岡田茂吉 『文明の創造』科学篇「病気と医学」 | 岡田茂吉を学ぶ

『文明の創造』科学篇「病気と医学」( 昭和二十七年)

 前述の如く、私は反文明の原因としての、戦争と病気の二大苦を挙げたが、其外に今一つの貧困がある。然(しか)し之は戦争と病気とが解決出来れば、自然に解決さるるものであるからかかないが、先(ま)ず戦争の原因から説いてみると、之は勿論精神的欠陥即ち心の病気にあるので、之も肉体の病気さえ解決出来れば、共に解決さるべきものである。

 右の如く病気も、戦争も、貧困も同一原因であるとしたら、其健康人即ち霊肉共に完全な人間を作ればいいのである。然し斯ういえば至極簡単のようであるが、実は之が容易でない事は誰も想像されるであろう。然し私から言えば、決して不可能ではない。何となれば必ず解決出来得るだけの方法を、神から啓示されているからで、之が私の使命でもあり、其一段階としての此著である。

 従って先ず病気なるものからかいてみるが、病と言っても前述の通り、肉体と精神との両方であるが、現代人は普通病とさえ言えば、肉体のみのものと思っている処に誤りがあるので、此精神の不健康者こそ、戦争の原因となるのである。其様な訳でどうしても人間が肉体と精神と共に本当にならない限り、真の文明世界は生れないのは言う迄もない。ではどうすればそれが実現され得るかというと、それには勿論其根本が解ると共に、可能の方法も発見せられなければならない。処が私はそれに関する根本義を発見し、而も絶対解決の方法迄も把握し得たので、茲(ここ)に詳細徹底的にかくのである。それに就ては先ず吾々が住んでいる此地上の実相から解いてみるが、元来此地上の一切、今日迄の学問では物質のみの存在とされており、それ以外は無とされて来たのである。然し此考え方たるや非常な誤りであって、無処ではない。人類にとって之程重要なるものはない程のものが、確実に存在している事である。にも拘わらずそれが何故今日迄分っていなかったかというと、全く唯物科学にのみ依存して来た結果であるからで、即ち唯物科学に於ての理論は、見えざるものは無と決めていた以上、之程進歩したと思われる唯物科学でも把握出来得なかったのである。右の如く唯物科学で知り得ないものは、悉(ことごと)く否定の闇に葬って了(しま)った其独断的観念こそ、学者の頭脳なるもののいとも頑(かたくな)な偏見さである。之に就(つい)ては多くをいう必要はあるまい程、人類の幸福が文化の進歩に伴わない事実である。それを之から漸次説き進めてみよう。

 以上説いた如く精神と肉体共に完全なる人間を作るのが真の医学であるとしたら、現代医学は果して其目的通り進んでいるであろうかを茲で検討する時、それは余りにも背反している事実である。それ処ではない。寧ろ病気を作り、病人を増やしていると言っても過言ではない程の誤りを犯している事で、それを之から詳しくかいてみるが、先ず医学なるものの今日迄の根本的考え方である。というのは医学は病気の原因が全然分っていないから、凡て反対に解釈している。勿論唯物科学本位で進んで来たものとすれば致し方ないであろう。

 右の結果医学は病気の場合外部に表われたる苦痛を緩和するのみに専念している。従って医学の進歩とは一時的苦痛緩和法の進歩したものであって、其方法として採られているものが彼の薬剤、機械、放射能等の物質の応用である。成程之によって病気の苦痛は暖和されるので、之で病が治るものと誤認し、緩和法を続行するのであるが、事実は苦痛緩和と病気の治る事とは、根本約に異うのである。即ち前者は一時的で、後者は永久的であるからである。而も其苦痛緩和の方法自体が病を作り、病を悪化させる結果なのであるから問題は大きいのである。

 何しろ唯物的医学であるから、人体も単なる物質と見るのみか、人間と人間以外の動物をも同一視するのである。それによって動物を研究資料として、病理の発見に努め、偶々何等かの成果を得るや、直ちに人間に応用するのであるが、之が非常な誤りである。何となれば人間と動物とは形も本質も内容も全く異っている事で、之に気が付かないのである。此理によって人間の病気は、人間を対象として研究されなければならない事は余りにも明かであって、之以外人間を治す医学は確立される筈はないのである。そうして今一つ斯ういう点も知らなければならない事は、動物には人間のような神経作用がないが、人間には大いにある。人間が神経作用の為に、どの位病気に影響するか分らない。例えば一度結核と宣告されるや、此一言で患者の神経は大打撃を受け、目に見えて憔悴(しょうすい)する事実は、医家も一般人もよく知る処であろう。処が動物にはそういう事が全然ないにみても肯(うなずか)れるであろう。

 以上によって見る時、現代医学の欠陥は、霊と体で構成されている人間を、霊を無視して体のみを対象とする事と、人間と動物を同一に視ている点で、之が主なるものである事を知らねばならないのである。

 

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