

観音教団とは何乎 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

以上説く如く世界の大転換期を乗越す資格とは、病貧争絶無の世界に生存なし得る人間であって文字通り病気のない健康人、貧苦から脱出した人間、和を好み争を嫌う人間である。此三大資格を有する人間であれば神は滅し給う必要がないばかりか、来るべき新世界の有能人として遇される訳で、神の意図と人間の理想との食違いはない事を私は信ずるのである。
信仰雑話

地上天国 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

地上天国という言葉は、何たる美わしい響であろう。此言葉ほど光明と希望を与えるものはあるまい。然るに多くの者は、地上天国などという事は実現の可能性のない夢でしかないと想うであろうが、私は必ずその実現を確信、否実現に近づきつつある事を認識するのである。
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[日々雑感] 御教えの勘違い、取り違えには御注意!

メシヤ様がお亡くなりになられて65年。遅きに過ぎるかもしれませんが、今からでも御教えに学び、間違いに気づくことがでてきたら、メシヤ様に心からお詫びし、御教えに基づいた生活に切替えさせていただき、地上天国建設にお使い頂ける自分にならせて頂こうではありませんか。 岡田茂吉教祖をメシヤと仰ぐ者が、率先して御教えを実践し、一人一人が一歩一歩、個人の完成に近づいていくことこそが、地上天国建設への道だと思います。
大経綸

神の芸術 (地上天国十一号 昭和二十四年十二月二十日) 

外でもない、ラジオやテレヴィジョンの発明によって、全世界に起りつつある凡ゆる出来事を一瞬にして知り得るという事程、それほど物質文化は夢の間に進歩したのである。一体全体これは何を意味するのであるかといふ此点が頗る重要事であって、何よりも之に気付かないとすれば、現代文化を語る資格はないというべきである。
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[日々雑感] 今の世で、目が離せないのはメシヤ様の霊的なお話・・?

御浄化に入られるギリギリまで、霊的なお話に半分ぐらいの時間を割かれていたことが私には意外でした。何故なら、私は長い信仰生活の中で、霊的なことはあまり学んできていないのです。
文明の創造

『文明の創造』天国篇  昭和27年

言わば世界は百八十度の転換であって、実に空前の一大異変である。従って現在の文化形体も一変するのは勿論、其大綱としては、前述の如き大自然の形となる以上、一切の機構も三段階になり、分れて六となり、又分れて九となる、つまり三六九で、之を縮めればミロクとなる。地上天国一名ミロクの世とは此事である
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夜の終り近づけり汝等悔改めよ(光新聞四十二号昭和二十四年十二月三十一日)

大聖キリストの曰った「世の終り近づけり汝等悔改めよ」と、又一面「天国は近づけり汝等悔改めよ」との此二つの警告は此意味を本当に説いたものは未だ曽つてなかったようである、勿論時期到らなかった為でもあるが、私が常に言う処の今日迄は夜の世界であったからで、それが時期愈々来って夜の世界は茲に終焉を告げ昼の世界に転換する事となったという意味とよく合致している事である、即ち世の終りとは夜の終りであり、天国とは昼の世界を言うのである
文明の創造

『文明の創造』科学篇 「結核と特効薬」 ( 昭和二十七年)

薬の効き目とは毒の効目であるから、毒が強い程よく効く訳で、浄化停止の力もそれだけ強いから、症状が軽減するといふ訳で、特効薬として売出されるのである。然(しか)し何(いず)れは其の薬毒の浄化作用が起るから、毒の強い程浄化も強く来るといふ次第で、結果は一の苦痛を免れやうとする其の方法が、二の苦痛の種を蒔くといふ事である。それが薬学の進歩と思ふのであるから問題は実に大きいと言はねばならない
大経綸

「地上天国の模型」完成 御教え集23号 昭和二十八年六月七日

今度の六月十五日は箱根地上天国の完成記念祭です。ですから此処は、つまり地上天国の模型が出来たわけです。それで地上天国というのはミロクの世ですから、今日ミロクの数字が出るという事はそれに関連した大変な意味になるわけです。
文明の創造

『文明の創造』総篇 地上天国(文明の創造 昭和二十七年) 

此の様な末期的惨状を、神としてそう長く放任して置けないのは当然である。という理由と、来るべき理想世界の住民としての健康人を作らんが為との、二つの理由によって茲に医学の迷妄を発表するのである。
文明の創造

総篇 天国建設の順序と悪の追放( 文明の創造 昭和二十七年)

抑々、此世界を天国化するに就ては、一つの根本条件がある。それは何かといふと、現在大部分の人類が心中深く蔵(かく)されてゐる悪の追放である。それに就て不可解な事には、一般人の常識からいっても悪を不可とし、悪に触れる事を避けるのは勿論、倫理、道徳等を作って悪を戒め、教育も之を主眼としてをり、宗教に於ても善を勧め、悪を排斥してゐる
文明の創造

『文明の創造』 総篇 「序文」( 昭和二十七年)

此の著は歴史肇って以来未だ嘗てない大聖著であり、一言にしていえば新文明世界の設計書であり、天国の福音でもあり、二十世紀のバイブルといってもよかろう。即ち現在の文明は真の文明ではなく、新文明が生まれるまでの仮の文明であって、聖書にある世の終りとは、この仮定文明世界の終りを言ったものである。また今一つの“普く天国の福音を宜べ伝えらるべし、然る後末期到る”との予言も、この著の事であろう。