『文明の創造』天国建設の順序と悪の追放をアップ。メシヤ講座の解説も同時掲載!

≪解説≫一つひとつの認識を改めさせる 御論文『文明の創造』メシヤ教代表 楳木和麿

(№123・平成23年4月分)

主神様、メシヤ様へのお詫び
 初めに、東日本大震災で犠牲になられた身魂様方の救霊をご祈願申し上げます。そして、被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。併せて行方不明の方々の捜索が進展し、皆々様の精神の安定が図られ少しでも復興に向かわれる気が漲られますことをお祈り申し上げます。
 しかしながら、被害の実態(行方不明者をはじめとして)を未だ把握することさえできない現状に“壊滅的”という言葉が重く圧(の)し掛かってきます。「巨大な現実に言葉が追いつかない」という識者の言葉に頷かざるを得ません。大震災の凄まじさを思い知らされると共に、有数の防潮堤を完備して海外からも視察に訪れるほどの土地で「想定を超えた大津波」という文言が飛び交うたびに人知の浅さが身に染みてきます。
 岩手・宮城両県で9市町村の役場庁舎が襲われ、3市町村で文書やデータをそっくり失ったという報道は唖然とさせられました。幸いにも一年前に副本として法務局支局に送信していたために「戸籍の再製は可能」ということがせめてもの報ですが、課税台帳や契約書類、条例・規則などのバックアップデータがないこと自体、市町村そのものの存在が消えたことになり、(職員の方々は復旧に努力されていることは勿論ですが)底知れぬ恐ろしさです。
 しかも、福島第一原発事故によって有事における“不安”を思い知らされました。日本は、電力需要の約3割を原発で発電しているそうですが、“低炭素社会”を実現するためには更なる建設が予定されている中、大変な課題を突き付けられたことになります。ここへきて、日本のどの原発も10メートルの津波を想定していない、という現実が明らかにされたのです。今起こっている問題の責任回避を止め、今後のエネルギー対策に一層の衆智を結集せねばならないところです。
 経済的痛手も阪神・淡路大震災時の倍を遥かに超えると言われています。現在私達が御教え拝読のツールとして注目しているiPad2の重要部品を製造する部品メーカーが被害を受け、それを代用する部品を中国では製造できないことから発売延期になりました。日本人の持つ能力が遮断された状態となり海外の産業にも多大な影響をもたらしています。東北という地域が、自動車や家電など産業界の生産拠点として脚光を浴び始めた中での震災だけに、ショックは筆舌に尽くし難いものがあります。
 こうした中、被害を受けた方々の秩序を乱さぬ姿に対して海外からその美点を称賛する声が寄せられましたが、被災地以外で風評に流されての恥ずべき行動が目立ったことも事実です。報道姿勢の問題点が招いたものです。私自身も関東、北関東でその実態に触れ驚愕いたしました。
 「船は助かったが養殖筏(いかだ)は失った」と話す言葉や、ハウス園芸のビニールハウスが津波に飲み込まれてゆく映像は、本来の御神業推進を遅らせてしまった私に有無を言わせぬ圧力で迫ってまいりました。
 私は、この10年余「日本人は、履き違えた民主主義、欲望を増幅させる経済至上主義、思考を画一化させる教育システム、秩序を乱し品格を貶めるマスメディア等によって視野狭窄状態に陥らされている」と指摘してきましたが、力及ばず、このような大震災を以ってしか覚醒させることができなかったのか、と深く塞ぎ込みました。
 無力さに苛まれながらも深く自らを見つめ直し、その内容を「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」へ次のように書き込んだ次第です。

(前略)
大震災が起きた際に三重支部で「メシヤ講座」の後の直会に臨んでいました。「メシヤ講座」の質疑応答では『文明の創造』中の

即ち火は経(たて)に燃え、水は緯(よこ)に流れ地は不動体となってゐるが、之は絶対ではなく、呼吸運動による動体中の不動体である。そうして経(たて)と緯(よこ)とは超微粒子の綾状的気流となって、地球を中心として貫流し、運動してゐるのである。
について論究していました。このたびの地震が日本列島が影響を受けている4プレートによって起きたことを勘案すれば、御教えに対する求め方の浅薄さに大鉄槌を揮われた思いがいたしました。これは被災された方に対してではなく、メシヤ様の御教えを学んできた者たちに対してです。
昨日、MOAの東京療院の建物が耐震構造になっていることから臨時の避難地になった情報が入り、“かつて環境科学研究所が世界救世(きゅうせい)教にはあった”ということが急に脳裏に浮かびました。『文明の創造』を基に環境科学に対する研究を構築していたら、もっと啓蒙運動が進展していたのでは・・・、と思わされました。それを権力闘争に明け暮れ、人類のために貢献することができずに来てしまいました。ひたすら主神様、メシヤ様にお詫び申し上げました。
「すぐにでも被災地に駆けつけ救援活動に参加したい」と口にする信者さんも大勢いますが、この惨状では、プロでなければ成す術もありません。やはり自衛隊、消防隊の方々の活躍に頼るしかありません。政治に関わるならば、自衛隊を災害救助隊というように性格を明確にして厚遇するような働きかけが必要不可欠です。災害には自然、人為に対しても権限を内閣に集中して瞬時に対応できる体制こそ急務です。これは戦時逐次投入を避けるためです。
「御教えに対する探求」とそれに伴う「人類への貢献」を、可能な限りメシヤ様信者に働きかけてください。遅すぎる観がありますが怠惰な罪を重ねてはなりません。
(後略)

(前略)
大震災が起きた際に三重支部で「メシヤ講座」の後の直会に臨んでいました。「メシヤ講座」の質疑応答では『文明の創造』中の

即ち火は経(たて)に燃え、水は緯(よこ)に流れ地は不動体となってゐるが、之は絶対ではなく、呼吸運動による動体中の不動体である。そうして経(たて)と緯(よこ)とは超微粒子の綾状的気流となって、地球を中心として貫流し、運動してゐるのである。

について論究していました。このたびの地震が日本列島が影響を受けている4プレートによって起きたことを勘案すれば、御教えに対する求め方の浅薄さに大鉄槌を揮われた思いがいたしました。これは被災された方に対してではなく、メシヤ様の御教えを学んできた者たちに対してです。
昨日、MOAの東京療院の建物が耐震構造になっていることから臨時の避難地になった情報が入り、“かつて環境科学研究所が世界救世(きゅうせい)教にはあった”ということが急に脳裏に浮かびました。『文明の創造』を基に環境科学に対する研究を構築していたら、もっと啓蒙運動が進展していたのでは・・・、と思わされました。それを権力闘争に明け暮れ、人類のために貢献することができずに来てしまいました。ひたすら主神様、メシヤ様にお詫び申し上げました。
「すぐにでも被災地に駆けつけ救援活動に参加したい」と口にする信者さんも大勢いますが、この惨状では、プロでなければ成す術もありません。やはり自衛隊、消防隊の方々の活躍に頼るしかありません。政治に関わるならば、自衛隊を災害救助隊というように性格を明確にして厚遇するような働きかけが必要不可欠です。災害には自然、人為に対しても権限を内閣に集中して瞬時に対応できる体制こそ急務です。これは戦時逐次投入を避けるためです。
「御教えに対する探求」とそれに伴う「人類への貢献」を、可能な限りメシヤ様信者に働きかけてください。遅すぎる観がありますが怠惰な罪を重ねてはなりません。
(後略)

大震災直後は種々安否確認や情報収集に努め、せめてもの心情として大震災翌々日の「浜松支部月次祭」を前に記述した内容です。

地震国だからこそ必要な教育と備え

 しかし、打ちのめされた時こそ早急に必要な対処に努めると共に、やはり理性を以って感謝を引き出さねばなりません。それ故に浜松支部での「メシヤ講座」では次のような話を冒頭にいたしました。

先生
ただ今拝読していただいた御論文に、先ほどお渡しした中(通達文「メシヤ様の弟子は反省しなくてはならない」)に引用した箇所があります。

『即ち火は経(たて)に燃え、水は緯(よこ)に流れ地は不動体となってゐるが、之は絶対ではなく、呼吸運動による動体中の不動体である。そうして経(たて)と緯(よこ)とは超微粒子の綾状的気流となって、地球を中心として貫流し、運動してゐるのである。』

この部分を・・・、三重支部で『動体中の不動体』についての問答のやりとりを随分しましたが、その後に大地震が起きたので、その後随分考えさせられたのです。夕べもずっと考えて、それでやはりきちんとしたことを主神様、メシヤ様に奉告しないといけない、お詫びをしないといけない、ということで、今朝この文章を作った訳です。
 このような大震災が起きたのでそのことにも触れないといけないのですが、まだまだ一万人以上の所在がわからないことをはじめとして全体が全くわからないので、なかなか話す事が難しいのですが、言葉を口に出しただけでも表現が適格ではなく虚しくなるような事態です。各機関が全力を尽して救済に取り組んでいただければありがたいと思います。
 そして、元々はここの東海沖大地震の警告が出されていたことなので、やはりこういうことを通して、犠牲になった方々にお見舞いを申し上げて、お亡くなりになった方々のご冥福を祈りながらも、自分達は自分達として大地震が来たときにはどうあらねばならないかということを、家族を中心に話し合いをして、備えをきちんとさせていただきたいと思います。
 それから、救援に動く自衛隊やレスキュー隊などの隊員の志は尊いと共に、動く経費は全部税金です。こういう機会にもう一度子供たちに、「精一杯勉強をして立派な社会人になって、税金を一円でも多く支払えるような人間になって、国家のために役立つ人間にならなくてはいけないのだよ。」という納税の意義をよく教えてあげて欲しいと思います。
 戦後教育の中で一番の問題点は、権利ばかりの教育をしていて、義務面の教育をほとんどしていなかったことです。やはり、いかに良い所に就職をして、あるいは自分で仕事を持って、その収入の中から税金を納める、その税金を納めることが世の中をよくしていくのだ、と。そういう人間観、世界観を教育していかないといけないけれど、ほとんどしてこなかったのです。学校でも納税の意義の話をほとんどしません。しかし、馬鹿なことに「誰にでも〈さん〉付けをしましょう。」とか言うような事を「男の子でも女の子でもみんな〈さん〉を付けて呼びましょう。」「みんな平等に扱いましょう」なんて馬鹿な考え方ばかりしています。やはり男性は男性、女性は女性として生れて来た以上、その役割をキチンと認識させるために呼び方を変えていくべきです。男の子は〈くん〉を付けて呼べば、男として自覚していくし、女の子には〈さん〉と呼んだほうが自覚をしていくのです。そういう役割を明確にする教育をしない限り、国家としては駄目になっていくのです。
 ヘリコプターで人を救っているのも税金で救っているのです。彼らが動いて救ってくれているけれど、我々の納税が人々を救っているのだという認識を絶えず持っていかないと、何のために税金を払っているのかという意義がそこには生まれてこないので、こういう機会に自分達は直接手を出す事は出来ないけれど、我々の納めた税金によって、自衛隊が動いている、レスキュー隊が動いている、そして茫然自失にいる人たちに少しでも光明を当てているのだ、と。そういうような精神構造を自分もこの機会に持つし、子どもにも持たせていくと。そういうような家庭教育を徹底していただきたいと思います。
 そして、また同時に、与野党が国会を休会するかどうかというようなことを盛んにやっていますが、税金を納めるからこそ、その税金を有効に使う政治家に投票しないといけないという、そういうような精神が芽生えてくるので、選挙に対する考え方もまた変わってきます。我々が身を削って納めた税金をあの人だったら必ず有効に使うように動いてくれると思うからこそ、その人に投票する、と。世の中の事を考えれば考えるからこそ、納税と選挙に対して真剣になっていくのです。そういうことを我々、直接被害を受けていない人間がこの次の世の中をよくするためにそうしたことを家庭でよく話し合うということを今日はお願いしておきたいと思います。
 また、そういう話をする時には我々には叡智をいただかないといけないので、より一層御教え拝読に取り組んでいくということをお願いしたいと思います。過去繋がっていた救世(きゅうせい)教関係の人たちに、この文章を必ず伝えてください。浄霊力と御教えに出会った人間はどうもボーっとしているのでね。こうやってメシヤ教に出会った人たちは一生懸命勉強をしているけれど、何々先生の指導とかそんなことばかりやっているところもありますから。そんなことでは天国建設に繋がっていかないし、こうした大浄化が起きた時に適切に対応できないからね、一つみんなに知らせてあげてください。出来るだけ関係者を調べて、「今月、月次祭でこういう話が出ましたので・・・」と言って知らせてあげてください。<御教え拝読のための機器の説明・・・う~ん素晴らしい>

また、「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」への書き込み内容の根底には、メシヤ様を教祖と仰いできた教団の指導者が抱いてきた妄想を顧みなくてはならない、ということがあります。
 メシヤ様は浄化に入られて5日後、大峠の様相を知らされ滂沱(ぼうだ)と涙を流され嗚咽(おえつ)さえ上げられた、と伝えられています。その『大峠の様相』の根源は薬禍薬害です。現代においては経済至上主義が招いた化学物質による環境汚染が加わっています。この度の大震災は「千年に一度」ということから『最後の審判』の型ではありません。『最後の審判』は三千年来の大峠であるからです。当然起きるであろうと想定していた、その想定を遥かに超えた大津波だったということから、叫ばれる「想定外」に象徴される人為的ミスを起こす原因です。
 そして、この「想定外」は私達の生活にもヒタヒタと忍び寄っています。現代病(癌をはじめとした突然変異性原素による罹病や血液病、精神性罹病など)の真因です。それを“社会性”“間口を広げる”という“まやかしの表現”によって容認する姿勢は、メシヤ様の弟子としてあってはならないのです。

(中略)

こうした際に、3月13日の「岩戸開き」で取り上げた内容が覚醒に繋がればよいのだが、と考えています。メシヤ様が示され実行された「生活の規範」の一つであるからです。

 次に、メシヤ様(岡田茂吉教祖)は、食について、このように仰っておられます。 
『食物に就ては面白い事には私はいつも栄養が多過ぎる事を心配するのである。というのは多くの信者からの献納の食物が勿体ない程沢山あるので、出来るだけ少しずつでも信者の誠を食べるようにしている為もあって先ず美食家といってよかろう。それを調節する為に朝食後は必ず相当量の薩摩芋を食う。』

以前、メシヤ講座において学ばせていただいた指導を裏付ける御教えです。

○メシヤ教での指導

「メシヤ様は献上品については信者の誠に対してできるだけ全て召し上がるように心掛けられていました。すると、美食になりすぎます。そこで、サツマイモをお食べになり、調整されていたのです。」 

 美食に慣れている現代人に対する警告と受け止めることもでき、生活習慣を省みることが必要と思います。

『又就寝前は茶漬をよく食い汁粉を一杯は欠かしたことがない。そうして食物にも陰陽があって、陰に傾いても陽に傾いてもよくない。勿論陰とは野菜で陽とは魚や肉である。これを偏らないように加減する。朝は陰七分陽三分、昼は陰陽半々、夜は陽七分陰三分の割合を守っている。香の物にも陰陽がある。陰とは青菜類、陽とは大根蕪の如き白色のもので、之等も半々にしている。』

 飽食の時代が長く続いている現代だからこそ、上記の御教えを熟読し、食のあり方も含め、正しい生活習慣を身につけることが重要であると考えます。

近年、メシヤ様(岡田茂吉教祖)の信徒でありながら、糖尿病と診断され、極端な食事療法をされ、しかも、専従者の指導も、現代医学に則った指導をしております。本来、御教えに即した指導を行うことが教団の使命であり、専従者の使命であると考えます。

ご飯を主食とした自然食と、運動の重要性、特に、歩くことの重要さを説いておられます。

三好先生は、講演のとき、一日五千歩、歩くよう、仰っておられます。

 ご飯を中心とした食生活、一日五千歩以上歩くこと、日々の浄霊実践が健康な霊体、肉体をつくるうえで、最重要と思います。

 

 私達は、浄霊という絶対力を拝受いただいていますが、それをただ単に利用するというのは初心者的な在り方です。浄めていただいたら、再び霊を曇らせないように、血液を汚さないように努めることが、人としての歩む本来の姿勢です。その教導に取り組むことこそ、地上天国建設への歩みなのです。
 メシヤ様の示された内容は、現代人こそ大切なのです。それは現代人の生活が、御晩年の生活と同じ水準になっているからなのです。メシヤ様が『調節』のために食されたサツマイモを「お好きであった」と解する低いレベルでは、どうしようもありませんから、一つひとつ認識を改めていただきたい、と願っています。

『世界の創造主たる主之大御神(エホバ)』様を認識する時

 そして、改める根幹が『世界の創造主たる主之大御神(エホバ)』様への認識です。
 今、私達は自然に対する畏敬の念を深く心に留めました。しかし、それで『世界の創造主たる主之大御神(エホバ)』様を理解した訳ではありません。絶対の御存在であると共に『天国の福音』をメシヤ様を通してお示しくださり、選択の自由をお与えくださっているのです。
 人間の真の自由がここにあります。ですから、自由であればあるほど、主神様、メシヤ様に真向かう姿勢を明確にさせていただき、人間本来の在り方を目指したいのです。
 そこで、最後に三重支部での「メシヤ講座」でまとめていただいている内容を引用しますので、熟読玩味していただければ幸甚です。

 〇智慧証覚得るには御教え拝読は欠かせない

(質問者)  そうしますとその御経綸ということを自分なりに理解しようとすれば、普通の考え方ではなくて全く違うところからの考え方が無ければいけませんね。

(先生)  ですので、全く違うところからの考え方が必要というよりも、智慧証覚(ちえしょうかく)がないといけないということですね。それでこの智慧証覚(ちえしょうかく)を得るためには御教え拝読が欠かせないわけですね。ですから日々御教え拝読をしながら物事を見て行くと大体当たってくると思います。これが智慧証覚(ちえしょうかく)、叡智が閃(ひらめ)いていく生活になってくるのだと思います。そういうふうに捉えて行って頂ければいいんじゃないかなと思います。

(先生)  今度、主神様についてメシヤ様はどう仰っておられるのか、といいますと『この主神に対しては、これを表現し奉る言辞もなく、文字もなく、ただ無限絶対の力徳の中心であり、一切の根元であるというよりほかない。「宗教と科学」(無限 創刊号 昭和24年1月1日)』

 と仰っておられますので、要するにこうして話している間にも拡がっているわけなのです。主神様という御存在というのは、我々がイメージとして摑んだと思ったらもう摑んだ瞬間から違う御存在になっている、というぐらい大きな御存在なので、その御存在に向かってお祈りをする時に「主之大御神守り給へ幸給へ」と唱えることによって主神様を限定してしまいますが、“表現し奉ることもできない、そういう尊い御神名をただいまから唱えさせて頂きます”という気持ちで先達者は「主之大御神守り給へ幸給へ」というふうに日々祝詞を奏上して頂きたいのです。

 ですから、「主之大御神守り給へ幸給へ」という前に、本当は“表現し奉る言葉もないのですけども尊い御神名なので唱えさせて頂きます”という気持ちで、「主之大御神守り給へ幸給へ」と唱えると、少しでも主神様に真向かう姿勢ができて唱えられていきますからね。

 これが朝拝、夕拝において一層想念を確立する上で持っておいて頂きたいと思うことです。

 そして、後ろで参拝している人達も先達に続いて「主之大御神守り給へ幸給へ」と同じような想念で唱えるということが大事なことであると思います。

〇惟神霊幸倍坐せ(かむながらたまちはへませ)とは

 ですから、少し「惟神霊幸倍坐せ(かむながらたまちはへませ)」も節回しが違うでしょう。今までとね。

 二つの言葉がくっついて「惟神霊幸倍坐せ」になるのです。所謂(いわゆる)これはね、信者としては決意を述べる言葉なのです。ですから「主之大御神守り給へ幸給へ」というのは“尊い御神名を唱えさせて頂きます”という姿勢で唱えるのですけども、今度、「惟神霊幸倍坐せ(かむながらたまちはへませ)」と唱える時には、“私は神様の御心のまにまに進ませて頂きます”という決意を以って「惟神(かむながら)」というふうに言わないといけません。

 そして、霊幸倍坐せ(たまちはへませ)、“魂を大きくして頂いて幸せにして頂きますように”というのが霊幸倍坐せ(たまちはへませ)だからね。この想念を凝縮して惟神霊幸倍坐せ(かむながらたまちはへませ)という言葉になっているから、「かむながら/たまちはへませ」と区切ってしまうとおかしいですが、その位の気持ちで唱えると、どんどん御心に我々の姿勢が近づいていくと思いますので、意識してお参りして頂けると良いと思います

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